『小さなお話し』 その192
やましん(テンパー)
『銭湯宿』
《これは、フィクションです。一部、ある地域に伝わる複数の伝承を参考にいたしましたが、内容はすべてフィクションです。》
ぼくは、ある古い、海岸沿いの街の銭湯兼宿屋の二階に、今夜の居場所を定めた。
観光地になっている江戸時代の街並みが残る地域から、通り一つ向かい側の、自動車などはちょっと通れないくらの路地を入ったところにある銭湯だった。
宿屋と言っても、部屋はみっつかよっつくらいだろう。
二階の窓からは、映画のように、まど枠に座り込んで、通りがよく見える。
もっとも、ぼくのようなおじさんでは、通りから見ても、いっこうに、旅情も湧かないだろうが。
大通りを向こうに行った先は、かつての代官所の跡なのだそうだ。
今は、観光施設になっている。
ひっそりとした、今の、この僕の居場所とは大違いな、国際的な観光スポットだ。
そこで、裁判を受け、死罪とされた人は、このぼくの目の前の細い通りを歩かされて、刑場に向かったと言う言い伝えになっているらしい。
もっとも、ぼくは、その跡地を探そうと言う意志はない。
ぼく自身が、社会から死罪を言い渡されたようなものなので、そのような気は進まない。
罪人といっても、冤罪のようなものや、弾圧もあったかもしれない。
ほどなく、女将さんがやってきて、注意事項というものを教えてくださった。
「この窓からは、時々、変わった風景が見られることがあります。現象と言うべきでしょうか。深夜、古風な人々の行列が通ることがあります。それは、おそらく空間が記憶しているまぼろしなのです。見ているだけには問題ないようですが、部屋の電灯は消さなければなりません。また、表に出たり、声を掛けたり、もし、掛けられても、会話をしてはいけません。そういうお話しになっています。それは、処刑場に向かう一行の姿だとされていますから。でも、見える人にしか見えないのです。」
「どうなるというのでしょう。」
「さあ・・・・実際に起こったことは、ほとんどございませんから。ただ、突然姿を消したお客様があったことは、まあ、あったような。と、大女将からは、聴きましたのですよ。あ、ほほほほほほ。ここは、散歩コースです。寝られぬ夜には、散歩している外国のお客様も多い。ほほほほほほほ。お客様と、その不可思議な現象の、まあ、周波数と言いますか、それが一致すると、見てしまうとか。」
「ラジオみたいですね。」
「そうです。おっしゃるとおりです。この横の小さな川は、あちらの海につながっていました。今も、つながってはいます。もっとも、昔のように、船で行き来することはありません。そこの海岸には、大きな灯篭がありますよ。では、ごゆっくり。お湯は、11時までですから。」
「ども。」
お風呂をいただき、テレビを点けてみたが、やっていることは、この国のどこも同じものだ。よくも、こうした均一なサービスが成り立つものだと思う。
まだ、9時過ぎだから、ちょっと表回りを散歩したが、人通りも少なく、観光地としては、実に質素なものだ。
まあ、そこが良いのだろう。
大灯篭も見た。
さすがに、そこには観光客が集まっていた。
ただ、ぼくは、疲れていた。
疲れ切っていた、と言ってよい。
死に場所を探して、首都圏から流れてきているのだから。
それでも、人と言うものは、そう簡単には、この世との縁は切れないものだ。
いつものように、睡眠導入剤を飲んで、ぼくは、いつの間にか、寝てしまっていた。
午前2時過ぎ。
9月だと言うのに、やけに暑い。
起きてしまったから、仕方ないから、せっかくなので、窓際に座ろうと思ったが、女将さんの話を思い出して、電灯は消した。
べつに、変わったことがあるわけでもない。
実際、ときどき、観光客らしい人が通る。
お酒が入っているらしい人もいる。
海からくる潮風が、気持ち良い。
ところが、こういうときは、突然と、霧が湧くことになっているらしい。
彼らは、海から湧き上がった、その霧と共に現れた。
大盗賊の処刑のような、はでな感じではない。
10人くらいの、小さな一団だ。
役人らしい服装の人物。
何かの、役割を帯びたらしい、やや緊張した一団。
そうして、綱に繋がれた小さな男。
その後ろから、身内なのか、村役なのか、よくわからないが、町人らしい人が数人。
ひとりは、女性らしい。
ぼくには、このあたりの儀式の方法などの知識はない。
ぼくが通っていた、いささか、田舎の大学のあった温泉町にも、処刑場跡があった。
当時、ある、教授が語った伝承話しでは、そこに幽霊が出るという噂に反発した地元の新聞記者が、夜中にその跡地に挑戦したのだが、彼は、その後、仕事は続けられなかったらしい。
なにがあったのかは、わからないのだと言う。
ぼくは、比較的近くに下宿していたが、そうした話は、まったく聞いたことがない。
まあ、真夜中に、下宿の二階の窓を叩いて『酒のみに行こう。』と、言った御仁はあったのだが。
はっきりした、言語だった。
ただ、どうやって、つたう物がない二階の窓を、手で(その部屋の同期の方は、手を見たのだそうだ。)叩いたのかは、いまだにわからないが、もはやその下宿もなくなっている。
この、霧の中の光景は、そうした、やや諧謔的な雰囲気とは違う。
とても、声を掛けられるような雰囲気ではない。
そうして、最後について歩いていた、その女性が、突然、顔をあげた。
なぜだかわからないが、その顔は、はっきりと見えた。
『なんで、君が、そこにいるんだ。』
ぼくは、そう、言わざるを得なかった。
そうして、ぼくは、それから、ずっと、その行列の最後を歩いている。
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『小さなお話し』 その192 やましん(テンパー) @yamashin-2
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