待たせたな。

 準備はいいかい?

 オレはもう、ばっちりよ。目玉取り出して聖水で洗ってきたからよ。

 いやぁ、アレも楽しかったなぁ。いやなに、昔の話よ。聖水って触れ込みで適当な汚水を売ってやがる悪人がいてよぉ。オレぁソイツの聖水とやらで顔をパシャパシャ洗ってやんのよ。するとあぁら不思議だぜ? 聖なる力で水が動いたって、客は大騒ぎで信じ込んじまうのよ。

 でもな、信じ込んじまうのは客だけじゃぁねぇ。馬鹿な偽聖水売りも信じちまいやがって、俺はすげぇんだって思っちまうんだな。そこでよぉ、オレはそれからソイツが聖水を売るたんびにパシャパシャへそやらケツやらを洗ってやんのよ。

 するとたちまち大人気。売れて売れて男は大金持ちさ。んで偉い奴の耳にも評判が入ってよぉ、ある日その偉い馬鹿に呼ばれんのよ、ソイツ。

 んでな、流石にもう汚水は使わねぇぜ? 悪い評判が立つと困るからよぉ。金に余裕もあるし、ちったぁマシな水を使うさ。相手は偉い奴だし、その日は余計にな?

 でだよ。その偉い馬鹿の前でいつもみたいに偽聖水売りは呪文を唱えて水を出すのよ。オレはな、何もしねぇ。いつもみたいに、顔もケツも洗わねぇ。ただ見てんのよ。焦ったねぇ、アイツ。いや、焦って焦って、その内に偉い奴も怒りだしてね。そのまま偽聖水売りはコレよコレ。死罪。

 ハッ、笑っちまうだろう?

 でもまぁ、昔の話だ。今のオレぁずーぅっとここにいっからよぉ。偽聖水なんか持っちゃいねぇよ。ヘヘ、ただのジョークさ。目玉なんて取り出せやしないよ。悪魔だってなんでもできるわけじゃぁないんだぜ? 目玉なんて取れるかよ。ヘッ。

 まあ、無駄話はこれくらいにしとくか。せっかく休憩をはさんだばかりだってぇのに、アンタに飽きられちまっても困るしな。

 また、話を始めるぜ?

 いいかい?

 ……よぉし、じゃぁ始めよう。

 でだ、どこまで話したっけなぁ……、ああ! そうそう。場面転換だ。

 オレは適当に馬鹿共の相手をしてから、シャルルのところに行ったのさ。

 あれは月のない晩だった。星の明かりだけを頼りに、オレは外で一人座ってるシャルルのところへ行ったのさ。風は涼しかったね。

「……シャルル。具合はどうかしら?」

「……はぁー……。まだあまり優れないんだ」

 シャルルは悲しげな目でそう言ったよ。

「シャルル……。今日はもう休んだ方がいいんじゃないかしら。無理しないで。明日の夜にまた会いましょう?」

 なんて言ったがよ、その時のオレにはシャルルを気遣う気なんてこれっぽっちもなかったんだぜ? なんてったって、オレは悪魔だぜ? 悪魔が人間の心配なんざするわけねぇだろ? でも仕方なかったのさ。マリアならそれぐらいの気遣い、したに決まってんだからよ。

 オレの考えはさっきも言ったろ? シャルルをハメるためにはよぉ、しばらく喋ってから帰らねぇと意味がねぇ。じゃねぇと、オレにシャルルが何かしたせいでマリアがいなくなっちまったと思わせらんねぇだろ? 周りの連中によぉ。

 だからオレは、とりあえずマリアのふりしてそう言ったのさ。どの道シャルルは本当に体調が悪いわけじゃねぇ、ってのは見抜いてたからよ。いや、気分がすぐれねぇってのは本当だったろうよ。でもそれは、オレを疑ってたからさ。でも、帰っちまうような体調の悪さじゃねぇってことは、オレにはわかってたのさ。

 案の定、シャルルは言ったよ。

「いや、大丈夫だ……。僕は君と話がしたい」

「……私もよ、シャルル」

「……、はぁ……。ねぇ、君の気分を害してしまうかもしれないようなこと、いてもいいかい?」

「私の気分を害してしまうようなこと? シャルル……。それは、どういうことかしら?」

「はぁ……。これは、僕がおかしいのかもしれない。だってみんな、信じているんだから……。でも。でも……。なあ、僕には信じられないんだ。君が本当にマリアだなんて。死んだマリアが君の体を借りて生き返るだなんて、やっぱり僕には信じられないんだ。君がマリアだって、僕には信じられないんだ」

「……シャルル」

 オレは思ったね。シャルルは思ったより弱気だったってね。もう少し食ってかかってくるかと思ったんだがよぉ、とんだ肩透かしだったもんだぜ?

 オレは優しい声で言ってやったよ。布団で眠りにつく子供を包み込む夜闇のようにな、優しく言ってやったのさ。

「無理もないわ……。シャル」

 でも、シャルルはオレの声を遮ったのさ。まるで子供がぐずって夜闇を怖がるようにな。シャルルは優しいオレの声を突き破って言ったのさ。

「なあ、いいんんだ。君にも色んな事情があるだろうから、君がマリアとしてここにいたければ、ずっとそうすればいい。みんなも君がマリアだと思っていれば、少しは前に進んでいけるだろうから。でも、僕にだけは。僕にだけはどうか、嘘をつかないでくれないかい? 君は、君はマリアじゃないんだろう?」

「……シャルル」

 オレは迷ったね。肩透かしを食らったと思ったら、やっぱりそんなことなかったんだ。シャルルは弱気だったが、シャルルは本気だったんだ。本気でオレを疑ってたんだよ。

「すまない。やっぱり今日は、もう帰って休むことにするよ。明日また会おう。それじゃあ、おやすみ」

 そう言って立ち上がったシャルルはさっさとオレに背を向けて歩き出しちまった。オレはもちろん呼び止めたよ。

「待って、シャルル!」

「……」

 無言で振り返ったシャルルは、オレを見て少し目を見開いたね。なんでって、オレは泣いてたからさ。もちろん本気の涙じゃねぇ。さっきまでとおんなし、嘘泣きってやつさ。つーっとね。ほら、頬を伝らすアレよアレ。

「……ごめんなさい」

 そう言ってオレは頬の涙を拭って言ったのさ。

「疑うのも無理はないわ。シャルル。あなたは思慮深いもの。でも。でも、私はマリアよ。あなたがたとえ信じてくれなくても、私はマリアなのよ。だから。だから……」

 オレはまた涙を伝らせながら言ったね。

「待ってるわ、シャルル。また明日……」

 そう言ってオレは教会に戻ったよ。でも、その後あの女の体を出て戻りはしなかった。シャルルに疑われて傷心のマリアが消えちまったなんてオチだって別によかったんだがな。約束しちまったもんだから……。

 ほら、悪魔は契約者との契約は破らないって言うだろ? 別にオレは悪魔としてシャルルと契約してたわけじゃねぇし、そもそもオレはそういうたぐいの悪魔でもねぇし、それとこれとは話が違ったがな。あん時のオレはとにかくまた明日シャルルと会うことにしたのさ。気まぐれってやつさ。そういう気分だったんだ、不思議とな。なぜだかわかんねぇけど、そういう気分だったのさ。

 そういうわけで、オレは次の日もシャルルと会った。シャルルはまだ、オレのことをマリアだと信じてなかった。まあ、それが正しいんだけどな。だってオレは悪魔だぜ? マリアじゃないんだからな。

 それで、オレはその次の日もシャルルと会った。その次の日もまたシャルルと会った。シャルルは次の日も、その次の日もオレを信じなかった。オレはなんでだか知らねぇが、シャルルを信じ込ませてやろうと思ったんだ。ここまでかたくなにオレを信じねぇシャルルを騙して、その末にオレが消えたら後悔するだろう? なんでもっと早く信じなかったんだって、嘆くに決まってるだろう? その顔が見たかったのさオレは。そう、だからオレはシャルルを騙すことに決めたんだったさ。

 オレは毎晩シャルルと会ったね。オレは夜しか外に出られない、そういう設定だったのさ。そういうそれっぽい設定があった方のが、奴らも信じやすいだろぉ? だからオレは夜にだけ外へ出て、シャルルと会った。色んな所へ行ったよ。それでもシャルルの疑いはなくならなかった。

 ある日、小川のほとりを二人で散歩したんだ。川をのぞき込むと雑魚ざこが眠ってやがった。

「ねぇ、シャルル。これはなんというお魚かしら。小さくてとっても可愛いわね? ねぇ、シャルル? 聞いてる? シャルルったら」

 オレは魚の名前なんかこれっぽっちも興味なんかなかったんだがな? マリアはそういうことをいう女だったんだよ。だからオレはそう言ってやったんだが、シャルルはそんなこと言うオレを見て、寂しそうに微笑むだけだったさ。

 その内に段々と暑くなってな、初めの内は毎日のようにオレに会いに来てた馬鹿共も頻繁には顔を出さなくなってな。シャルル以外の奴らとは次第に会う頻度が減っていったよ。

 夜はいくらか涼しかったが、夏真っ盛りになりゃあ虫もよく出やがったな。

「きゃっ、シャルル! 虫だわ……。あれはなんという虫かしら……。ねぇ、怖いわシャルル」

 オレはよくそんな風に言ってシャルルに飛びついたな。オレは虫なんかこれっぽっちも怖くないけどな、マリアは虫を怖がる女だったんだよ。だからそんな風に言って怖がってみせたんだけどな? シャルルはやっぱり寂しそうに笑うだけだったよ。

 その内にまた涼しい季節がやってきてな。

 ある日は二人でワインを飲んださ。アレはうまかった……。

「ねぇ、シャルル。このワイン、美味しいわね」

「そうだね……」

「こんな血みたいな色した飲み物を好き好んで飲むだなんて、人間はきっと本当は血が飲みたいのよ。その本性は野蛮なんだわ。それを隠して優雅にワインなんか飲んじゃって、馬鹿らしいったらありゃしないわね。そうは思わない? シャルル」

「……フフ。フ」

「シャルル? 何がおかしいの?」

「君、最近やっと本音を喋ってくれるようになったね?」

「……」

 オレは思わずシャルルの目を見て何も言えなくなっちまったよ。

 オレはその頃、ずいぶんシャルルと長いこと話してたもんだからよぉ、少しずつマリアを装うのに飽きてきちまってたんだな。それに、シャルルと喋るのに慣れてきちまってたもんだからよぉ、気持ちだって緩んできちまってたのさ。

 オレはしばらく沈黙した後、あわてて口を開いたね。

「……シャっ、シャルルったら。何を言ってるのかしら。私だってこうして毎日暮らしてたら、言うことくらい変わるわ。考え方だって変わるのよ? 私はお人形でも、いつ読んだって変わらない物語の登場人物でもないんだから!」

「フフ。それもそうだね……。でもね、これは僕の気のせいかもしれないけど、やっぱり僕にはなんだかそんな風に思えるんだ」

 オレはシャルルの顔を直視できなかったよ。

 シャルルは本当に可笑しそうに笑ったかと思うと、やっぱり切なそうな顔で微笑んだんだ。でも、その顔は少し、以前までの微笑みより明るかったように思えたんだよ。気のせいかもしれないけどな、オレにはなんだかそんな風に思えたんだよ。

 それでよぉ、そんな日々を送る内に、寒い季節がやってきてな。

 よく雪の中を散歩に出かけたよ。あれは心底寒かったなぁ……。

「ねぇ、シャルル。雪って人間みたいよね。ほら、こうやって握ったらすぐ消えちゃうのよ。こんな簡単になくなっちゃうの。可笑おかしいわよね? 命みたいだわ。ほら、シャルルもやってみなさいよ。面白いわよ?」

 そう言って笑うオレを、シャルルも笑った。それはやっぱり寂しそうだったけどな、優しくてどこか楽しそうでもあった。そういう笑顔だったよ。

 そんなこんなでな、オレは気づけばマリアとして過ごすようになってから一年が経とうとしてたんだよ。

 そう、いつの間にかオレがシャルルと出会ったのとおんなじ春がまたやってきてた。

 そしてな。そして。あの夜が、やってきたんだよ……。あの夜さ。

 あの日がな。あの日がぁ、やってきたんだよ……。

 なぁ、あと少しだ。あと少しだから、聞いてくれるかい?

 いいやぁ、聞いてくれ。

 フフッ、ヘッ。クケェッ……。笑っちまうような結末が、あと少しでやってくるからよぉ。だからもう少しだけ付き合ってくれよ。なぁ、アンタ。

 オレはな。オレは、オレぁ、オレは悪魔だぜ。

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