鬼灯

@kunimuraouka

鬼灯

狭い体育館の倉庫の中、目の前にいる先生は怒鳴りながら私を蹴りつける。

「お前がどんくさいせいで…迷惑なんだよ!」

「ごめ…んなさい。ごめんなさい」

私はただひたすら謝り続けた。だけど先生の手は緩まるどころか強まっていた。

「お前なんか…お前なんか…しっ!」

足が顔を直撃する……否、先生の足は寸前のところで止まっていた。

「…おい!誰かいるのか!出てこい!」

ここに誰かいるの…?誰でもいい…

ぎゅっと目を瞑って祈る。

「助けて!!」

ゴン。…ドサっ。

硬いものと何かがぶつかった音がしたと思うと私の真横に何かが倒れてきた。

「何…?」

恐る恐る目を開けると、隣には先生が倒れていた。

「ひっ…」

「…死んではないよ。ただ気絶してるだけ」

聞き覚えのある声がして顔を上げると、姉さんが私を見下ろしていた。

「えっ………何で……」

姉さんの手には今使ったのであろう鉄パイプが握られていた。恐怖に怯えていた私に笑いかけると、私に…

ゴン。

さっきと同じような鈍い音が響く。その直後に姉さんが私の隣に倒れた。

「姉さん…?」

「はっ、はは!こんなんで僕をやれると思ったのか!?」

その後ろにはさっきまで倒れていたはずの先生が立っていた。その手には近くに落ちていた鉄の棒を持っていた。

「お前らは僕が…」

先生が私たちに襲い掛かってくる。もうだめだと思った。

……まさにその時だった。

「そこまでだ!大人しくしろ!」

警官たちが倉庫の中になだれ込んでくる。それから、暴れている先生がいとも簡単に取り押さえられ、何かを叫んでいる。私はその隙に姉さんに駆け寄って体をゆする。

「姉さん!起きてよ!ねえ!ねえったら…姉さん!」

私のことを助けに来てくれたのに…こんなのって……

しかしいくら揺すっても、呼びかけても閉じられた目が開かれることはなく、私はそのまま病院に運ばれていくのを見ることしか出来なかった。


そのまま入院した姉さんは昏睡状態になってしまった。

「いつ目覚めるかは分からない。目覚めるのかも分からない」

と先生には言われてしまったそれでも私は起きてくれると信じて毎日病院に通った。話を聞いた姉さんの友達のゆりさんも心配して来てくれていた。ゆりさんとは小さいころから私とも仲良くしてくれていて、もう一人の姉のように慕っていた。姉さんが起きないことに絶望しそうになっていた時も励ましてくれた。それからはゆりさんと2人で毎日病院に行った。ある時は手作りのクッキーを作ってきてくれた。ある時は灯ちゃんに似合うと思ったからと言ってすごく可愛い服を持ってきてくれた。しかし、姉さんの容態は全く変わらなかった。医者にもこのまま眠り続けるだろうと言われて諦めかけていた。そんな時…

「灯(あかり)さん!鬼(きさらぎ)さんが!」

ゆりさんと別れてからロビーで手続きを済ませて帰ろうとしていた時、一人の看護師さんがかなり慌てながら駆け寄ってくる。

「…姉さんが!?」

看護師さんに続いて病室に入るといつも寝たきりだった姉さんが起き上がっていた。

「ね、姉さん!」

駆け寄って抱きしめると、瞳から熱いものがこぼれる。

起きてくれた…もうダメだって思ったけど…起きてくれた…信じてよかった…これで…やっと…

突然腕を振り払われた。姉さんは怯えた表情を浮かべていた。

「…あの、どちら様ですか?」

………え?

私が何も言えずにいると先生が私を廊下に呼び出した。

「記憶喪失ですね。おそらく脳へのダメージが原因かと」

「記憶…喪失?脳へのダメージって…」

あの時先生が持っていた鉄の棒を使って、かなり強く殴ったのだろう。

だとしても…こんなのって…

「回復した事例もあります。これからまた、治療を始めますので。ひとまず今は…」

それから先生に何かを言われた気がするがいまいち覚えていない。それほどショックだったのだ。

せっかく起きてくれたのに記憶喪失………?それじゃあ……私は…

「灯ちゃん!鬼はどうだった…?」

病室を出るとゆりさんがいた。看護師さんが呼んでくれたようだ。ゆりさんに心配そうにみつめられて我慢していたものが決壊した。

「ゆりさ…ううっ…」

突然泣き始めてしまった私を見て、驚くよりも先に背中を優しく撫でてくれていた。泣いて、泣いて泣いて…ようやく落ち着いてからゆりさんに全てを話した。初めはショックを受けていたが、少しすると私の頭を撫でながら言った。

「…もしかしたら私に出来ることがあるかもしれない。私も鬼に会ってくる」

優しく微笑んでから病室に向かった。昔からどうにもならない時に私達を引っ張ってくれたのはゆりさんだった。なんにでも強気な態度で挑んで私達を助けてくれた。頼れるお姉さんだった。

ゆりさんは強いな…私も見習わないと。

ようやく落ち着いてきた私も病室に戻ろうと立ち上がる。

「あら、さっき一緒にいた子は?」

いつも会っていた看護師さんがどこか不安そうに聞いてくる。

「ゆりさんならさっき病室に…」

看護師さんは私の言葉を聞くと顔色を変えて何かを決意した表情になる。

「早く先生に伝えないと…今ならまだ、間に合うかもしれない」

「間に合うって…何がですか?」

「それは……」

なかなかいい出そうとしない態度に少しイラッとした。

「はっきり言ってくださいよ!」

「っ……あ、あの子が鬼さんを…こ…殺すって言ってたのよ」

看護師さんの予想外の返しに言葉を失った。

殺す……何言って…ゆりさんが…?

「えっ…そ、そんなこと…」

「‥私、前に彼女が鬼さんを殺そうとしているのを見ちゃったのよ」

看護師さんの話によると、数日前の夜中の巡回の時に偶然ゆりさんが包丁をもって姉さんの部屋に忍びこんでいるのを見てしまったらしい。

その事を知って色々な感情が湧いてきたが中でも怒りが湧き上がってきた。

「ならなんで今まで黙ってたんですか」

「…脅されてたの。他の人に言ったら殺すって」

体を震えさせながらいう彼女が嘘をついているとは思えない。でも本当にゆりさんが…?信じられない……だけど悩んでいてもしょうがない。今は病室に向かおう。

目的が分かると自然と気持ちは落ち着いていた。今は真実を知ることが先だ。

恐怖で座り込んでしまった看護師さんを置いて病室へ向かった。病室の扉を開けると…そこには誰もいなかった。

「姉さん…?ゆりさん…?いったいどこに…」

「あら、灯ちゃんじゃない。」

後からいつも姉さんのお世話をしてくれていた看護師の宮野さんが入ってきた。

「あ、どうも。あの、姉さんは…」

「鬼ちゃんならさっき屋上に行ってたわよ。外の空気が吸いたいってね…あら?」

宮野さんの言葉を聞き終える前に私は走り出していた。

もし、本当にゆりさんが姉さんを…殺そうとしてるなら…

肩で息をしながら屋上の扉を開く。そこではゆりさんが姉さんをフエンスの方まで追いやっていた。ゆりさんの表情は鬼のようだった。

「ゆりさん!」

私が二人の間に割り込むと二人は驚いて私のほうを見ていた。

「あんたは…」

「っち…まさか来るなんて思わなかった…誤算ね。まあいいわ二人とも殺せばいいだけだし」

ゆりさんはいつもの態度から豹変していた。優しいゆりさんはどこにもいない。別人だった。

「ゆりさん…なんで…」

「…ずっと前から嫌いだったの。殺したいくらいね」

「どうして…?私何かし…」

記憶がない姉さんは申し訳なさそうに見ていた。それがゆりさんに火に油を注いだようで、喉がかれるほどの大声を上げた。

「あんたは…翔くんを奪った!」

ゆりさんが辛そうな表情で糾弾する。

「翔…もしかして姉さんの彼氏の…」

最近告白されたと言って喜んでいたっけ。しかも前から気になっていた人だとか…

「そうよ!私のほうが前から好きだったのに…告白だってしたのに…」

ゆりさんの瞳から涙がこぼれる。

「彼の家までついて行ったり、彼の持ち物をもらったり、彼に毎日電話したり…それなのに…どうして私じゃなくてお前なの!!!」

「危ない!」

ゆりさんが怒りに身を任せて姉さんを突き飛ばす。…その一瞬前に姉さんを突き飛ばす。姉さんは驚いた表情でこちらを見ていた。

…と、私の体がふわりと浮かび上がる。体が自由落下しているのだと認識した。上には同じように落ちているゆりさんがいる。

「邪魔しやがって!くそ!くっそっっっ!あと少しだったのに!!!」

ああ。私ももう死ぬのか…最後に姉さんに恩返しできたかな。だけどあの日からずっと伝えたかったことは言えなかったな…

ゆっくりと目を閉じて心の中で呟く。

………今までごめんね。姉さん。

ぐしゃっという何かが潰れた音を最後に私の意識はなくなった。


「あああああああああああああああああああああああああ!!」

軽食を買いに外に出ていて帰ってくると屋上から叫び声が聞こえた。それから何かが倒れた音が響いた。

…これはもしかして鬼の…!?

そのことに気づいて急いで屋上へと走る。屋上についたがそこには鬼はいなかった。

「鬼!どこにいるの!」

そこにいた看護師さんが落ち着いてくださいと話しかけてきた。

「さっきここで倒れていた方なら病室に運ばれましたよ」

早く鬼に会いたい。…無事でいてね…鬼。

私は病室へ急いだ。

病室には何人かの看護師さんと先生、ベッドに横たわる鬼が居た。

「これは……!?」

「あ、お母様。落ち着いて聞いてくださいね…」

その後、一人の看護師から全てを聞いた。灯とゆりさんが屋上から落ちて死んでしまったこと。事故か、殺人か、自殺なのかはわからないこと。鬼はその状況に立ち会ってしまたようで、あまりのショックに気絶してしまっていること。

突然のこと過ぎて悲しむも出来なかった。ただただ立ち尽くしていた。腕の傷がじくじくと傷んで、これは現実なんだと思い知らされた。

そんな…これからどうしたらいいのよ…

その後、目を覚ました鬼はゆりちゃんのことも…灯のことも忘れてしまっていた。お医者様からは、精神的ダメージが多かったせいだと告げられた。それから検査のために何日か入院していたが、体の異常は見られないということから、退院することになった。

「…鬼。そろそろ行くわよ」

私が声をかけると鬼は弱々しく笑いながら立ち上がった。

「分かったよ。母さん」

まだ少し痛む腕を摩りながら、これからは私がこの子を支えていくんだ。今度は絶対に守る…そう心に誓った。



ーーーーーーーーーーー


灯が顧問の先生にいじめられていると聞いて今がチャンスだと思った。

今日こそ日ごろの恨みを返すんだ。

青くなった痣を摩りながら、鉄パイプを手に取って家を出た。


うっかり音を出してしまい顧問に気づかれた。本当は最後の最後に出るつもりだったのに。…しくじった。このままだと私も危ない、そう思って持っていた鉄パイプを顧問の頭に振り下ろした。


…助けてしまった。こんなつもりじゃなかったのに。ミスった。ミスった。ミスった…

後悔に苛まれている中、灯が大きく目を見開いて私の背後を見る。その瞬間頭に激痛が走って意識を失った。



目が覚めると目の前には真っ白な天井が広がっていた。突然、勢いよく扉を開けて入ってきた女の子に抱き着かれた。途端に恐怖が私の体を駆け巡る。

…怖い。怖い。

咄嗟に彼女突き飛ばした。驚いている彼女にそれまで思っていたことをぶつけた。

「…あの、どちら様ですか?」

その言葉を聞くと彼女は目を大きく開いて固まってしまった。そんな彼女を先生が部屋の外に連れて行った。看護婦さん達から話を聞くとさっきの子は私の妹らしい。…そのことを聞いても理解出来なかった。

彼女とは初対面のはずで…あれ?私は…誰?


ゆりという私の友達だと名乗る女につられて屋上に行った。外の空気も吸いたかったから丁度よかった。

「お!めっちゃいい景色だよ!こっちおいでよ」

女がフエンスにもたれかかって手招きする。恐る恐る隣に寄り掛かると女が話し始めた。

「でも本当に記憶喪失なんだね」

「…はい」

「なら翔くんのことも覚えてないの?」

「…翔くん…?」

私が困惑すると、女の態度が急変した。鬼のような形相で睨みつけてきた。

「信じられない!あんたって本当に最低な女ね!生きてる価値ないわ!今ここで…死ね」

死ねと言われた寸感、脳に電撃が走り、いろいろな風景が流れ込んでくる。


「あんたは私のサンドバックなんだから逆らうなよ」

部活帰りの妹の鬱憤ばらしに殴られ、蹴られ、切られ……あちこちにあざや切り傷ができた。

父さんは小さいころに死んでしまって、唯一の親である母さんも妹の暴力にあっており何もしてくれなかった。助けてくれなかった。

そんな日々が続いた。

何度も死のうと思った。死のうとした。だけど怖くてできなかった。

そんな時、翔くんが私に好きだと言ってくれた。嬉しかった。…親友の好きな人だと知っていたけれど私はそれを受け入れた。私も密かに彼に憧れを抱いていたから。

彼との時間は幸せだった。私も幸せになれるんだ、なっていいんだって思ったんだ。

…だから、そのために努力しようと思ったんだ。


「ゆりさん!」

灯の声が屋上に響く。

…ああ。獲物が自分から来るなんて運がいいな。…いや、これこそが私の天命なのかもしれない。

この二人をどうしてやろうかと考え込む私を尻目に二人の問答が続く。

くだらない。本当にくだらない。ゆりの言っていることは支離滅裂で、私には到底理解なんてできなかった。…いや、違うな。まず、理解しようともしなかった。翔くんに色々してもらったと言ってはいるが、それは間違いだ。全部ゆりが勝手にしていたことだ。

勝手についていって翔くんの家を特定したこと。勝手に翔くんのものを盗んでもらったと思いこんでいること。勝手に何度も電話をしてきて翔くんが眠れなくなってしまったこと。全部翔くんが教えてくれた。ゆりは翔くんからすればただのストーカーなのだ。それなのに調子のいいことばかり言って…本当に最低な女はどっちなんだろうか。

ゆりが怒りの頂点に達してついに動き始めた。それからはスローモーションのように時が過ぎた。ゆりが怒りに身を任せて私を突き飛ばそうとする。…が、それとほぼ同時に灯が私を突き飛ばして代わりに突き落とされる。私は屋上から投げ出された灯を横目に見ながら、ぎりぎりフエンスに引っかかっていたゆりの背中を押した。

「なにっ!」

「ばいばい」

落ちている最中も何かを叫んでいるようだったが私には理解できなかった。数秒後にぐしゃっという音がして二人が動かなくなる。

…今更助けようなんて虫唾が走る。

最後に見えた灯のどこか満足げだった表情を思い出して舌打ちする。

「許すわけねーだろ。ばーか」

でも、これでやっと私は幸せになれるんだ。やっと…幸せに…!

今まで私を縛っていたすべての鎖から開放された気がした。自然と笑みがこぼれる。

「…は、はは、ははははははははははははははははははははははははは!」

屋上に笑い声がこだまする。

…そうだ。ちゃんと完璧にやらないと…そうだ。最後まで完璧に。あの二人を忘れて、私は悲劇のヒロインになればいい。その後は幸せに過ごすんだ。何にも縛られない自由な生活を送ればいい。シナリオは完璧だ。あとはあの二人を忘れればいいんだ。そうすればもう悩むことはない。そうだ、忘れてしまえばいいんだ。

忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ。…忘れろ!

その後私の意識は途絶えた。


~Happy end?~

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