レモンピール

宵闇(ヨイヤミ)

第1話

それはひと夏の奇跡だったのかもしれない。

もしもこれが夢ならば、私にとっては酷い夢だ。





夏の暑さでアスファルトが高温となり、前日に降った雨のせいで湿気もあった。

細道に入ると、道に水をまいている住人や、近所のコンビニで冷凍された飲み物を買い、それを額にあてながら歩く者もいた。


気温は37.8、湿度は45%程あった。


クーラーのよく効いた教室へ入る。

チョークの粉が付いたままの黒板消しに、汚く消された黒板、長さや色が様々なチョークがある。

黒板消しをクリーナーにかけ、粉を落とす。それで黒板を消し、チョークは使いにくい物を下のケースに入れた。


8時20分頃になると、教室内に人が増えてくる。

「おはよう」

一人の男子生徒が声をかけてきた。

隣の席の田崎くんだ。

彼とは一年の時から同じクラスで、今年で三年の仲になる。いつも明るく、クラス内でも外でも、周りから人気のある子だ。

「おはよう」

挨拶を返す。

すると彼は、何処か満足気な笑みを浮かべた。


昼になると、皆それぞれ友達と昼食を食べ始める。彼も例外ではない。午前の授業はいつも通り爆睡だ。昼になると、毎回友人等に起こされている。

私は弁当と飲み物を持ち、校舎裏へ行く。

ひとつのベンチに大きな桜の木、その木陰が私の定位置だ。

他の生徒や先生が来る事はまずないため、いつも静かに木や空などを眺めながら、一人静かに昼食を取っている。


すると、近くから“ガサガサっ”と、何かが草木に触れる音がした。猫か何かだと思い、それが聞こえなかったかのようにして、私は昼食を取る。

しかし、その先から出てきたのは、猫でも鳥でもなく、田崎くんだった。

「お前、こんな所で飯食ってたのかよ!探すの大変だったんだぞ?」

「田崎くんには関係ないでしょ。何か用?」

「いやぁ、まぁ、うん……用っちゃようだけど」

田崎くんは何か言いたげだが、もごもごとしていて、何を言おうとしているのかが全く分からない。

斜め上を眺めつつも、時折こちらを見てくる。

そして、覚悟を決めたかのようにこちらを向き、姿勢を正した。大きな深呼吸を一度すると、彼が口を開いた。

「俺、お前のことが好きなんだ…!だから、付き合って……欲し、い…です………」

私は目をぱちくりする。

目の前の彼は、耳の先端まで赤く染っている。

その彼の様子を見て、これは嘘では無いと、何故か確信することが出来た。

彼の気持ちは確かに嬉しいが、それに応える事が出来ないのだ。何故なら私には親から決められた人が居る。古いと言われるかもしれないが、親同士の仲が良く、互いの子を結ぼうという約束をしたらしい。

だが私は未だにその相手に会ったことがない。

唯一聞かされているのは、私と同い年ということたけだ。

「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、私には決められた人がいるから……」

そういうと、彼は悲しげな表情をし、まるで子犬のような顔をし始めた。

彼には申し訳ないが、仕方がないのだ。



帰宅後、母が私の自室に来た。

「次の土曜日、空けておいてね」

「どうして?」

「前に言ってた子に会いに行くのよ」

「あぁ、許嫁か」

「とってもいい子よ。きっ貴女も気に入るわ」

母にそう言われても、私はあまり乗り気にはなれなかった。私には密かに想う人が居るから、余計にだろう。



〜土曜日〜



カーテンの隙間から日が差し込み、それで目覚める。窓の外を見ると、雲一つない晴天だった。

普段の私服が暗すぎると言われ、母と買いに行った服を着る。パステルカラーを基調とした、ベージュ系のコーデだ。普段こんな服を着ないせいか、何だか落ち着かない。

「そろそろ出るわよ」

「うん」

玄関で待つ母の所へ急ぐ。

白色のスニーカーを履き、車へと乗り込む。

母の好きなアーティストの曲が流れる。

微かに車内に漂うレモンの香りが曲と合っていた。


15分程経ったあたりで母が「もう着くからね」と告げる。私は「うん」と、ただその一言を返す。


そこは近所にある大型ショッピングモールだった。

待ち合わせ場所は、中央にあるインフォメーションらしい。何故そこを集合場所にしたのかは分からないが、母らしいと思った。


そこへ行くと、こちらを見ている見覚えのある姿がそこにはあった。田崎くんだ。

「なんで田崎くんがここに居るの?」

「お前こそ、何でここに?」

「私はお母さんに連れられて……」

すると、横から母の明るい声が聞こえてきた。

「たっちゃん、久しぶりだねぇ〜!元気にしてた?」

「勿論!」

「にしても、やっと子を合わせる日が来たかぁ」

「うちの子、最近好きな子に振られたばかりらしいのよ。だからここで新しい恋でも生まれてくれればなぁ」

「たっちゃんの子って結構イケメンだったよね?そんな子を振るなんて、一体どんな子かしら」

聞いていれば、完全に近所のおばちゃんの会話だ。

外でたまたま会ったご近所さんとの、お家事情を話している人達にしか見えない。


それにしても、許嫁は一体どこに?

“たっちゃん”と呼ばれる母の友人の近くにそれらしい人物は居ない。何処にいるのだろうか。

すると母の友人が急に辺りを見渡し、口を開いた。

「ほら優志、挨拶しなさい」

たっちゃんの口から出たのは、今私の目の前に居る田崎くんの名前だった。

私も母に呼ばれそちらへ行く。

「もしかして許嫁って……」

「田崎くん…なの……!?」

私たちは2人して驚いた。

親同士は前から同じ学校に通っていたことを知っていたらしいが、3年間同じクラスで、この男子を振ったのが私だということには気付いていないようだった。


双方の親は久々に会ったからという事で、2人で買い物に行くと言い、私達だけで行動することになった。

「ごめんな、俺が許嫁だなんて………嫌、だよな」

「そんなことないよ」

「え…?だって俺の事好きじゃないんじゃ……」

「私、一言も田崎くんの事が嫌いだなんて、そんな事言った覚えないよ…?」

「てことは…?え、待って!じゃあもしかして俺の事、好……」

その言葉の続きは、目の前に現れ人物等によって遮られてしまった。

目の前には何故か田崎くんの友達が居る。

休日だから遊びに来ていたんだろう。

「あれ、優志じゃん。隣に居るの……あぁ、あいつか」

「なになに?優志やっと言ったの?成功したってこと?」

何やら訳の分からないことを話している。

優志はその友達を見つけるなり走って行った。

するとこちらをチラチラと見ながら、何かを説明しているようだった。一体何を説明しているのだろうか。私にはそれが分からなかった。


彼はこちらに戻ってくるなり「上の雑貨屋でも見に行かない?」と、言ってきた。

断る理由もないので、私達は上の階へ向かった。

その間、特に話すことは無かった。

学校のことを話そうにも、これと言って話したいことも無いし、私から何か話したいと思えるような話題も無かった。


それからは適当にショッピングモール内を歩き、適当に昼食を取って双方の親と合流し解散する流れになった。

「久々にたっちゃんに会えてよかったぁ〜!また近々会おうね!」

「そうね、また会いましょう」

どうやら母達はまた会うらしい。

すると田崎くんが急にこちらへ近ずいてくる。

「どうかしたの?」

「スマホ、貸して」

スマホを貸すと、彼は何かをやっていた。

その何かをやり終えると、スマホを返してきた。

「連絡先、登録しといたから。さっきの続き、そこで話そ」

「う、うん」

どうやら連絡先を入れてくれていたようだ。

可愛らしい猫がアイコンになっている。

彼も可愛いものは好きだったらしい。



家に帰ってからしばらくすると、スマホから通知音が鳴る。それは田崎くんからだった。

『あの時の続きの話しない?』

唐突であり必然的なメッセージだった。だが、あの時彼が言いかけた事は何となく予想がつく。

『うん、そうだね』

そう送ると、すぐに既読が付く。

『てか、お前俺の事好きなの?』

『だったら何』

『なんであの時振ったんだよ…』

『その時はまだ、田崎くんが許嫁だって知らなかったから……』

『そっか……じゃあ俺と、結婚してくれますか』

その一言に私は驚きと喜びを感じた。

『私なんかでよければ』







それから数年が経った。







高校を卒業し、大学へ進学。

大学卒業後、私達は双方の親へ挨拶をし、結婚した。今は仲良くふたりで暮らしていて、お腹には新しい命が1つ宿っている。





夏の両片思いは片想いへとなり、両想いへ変わったのだ。それはまるでレモンピールのような、苦味がありながらも爽やかな甘い恋だったと、今はそう思っている。



この出来事にタイトルを付けるなら……




《 真夏のレモンピール 》




私はそう付けるだろう。

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