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あれはどれくらい前のことだったかなぁ……。
もう、覚えちゃぁいねぇや。オレはずっとここにいるもんだからよぉ、時間の感覚ってぇのがよくわかんなくなっちまったんだ。なんせ、客人も来やしないからなぁ。
いやぁ、アンタが客じゃないって言ってんじゃないぜ。言ったろ? ここには滅多に人が来ないって。そういう意味さ。
ところでアンタ。アンタが来たのは何年だ? 今は何年だ? できれば西暦で答えてくれるとありがてぇな。
……ふぅん、そうか。そうかそうか。ああ、わかった。十分だ。
ただ一つ、ただ一つ確かなのはな。もう、それは百年くらい前のことになるのかもしれないし、五十年くらい前の話になるのかもしれない。ひょっとすると十年やそこらしか経ってないかもしれないし、もっと言うならもう何百年も昔のことだったかもしれない、ってぇことだけだ。
でもな、オレにとっちゃぁ同じことなんだ。変わらねぇのさ。何年前の話だってよぉ。ここでこうして、もう動くことのねぇ今の中で延々と永遠と立ち止まってるオレにとっちゃぁよぉ。そんなことはもう、関係ないのさ。何年昔の話でもねぇんだ。悪いな。もしかするとアンタにとっては気になるところなのかもしれないが、まっ、そこはアンタの想像力で補ってくれよ。オレの姿とおんなしようにさ。
そうそう、アンタにはオレが見えてるかい? どんな風に見えてるかい? いやぁな、魂だけでもしっかりものが見えてる奴もいれば、なんにも見えも聞こえもしねぇ奴もいんのよ。アンタはどっちかってな、ちょっと気になったんだよ。
どうだい? 若くてハンサムな男に見えるかい? それとも汚らしいオヤジに見えるかい? いんやぁ、ひょっとして全身が髪の毛で覆われた緑の肌の妖精にでも見えてるかい? 聞かせてくれよ。オレはどう見えてるかい?
……へぇ、そうかい。まあ、なんでもいいさ。アンタに任せるよ。だってそういう場所だろここは。見た目も声も、全部アンタに任せるよ。なんにも見えも聞こえもしなくたって、思い浮かばなくたって、それだって構わないさ。だってそういう場所だろここは。安心しな。これからする話には、そんなもの、なんにも問題になんかならないんだからね。
だからな、聞いてくれよ。聞いてくれ。好きなように聞いてくれ。それでもう、十分なんだから……。
ああ、でもこれだけは最初に言っとくぜ? オレはな。オレは、悪魔なんだよ。そう、オレは悪魔なんだ。悪魔なんだぜ。
だからな、それだけは常に頭に入れて話を聞いておいてくれよ。な。それだけはお願いだぜ。
さあ、いい加減もう前置きにも飽きてきた頃だろう? 嫌気がさしてきた頃だろう? だからそろそろ始めよう。ほら、オレは悪魔だからよ。さっそく一つ、アンタの嫌がることをしてみたってわけさ。
ああ、ちょっと待ってくれよ。もうしないから。もうしないから、だから聞いてくれよ。なぁ、待ってくれ。もう話すんだから。話しを始めるんだから。嫌がらせも何もないだろう? な? いいかい? OK? ……今の発音どうだった? いや、ジョークだ。わかった。I'm sorry.大丈夫だ。もう訊かない。訊かないから聞いてくれ。始めよう……。
オレはな、さっきも言ったように悪魔だ。まあ、悪魔っつっても色々いるだろう? アンタは悪魔に詳しいかい? どんなの知ってるよ?
……OK.そうかそうか。まあ、そもそもちゃんとした分類なんかねぇからな。悪魔っつっても色々いるが、オレはな。オレは、
いや、心配はいらないぜ。この話を最後まで聞くと憑りつかれる、なんてつまらねぇオチじゃぁねぇからよ。それは保証するさ。オレの一番愛しい人に誓って言おう。オレはアンタに憑りつかない。
……あっ。今アンタ、悪魔に愛しい人なんていんのかって思っただろ? 思ったな? 思ったよなぁ……、ごもっともだよ。でもいるんだぁ、これが。他の悪魔は知らねぇよ。いるかもしれねぇし、いねぇかもしれねぇ。
さぁー、そろそろ本筋に戻ろうか。
オレぁよく人間に
いやぁ、でよぉ。オレぁハンサムな男に憑りついてな、女たぶらかして散々楽しんだりしたのさ。夜に紛れて散々ヤったな。何人
まぁ、大抵は痛い目みんのは女だけだけどな。カッ、それでも十分傑作だがよ。だってだぜ、アイツら馬鹿みてぇに股おっぴろげて犬みてぇに喜んでやがったくせによぉ、孕んだ途端に……ア?
なんだ? もしかして気分悪いか? こういう話はよ。ハンッ、オレは悪魔だぜ? それぐれぇのことして当然だろう? まあでも、この話はオレのしてぇ話とは関係ねぇしな。ここで帰られちゃあオレもたまんねぇ。オレの武勇伝はこの辺にしとくさ。な。だから聞いてくれよ。なぁ、聞いてくれ。
それでだ。他にもまぁ、さっきのなんて序の口ってぇくらいの悪さをずいぶんオレは楽しんだもんさ。人の体を使ってな。盗みも殺しも、全部なんてとてもじゃねぇが覚えちゃいないくらいやったさ。毎日毎日明け暮れた、ってぇやつだな。
でまぁ、そんな中でよぉ。子供とか恋人なんかに死なれた奴をな、騙して楽しむってぇのもまあまあやってたんだけどよぉ……。
……まあ、なんだ。ある時オレは、ある女に憑いたわけよ。オレがしてぇのはな、その時の話なんだ。
オレが憑いた女はな、まぁ綺麗な若い娘だったが、オレはそいつのことはよく知らねぇ。名前も何も知らなかったな。知る必要なんてなかったからよぉ。
だってオレはその女に、その女として憑くわけじゃなかったからよ。
その女は、綺麗な女ではあったが、不幸な女だったな。売られちまったんだよ。その上自分の人生を奪われちまった。自分ってものからして奪われちまったんだよ。ただの器にされちまったのさ。なんの器ってそりゃあ、オレの器よ。
そいつに憑いたのは教会だったよ。田舎の村のはずれの錆びた埃くせぇ教会に、その女は連れてこられてた。何人かの目を赤くした奴らに囲まれてやがってな。
そいつらは本当に、林檎みたいな真っ赤な目をしてたわけじゃないぜ。腫らしてたんだよ。充血させてたんだよ。泣いたせいでな。
そいつらがまた、笑えるんだぜ。器として買ってきた女囲んでよ、天使も神父も来ねぇだろうボロッボロの教会で踊ってやがんの。なんかぶつくさ言いながらよぉ。キチガイだろ? 手を空に向けて、一心不乱に祈ってやがんの。
何をって、死者の魂がその女に
オレが降りてくるんだよ。
笑っちまうよな。傑作だ。ハハァ……、オレは悪魔だぜ?
奴ら、大事な家族やら恋人やら友人やらに死なれちまって、頭がおかしくなっちまったんだよ。奴ら、もう一度会いてぇって。神にでも悪魔にでもすがったって、何をしてでももう一度だけ会いてぇってよぉ。なぁ。わかるかアンタに、その気持ち。そんな馬鹿みてぇな糞みてぇな滑稽な奴らの気持ちがよぉ。アンタには、わかるか? ……わかるか?
……そうか。……まぁ、いいぜ。オレは悪魔だぜ? ケッ、クケケ、ァハァ……。
オレはその時も、奴らをしばらく眺めて腹抱えて笑ったりなんかしてたのさ。でもまぁ、見飽きてるからなぁ、そんなもんは。すぐに飽きて、女の体に降りてったわけよ。女はもう、そこで死んだようなもんさ。たったそれだけだぜ? たったそれだけで、簡単に人間のちっぽけな人生なんか終わっちまうんだ。オレがそのまま出てってやればそうはならなかったけどよぉ。女の体が死ぬまで、あん時のオレはずっと女の中にいたからな……。ヘヘ、滑稽なもんだろ? そんな簡単に終わっちまうんだぜ? 人生なんてもんはよぉ……。
ともかくオレは女に降りてってよぉ、瞬いて、何が起こってるのかわからねぇみたいな純粋な乙女の表情を作ってやったのよ。ちょっと驚いてるような、そういう顔な?
あん時は一人の太ったババアだったかなぁ? いやちげぇ。大人しそうなジジイだったよ。
「……マリア、なのか?」
マリア、なのか? だってよ? んなわけねぇじゃん。オレは言ってやんのよ。
「……パ、パ? どうして……」
鈴が鳴るみてぇな声でよ、か細い綺麗な乙女の声で言ってやんのよ。このオレが。オレがだぜ? オレは悪魔だぜ?
「マリア!」
んで太ったババアが泣きながら抱き着いてくるわけよ。気持ちわりぃ。その時のオレは心底そう思ったね。でももちろん、そんなことはお首にも出さねぇよ?
「ママ……? ママ」
名女優のオレはそこで泣いてやるのさ。つーと一筋のしずくをな、こぉ、頬に伝わらせるわけよ。泣きじゃくっちゃいけねぇぜ? しとやかにやんのよ、ここは。
んで後の奴らも泣きながら喜んでオレに飛びついてくるわけ。笑っちまうだろ? オレは悪魔だぜ? なんでもいいんだよ、奴ら。それっぽけりゃあもうよ。そらあ、見た目も声も似たような女を選んできたんだろうが、別人の体に、入ってんのもオレだぜ? オレだ。オレだよ。オレは悪魔だぜ? それで奴ら、あんなに喜んでよぉ。笑っちまうよな? 滑稽だよな? 馬鹿みてぇだよな? オレは、オレはな。オレは悪魔だぜ?
オレはマリアのことはほとんどなんでも知ってるからよ。オレをマリアだと信じたい奴らを騙すのなんて赤子の手をひねるようなもんさ。やったことあるか? 簡単だぜ? 赤子の手をひねるのなんて。子育てに疲れた女の体に憑いてやんのよ。朝飯前に、ちょちょいとな。ヘッ。まあ、そんなことはどうでもいいさ。
とにかく奴らを騙すのは簡単だ。サクッと滑稽な喜劇が見られる。でも、たまにいんのよ。疑りぶけぇ面倒な奴がよ。
そん時もいたなぁ……。
「シャルル! お前も来いよ! 本物だ! 本物のマリアだ!」
一人の男がそうほざいたな。
「……」
シャルルは入口近くのボロけた席に座って、何も言わなかった。それがオレとシャルルの出会いだった。
「シャルル!」
「……」
「シャルル!」
「……」
「シャルル! マリアが」
シャルルは無言で立ち上がると、オレの方に歩いてきた。ハンサムな男だったね。こいつに憑けば、女にはしばらく困らないだろうと思ったよ。シャルルはマリアの恋人だった。
「マリア。マリアなのかい?」
「シャルル……。ええ、そうよ。シャルル……。シャルル、会いたかった!」
オレはそう言うとまた涙を流して、シャルルに抱きついたんだけどよ。オレを見て微笑むシャルルの
オレの肩を優しくつかんで引き離して、シャルルはオレに言ったよ。
「僕もだよ、マリア。マリア……。でもごめんね。ちょっと僕は、外の空気を吸ってくるよ。ここは埃っぽくて、僕は少し気分がすぐれないんだ」
「シャルル、大丈夫? 確かにあなた、少し顔色が悪いみたいだわ……」
「ああ、大丈夫だ。少し外の空気を吸えば元気になるよ。だから、それまでみんなと話していてくれ……」
「ええ。また後でね。愛してるわ、シャルル」
「ああ。僕は愛してるよ、マリアをね……」
そう言うとシャルルはオレたちに背を向けて歩いて行ったよ。大したもんだろ? オレの演技はもちろんだが、シャルルだよ。
「シャルルは優しいから、きっと私たちに遠慮したのね」
「マリア、後で二人きりで会ってあげて」
「ええ、もちろん……」
見当違いな馬鹿どもの言葉に、オレは笑顔でそう答えたよ。
アイツはいい。その時のオレは、そう思ったね。まあ、確かにあれは遠慮だ。オレを信じて喜んでる馬鹿どもの手前、シャルルはああ言ったのさ。だが、最後の言葉を聞けばシャルルがオレを疑ってるのは明白だ。
すでに飽き始めてたオレは、滑稽なコイツらでもう少し適当に遊んだら、シャルルと二人きりになろうと思ったね。それでシャルルが本心を出したら、怒らせてオレを殴らせでもしたらいい。いや、別になんだっていいのさ。シャルルと二人きりになって、その途中でオレが帰れば何でもいいのさ。後は高みの見物決め込むだけだからよ。せっかく金もかけて戻ってきた最愛のマリアがいなくなったと思ったら、連中はどうすると思う? まあまず間違いなく、シャルルを責めるだろうよ。見ものだろ?
後で傷心のシャルルに憑いたっていい。最愛の人を失って落ちぶれたハンサムな青年なんて、女は好きだろう? ともかくオレは、その時にはもうシャルルに目をつけてたってわけさ。
――さて、ずいぶん喋ったな。どうだ、少し疲れたんじゃねぇか?
腹とかどうよ? 小便は平気か? オレは、オレはちょっと目が変なんだ。ゴミでも入っちまったみてぇによ、涙が出そうで仕方がなくてな。ちょっくら一服してくるからよ。その間にアンタも一息入れてきたらどうだ?
なに、もう話の途中で行ったかもしれねぇけどよ。まあ、アンタのタイミングでいいんだ。オレは話さえ聞いてもらえりゃ、後は別になんでもいいからよ。そういうもんだろ? ここはよぉ? これはよぉ? な?
ま、オレはなんにせよちょっくら一服入れるからよ。別にいいってぇんなら、ちょっと遠くでも見つめて、ちょっくら目でも休めてよ。またすぐに話を聞いてくれりゃいいさ。
そん時にはもう、オレは戻ってきてるからよ。
な? じゃ、ちょっくら行ってくるぜ?
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