第49話


 朝、目を覚ました俺は身支度をするなり大急ぎでロビーへと出た。

 なぜ急いでいるかというと、簡単に言えば少し寝坊したからだ。朝がそれほど強くない体質の俺は一度早くに目を開いた記憶はあるのだが、いつの間にか二度寝してしまっていたらしい。

 スフィーとの集合時間は九時なのにも関わらずもう三十分も回ってしまっている。

 ロビーには予想通りスフィーが目を閉じて座っていた。しかも貧乏揺すりまでして相当ご立腹である。

 恐る恐るスフィーに近づくと、スフィーは貧乏揺すりを止め、ゆっくりと瞼を上げた。そこから現れた黒い瞳にはものすごい殺気が宿っていた。


「遅い…………」


 俺を怒鳴り付ける訳でもなく、ただ静かに声を低くして言う所が余計な怖い。俺は恐縮しながら返事をする。


「すみません…………」

「……何分遅刻?」

「…………三十分です」

「…………理由は?」

「寝坊……しました…………」


 まるで小学生を説教するかのような口調で静かに怒るスフィーに返答するのも敬語にならざるをえない。


「何か言い残すことは?」


 今度は笑顔を浮かべながらスフィー愛用の双剣を取り出してその刃を見せつけてくる。嫌な予感しかしなかった。


「……いいえ…………」

「そうね……だったら……」

「お、落ち着いてスフィー! そ、それは」


 俺の言葉はスフィーに届くはずもなく、容赦なく俺の頭に剣を降り下ろした。


「うぎゃーーーーーー!」


 街の中のために、ダメージもなく、痛みもなく、障壁がスフィーの降り下ろした剣を受け止めたが、それでも強い衝撃は感じる。床に突き刺さりそうなほどに。

 それからとにかく謝りこんで何とか許しを得たものの、あまり口を利いてもらえなかった。それは絶賛現在進行形だ。


「なあスフィー」


 声をかけると早足になって俺より先に行こうとするスフィーを俺が足を早めて追い付く。


「なあスフィーってば!」


 二度でようやく足を止めてくれた。少しため息を漏らすと止まってくれたことに安堵して俺も立ち止まった。


「何?」

「いい加減機嫌を直してくれよ。もうすぐ場所に着くだろ?」

「そうね」


 スフィーは愛想なくそれだけ言うと先を歩いていく。

 現在地は第三十四層戦闘区。スフィーの持ってきたクエストを行うために目的地である泉に向かっている途中。

 情報によるとPKは最前線で攻略組をキルするらしく、《究極のハイディング》に襲われる心配はないに近しいだろう。しかし今はそれよりも問題のことがある。スフィーが言うにもうすぐ着くらしいのだが。


「スフィー! これじゃあ俺達死んでしまうぞ!」


 正直に思ったことを伝えるとスフィーはまた立ち止まった。


「そうね」


 またしてもそれで終わりかと思ったのだが、今度はさっきとは違い小柄な彼女は上目使遣いでねだった。


「じゃあアイス…………やっぱりパフェ、パフェ奢って」


 俺はそれでスフィーの機嫌が直るならと思って返事しようとしたのだが、上目遣いをするスフィーに見惚れて直ぐには返事が出来なかった。


「うん…………」


 やっとの思いで返した言葉を聞いたスフィーはさっきまでと態度が一変して、


「じゃあ決定ね」


 という感じで始めからそれを狙っていて、してやったりと言わんばかりにいつものようにスフィーに戻った。

 そんなこんなでやり合っている間に目的地である泉がある付近へとやって来た。

 三十四層の戦闘区は森林ステージで、道から外れたこの場所ではクエスト受注時に渡されたという地図だけが頼りだ。


「この辺…………だよな?」

「ええ。そのはずよ」


 立ち止まってキョロキョロと周囲を見回して確認する。この辺には道がなく、人も気配がなく、周りには森林のみでPKの心配はない。

 そのまま森林を進んでいくと少し開けた場所があり、その中央に泉はあった。


「行きましょ」


 スフィーの言葉に無言で頷いてからクエストの目的地である泉へと向かった。

 剣を抜いて、いつ出てくるかわからない敵を警戒しながらゆっくりと慎重に少しずつ進んでいく。

 やがて泉の前に着いたが何も起こることはなかった。


「何も……起こらないぞ?」

「おかしいわね。場所はここであってるはずなのに」


 周囲の警戒を怠らず周りを見回しながら話していた刹那、どことなく低めの声が聞こえた来た。


『この聖なる領域を侵そうとするのは汝らか…………』


 その声がどこから聞こえてきたの判らず慌てて周囲を見回す。


「誰だ!」

『私はこの聖なる領域を護る者、侵そうとするやつは決して赦さん!』


 クエストがスタートした。これはイベントだと解っていても侵しにきたと勝手に決めつけられていることに対して無性に腹が立った。


「俺たちは侵しに来たわけじゃない!」

「無駄よ。イベントなんだから」


 解ってはいることを隣のスフィーに指摘されたが、そのことに耳を傾けるつもりはない………………なかったんだが…………。


「ならば何をしに来たというのだ」


 その自称番人を名乗る者の質問に答えることが出来なかった。ここに来たのはあなたを倒すためです。などと言えるはずもない。


「ほらね?」


 その上スフィーから冷ややかな目で見られてしまう。


「とにかく信じてくれ! 俺たちは……」

「問答無用! 汝らは決して赦さん!」


 とにかく弁解しようとするが遮られてしまう。もうどうやら口を利いてもらえないようだ。


「来る…………」


 そんな時不意にスフィーが呟いた。


「どこから!?」


 すっ、とスフィーが指差す方は泉の方だ。その泉を見るとブクブクと泡が出ていた。

 やがてその泡は量を増し、大きくなると、轟音と共に水を押し上げ現れたのは、水色に輝く竜鱗を纏った威厳のある、そして何をも凌駕するその神秘的な美しさを持った聖竜ホーリードラゴンだ。

 水面から持ち上げられた水が聖竜から滴り、それが陽の光によって輝き、神秘的な美しさが倍増する。

 そんな明媚な光景を見入っていたが、聖竜の方はもうとっくに戦闘モードだ。

 水中から空中へと姿を現した水を操る聖竜は挨拶代わりと言わんばかりに水のブレスを放ってきた。

 全く聖竜の攻撃パターンが判らない状況の中で、俺たちは攻略組プレイヤーの本能で俺は左、スフィーは右へと分かれてギリギリのところで回避する。


『ほぅ、今のをかわすか』


 聖竜は威風堂々とした姿から見下すように言うと、二枚の翼を広げ、器用にゆっくりと下降していった。

 そして聖竜が水面に触れたかと思うと、周囲一体の景色が一変した。

 さっきまでとは違い、周り一面が氷のような水色のタイルに囲まれた部屋ような場所になり、俺たちは驚きを隠せない。


『心配するな。ここは戦闘用のフィールド。汝らは一時的にワープしているのだ』


 正面にいる聖竜は俺とスフィーをまっすぐに見据えて説明した。


「そんなことまでされるクエストって結構上位のやつだぞ絶対」

「そのようね。でもやるしかないわ。非常時はワープブロックを使えばいい」

「確かにそうだな」


 俺たちは無言で頷き合うと、まずは俺から駆け出した。

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