辛島COLORS
宗則と洋子が千宏ちゃんに質問されてバイクに乗り始めたきっかけを話している。
私はトマトと二人で辛島にバイクに乗り始めたきっかけを聞いている。内容的には同じなんだけど、少しずつ場が二つに割れつつある。それでもみんなの話がある程度纏まって一つにはなっている、不思議な感じ。
宗則は実家が田舎で早々に手に入る足としてバイクが一般的なところだったという。暴走族や走り屋、通学や家業の手伝いなど、接し方はバラバラだったが、そんな中、宗則の近所の兄ちゃんたちは元暴走族でも疾りメインのチームの人や、東京でバイク便をしていた人、また父親の友達も昔レースをしていた人などが多かったので自然と今の宗則が形成されていったとか。
洋子についてはちょっとこそばゆい。バイクに元々興味はあった洋子だが、いつも機能重視のライディングウェアを着ているユキのイメージが強かったらしい。ユキから私を紹介してもらって洋子の中のバイクに乗るかっこいい女性像に近いと思ってくれたみたい。ただ、今はバイクとの色んな付き合い方を知って、ユキにはユキに合った付き合い方、孝子には孝子に合った付き合い方ってのがあるんだなと思えているとか。
そして辛島。実はこの前孝子と話してから、私は辛島のことが気になっていた。身近に憧れるような人がいて乗り始める、辛島もある意味私や孝子と同じような動機。
辛島が兄の影響でバイクに乗り始めたってのはみんな知っているところだが、今日は中学の頃に入りたかったM.C.(モーターサイクルクラブ)があったということを話してくれた。最初、辛島はCOLORSという言葉を使った。
意味的には私が言っている〝看板〟と同じなんだけど、元々の発祥の地アメリカでは看板のことをそう呼ぶらしい。他にもMCパッチとか、これは日本でも良く聞く呼び名。
そこからは私の言い方に合わせて看板って言いなおしてくれたけど、辛島が背負いたかった看板は、その背中を追いかけているうちに消えて無くなってしまったそうだ。
辛島の兄が社会人になって友達たちと作ったクラブ。辛島は兄が認めてくれたら同じ看板を背負っていいと言われて、中学の頃からバイクの免許を取るのを楽しみにしていたんだけど、自分がバイクに乗る頃には兄もその友達たちもその看板を着て走らなくなっていた。
そもそも発足自体が、既に看板とかそういうのが流行らなくなってきていた頃だったらしい。
辛島兄は一見硬派だが根っこの部分ではミーハーで適当な性格らしく、いつもバイクにステッカーを貼るのがダサいとか言っていたのに、いざ車を買ったら買ったでステッカーを貼りまくったりとか。まぁそういう人だったみたいだ。
やっとバイクに乗り始めた今の辛島にとって、看板ってものに対する思い入れは寧ろ私なんかよりよっぽどあったのだろう。そういう感情もあって、この前の飲み会で今も恥ずかしげもなく看板を背負っている私に対して嫌な言い方をしてしまったと思います、と改めて私と洋子に謝った。
心の中で「ブラコン……」と思ったが口には出さなかった。
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