第2話

 突如私を襲ってきたナギと名乗る少女。始めの頃の余裕は鳴りを潜め、鬼の様な形相で私を睨み付けている。


 体には多数の切り傷が出来ていて、見ている方が痛くなってくる。彼女の着ていたブレザーの制服はビリビリに破れて、オレンジ色のブラジャーだけが残っている。

 下半身も服装こそ無事だが、その脚にはこれまた多数の切り傷が出来ている。


 …え? 『切り傷』っておかしくない? 私の作り出した(?)壁の下敷きになってしまった事が理由ならば、打ち身の跡があっても不思議は無い。けれども『切り傷』、それもあんなに多数の傷は付くはずが無い。


 彼女に関しての事柄は何もかもが理解不能な事だらけだ。これは私が中学生でそれだけの学力しか持ち合わせていないからでは無く、仮に物理学の教授であっても何一つ説明し得ない事だと思う。


 ただ一つ、間違いなく確かに分かっている事は『彼女が激怒している』という事だ。これだけはハッキリと分かる。


「もう怒った… 命だけは助けてやろうかと思ってたけど、シワシワのミイラになるまでエナジーを搾り取ってやるよ!」


 と高らかに宣言した。これは私を殺す、という殺人予告に他ならないと思うのだが…?


 こんな危険な人物、まともに相手していられない。

 私はもと来た道、学校の方角に踵を返して走り出した。角を途中で曲がれば駐在所に行ける。ひょっとしたら駐在の富岡さんが戻ってきているかも知れない。


「逃がすわけないでしょっ!」


 背中に彼女のヒステリックな声を聞く。

 後ろを向いていたので何が起きたのかは分からない。

 10メートル程は距離を取っていたはずなのに、私の両脚の脹脛ふくらはぎに鋭い痛みが走り転倒してしまった。


 痛みの元を確認すると『やはり』と言うか、切り傷が出来ていた。

 きっと彼女はカミソリのような刃物か何かを飛ばして攻撃しているのだろう。


 昔の女ヤンキーはカミソリで戦っていた。お父さんの持っていた古い漫画で見た事があるから知っている。

 でも投げたと思しき刃物がどこにも見当たらないのはちょっと不思議…。


「何考えてるのか知らないけど余裕あるわね…」


 体中傷だらけで荒い息を吐きながら彼女が言う。私がほぼ一方的に攻撃されているにも関わらず、怪我の度合いは明らかに彼女の方が深い。

 もし事情を知らぬ誰かにこの場面を見られたら、私の方が加害者扱いを受けるかも知れない。


 私は脚の痛みを押してどうにか立ち上がる。足を引き摺りながらなら何とか歩けるだろうけど、走って逃げるのは多分無理。


 ここで彼女を撃退するしか無いの…?

 それ以前に私にそんな事が出来るの…?


 私は先程やってみた様に、彼女に対して両手を伸ばした。

 これで何が出来るのか分からない。先程の様に壁を作り出せるのかも分からない。

 けど、このまま何もしなかったら本当に殺されてしまうだろう。

 こんな田舎の村で恋も知らないまま死にたくないのだ。

 覚悟を決めるしかないだろう。


「…顔つきが変わったねぇ。でも属性の相性はどうする事も出来ないよ!」


 …やっぱり何らかの『相性』のような物が設定されていて、彼女の自信はそれに裏付けられていたのだ。


 そんなの、何かズルいじゃないか…。

 どうすれば良いのかは分からないけれど、負けられない理由が一つ増えた。


 壁を作り出しその陰に隠れる。なぜ私にそんな力があるのか、その理由も原理も知らないまま、私はその力を使っている。


 脚の痛みはいつの間にか消えていた。脹脛の傷跡には土が貼り付いた様に固まっていて、出血を塞いでいる様にも見える。

 これなら普通に歩けるし、もしかしたら走れるかも知れない。

 でもこれ、破傷風とか大丈夫なのかな? 後でちゃんと消毒しないとね…。


「なめんじゃないよっ!!」


 彼女の叫び、そして今までで一番大きな風切音が響く。

 私には壁の反対側で彼女が何をしているのかまでは分からない。分からないけれど、多分、恐らく彼女は凄く怒っていて、更に私を侮っているはずだ。


 ならばここで慎重な行動は取らないだろう。力でねじ伏せようとしてくるとしてくるだろう。


 ならばそこに私の付け入る隙がある… と良いな…。


 壁が大きく振動し、ヒビが入る。


「何度も同じ手をっ!」


 声と同時に壁が爆ぜる。多分彼女も『同じ手』で壁を破壊したのだろう。

 壁が無くなれば、そこには圧倒的な力に怯えて無防備に立ちすくむ私が居る…。


 …とでも思った?!


 さっき傷を確かめる時に少しかがんだ。その時に砂をひと握り仕込んでいたのだ。


 これでもくらえっ!


 砂を投げつける。怒りに任せて見開いた彼女の目に多量の砂が入り、大音量で苦しみの声が上がる。


 ここで逃げるか? 追撃するか?


 考えるまでも無い。さっきは逃げようとして怪我をした。彼女は10メートルかそれ以上の攻撃射程を持っている。


 もう一度壁を作って彼女に倒れかけさせる。仮にまたこの壁が壊されても逃げる時間は稼げるはずだ。


 壁が現れた。彼女に倒れていく。一度見ている光景、このまま倒れてそれで終わりにして欲しい。


 だが、その見通しはやはりと言うか甘かったようだ。


 私の作戦を最初から察知していたかの様に、彼女は後ろに飛び退すさった。

 まだ目は開いていない。それでも体の動きは次の事態に対応出来るように、力を抜いて隙が無い。


 彼女はゆっくりと自分の履いているミニスカートに手を掛ける。すでにボロボロではあるが、まだ大事な所を隠す程度の残りはあった。


 そして彼女は自身に残されたその布切れを剥ぎ取った。もはや彼女はオレンジ色で揃えられた上下の下着しか身に着けていない。


 私にはこのタイミングで服を脱ぐ意味が分からない。しかし、彼女から感じる威圧感がそれによって大幅に膨らんだ事は間違いが無かった。


「ありえない… 土の女ごときにこの私がここまで… 許さない… 絶対に許さないっ!」


 再び叫ぶ彼女。彼女を中心に竜巻が巻き起こる。そしてその風の奔流は彼女に吸収される様に体の中に収まっていった。


 あまりにも現実離れした光景に、私は身動き一つ取れずにいた。

 今目の前で起きている諸々の事は、果たして本当に現実なのか? あるいは私は知らぬ間に異世界とかに連れこられているのだろうか?


「ふ、ふふふっ、ここまで精霊と深く繋がったのは初めて… 体は引き裂かれそうに痛いけど、心はとっっっても気持ちいいわ!」


 屈託ない顔で微笑む彼女、ようやく開いた真っ赤なその目には確かな狂気が宿っているように見えた。


「手足を引き千切って、顔中涙でグズグズにして、命乞いをさせながら殺してあげようと思ったけど、私を新しいステージに導いてくれた事だし、一瞬で全身ミンチにして殺してあげる…」


 もうここまでなの…? 彼女から感じられる力の波動は私からあらゆる選択肢を除外していく。

 勝てない、逃げられない、話も通じない、隙も作れない…。


 詰んだ… 私の人生ここで終わり… せめて一度東京に行って思いっきり遊んでみたかったな…。


 諦めて視線を落とす、目を閉じる。諦観、何もない絶望、虚無、人生を諦めるとこんな気持ちになるんだね。出来ればそんなの知りたくなかった…。


 一瞬でミンチにされるって事は、一瞬で死ねるって事だよね? 痛かったり苦しかったりしないのならそれも良いかな? と思わない事もない。


 ………………。


 あれ? 何も起こらない…?


 恐る恐る目を開けて前を見る。ナギと名乗った半裸の女の子の後ろに長い赤髪の別の女の子が居た。


 その子はナギの後ろから密かに近づいて何かをした様に見えた。その瞬間にナギの全身が燃え上がったのだった。


 先程とは打って変わって悲痛な叫び声を上げるナギ。血と肉の焼ける匂いが辺りを包む。

 幻覚とかじゃ無くて本当に燃えているの?


 赤髪の女の子が燃えているナギの首筋を掴むと、ナギを包んでいた激しい炎はまたたく間に消え失せた。

 赤髪が何かをしたのか、そのままナギは白目を剥いて気絶してしまった。


「風の子ゲットぉ! ごちそうさまぁ」


 状況に全くそぐわない、ニッコリと微笑む赤髪の女の子。

 私の混乱は更に加速する。一体何がどうなっているのか…?


「えーと、あんたは土の子だよね? あんたとはやりあう気は無いんだけどどうする? あたしとりあいたい?」


 変わらぬ彼女の笑顔に、私は残された力の全てを使って首を横に振った。

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