第42話

「後少しです!」


 三度フレイセルが呼び掛ける。

 ミノタウロスの眼は赤から紫に変わり、いかにも暴走しそうな様子だ。

 そう思った刹那、ミノタウロスはこれまで溜めていた憎悪値ヘイトを無視していきなり後衛陣のいる場所へと突っ込んだ。

 誰しもが予想してなかった展開にミノタウロスを躱せたのは後衛の半分しかいなかった。いや、半分もいたと言うべきだろうか。

 躱せなかった半分の後衛から痛々しい悲鳴が聞こえてくる。

 しかし、そんな後衛に追い討ちをかけるかのようにミノタウロスはその場で斧を横に引き、『トルネードスラッシュ』の体勢へと入る。

 反対方向にいた俺や前衛はその光景をただ見ているしかなかった。

 何の妨害が入ることなく『トルネードスラッシュ』が放たれてしまう。残っている半分の後衛の内、三分の二はそれをかわすことが出来たが、残りの三分の一はこれまで魔法を使い続けた疲労で、回るミノタウロスの渦に呑み込まれてしまった。

 『トルネードスラッシュ』を食らったメンバーのHPバーがみるみる左へと短くなっていく。突進で食らったダメージもあり、HPバーはなかなか止まらない。そして、赤くなり、無くなった。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 残されたほんの僅かな猶予で悲鳴を上げる一部メンバー達。その声は虚しくも途中で強制的に終了となった。

 そんな見るに耐えない光景を俺は最後まで見届けることは出来なかった。

 ゲームオーバーとなったプレイヤーの中に俺の知っているプレイヤーはいない。ただ、知っているプレイヤーがその中にいたプレイヤーはその人の前で膝について泣いている。

 辺りは少し静まり返った。その中で啜り泣く声だけが部屋の中で響いている。誰一人としてその場から動けず、ミノタウロスも『トルネードスラッシュ』を発動したばかりで動きはない。

 胸が痛む。ここにいる全員が目を背け顔を伏せる。

 だがやはり今はボス戦中なのだ。その人達の気持ちが解らないでもない。というのは俺の勝手な思い込みかもしれない。でも今この部屋にミノタウロスは健在だ。先程も蓄積された憎悪値を無視して攻撃対象後衛に変えた。フレイセルも驚愕していて動けない。

 俺は忘れていたんだ。βの時とは行動が違うということを。デスゲーム前から判っていたはずだったのに。落ち着いて、盛り上がり始めたこの世界で気を緩め過ぎた。サイクロンと狩った時にβと違うと判り、βの感覚だけでは危険だと思っていたのに。

 再び後衛陣のいる場所へとミノタウロスは動いた。混乱した戦況でもう一度『トルネードスラッシュ』を発動されたら甚大な被害が出てしまう。


「くそーーー!」


 気が付けば俺は我を忘れて無心で向かっていた。

 しかしそんな簡単にはいかせてくれない。


「咆哮です! 耳を塞いで!」


 息を思い切り吸い込んで、それが止んだ刹那、今度はそれを勢いよく外へ吐き出した。

 何もしていないプレイヤーはフレイセルの言葉以前から耳を塞いで、走り出していた俺や、まだ嗚咽を漏らしているプレイヤーはフレイセルの行動で咄嗟に行動した。

 少しして戦場が静かになったのを確認して耳に当てていた両手を解放してやったが、ミノタウロスの逆襲が終わったわけではなかった。


「まだです!」


 フレイセルが何を言いたいのか瞬時に理解出来ず、その場で少し立ち尽くす。

 周りを見れば、ミノタウロスを見ているプレイヤーはまだ耳を塞いだままで、それ以外のプレイヤーは何もしていない。

 ミノタウロスを見ているプレイヤーの視線を辿って俺もミノタウロスに目を向けてみると、連続して咆哮を上げようとしていた。俺も即座に耳を再び耳を塞ぐ。

 けれどももう遅かった。既に咆哮は放たれ、耳障りな音が頭にガンガン響いてくる。

 ミノタウロスの咆哮をまともに受けたのは冷静さを失っていた俺を含めて四人と、ステータスダウンが大したことないだろうという甘い考えの剣士三人の計七人だ。

 HPバーの下にステータスダウン中を報せる、四角の中に下向きの青い矢印が入っているマークが表示される。

 正直どれだけステータスが下がったかは判らない。だからこそこの状況は危険だ。

 先程の耳障りな音のおかげで少し冷静さを取り戻した頭でそう考えた俺は一旦後衛の近くまで後退する。

 だが、それとは裏腹にミノタウロスに接近していく人影を三つ視認した。恐らくステータスの低下を甘く見ている三人だろう。

 直感で危ないと悟った。やめろと叫ぼうとした。だけどなぜか口が開かない。

 何度やってもダメ。何をやってもダメ。

 ――くそったれ! この役立たずが! なんでこんな時に何もできないんだ!

 三人に対してエリネス達から「止まれ!」「ダメだ!」「落ち着け!」などという声が飛んでいるが彼らの耳には届かない。

 今からではもう誰も止めに入れない。

 彼らの攻撃は何事もなくミノタウロスにヒットする。HPゲージも相応の量が減る。しかしそれにひるむことなくミノタウロスが通常攻撃の体勢に入る。

 彼らは咆哮どころか通常攻撃さえも甘く見すぎていた。

 一番最初に通常攻撃を受けたらプレイヤーが全然ダメージを受けていなかったせいだ。そのせいで少し動いただけで、完璧に回避しようとはしない。

 しかし、当然のように回避することはできるはずもなく、直撃をくらった。

 彼らはHP満タンの状態だった。だから四分の一から二分の一減ったところで止まると思っていたし、ここにいる誰もが予想していた。

 しかし結果は違っていた。無慈悲にも、四割減ったところでも止まることなく、グリーンゾーンからイエローと通って、レッドゾーンへ。

 そしてまさかの一撃死が起こった。HPバーが0になった三人、周りのプレイヤーは目を見張らせるだけで少したりとも動くことは出来ない。

 ガラスが割れるような乾いた音がして、そこには何も残されず、プレイヤー達の心の中に悔しさだけが残された。


「チックショーーーー!」


 頭の中が真っ白になった。

 最前線プレイヤーともあろうメンバーが、相当の実力を持った仲間が、ちょっとした独断先行で死んでいった。その悔しさが、ミノタウロスへの憎悪へと変わっていく。

 もうじっとしていることはできなかった。

 気が付けば俺は飛び出していた。


「はぁぁぁあああああああ!」

「お兄ちゃん!?」

「ネスト、落ち着いてください!」


 マナとエリネスの声も俺には届かなかった。憎悪にとらわれた俺はミノタウロスに真正面からつっこみ、今使用できる最上級の両手剣技、『ソウルドシール』を発動する。

 黒剣の刃ではなく、面をミノタウロスに向けてそのまま振りかぶり、頭に振り下ろす。

 回避ではなく斧受け止めてくるが、俺はそれを力でねじ伏せるように押し切る。

 『ソウルドシール』の効果も相まって剣の重さが増した俺の攻撃は、斧を真ん中からへし折る。

 さらに剣の面で横から殴りつけると、ミノタウロスは後方へよろめいた。

 その間に硬直時間を消化し、追撃に入る。


「『エアプレス』!」


 昨日の戦闘ではどんな効果か分からなかった魔法を、俺はとっさに叫んでいた。

 当然何も起こらないが、硬直の解けた俺はさらに再度ミノタウロスとの距離を詰める。

 今度はミノタウロスも迎撃態勢に入るが、問答無用で『スクロールスクエア』を発動させる。


「負けるかよぉぉぉ!」


 真っ向からの力勝負を押し切り、攻撃が通る確かな手ごたえがあった。


「『ストリームハンド』!」


 硬直時間を利用して魔法を発動し、ミノタウロスの行動を封じる。

 ミノタウロスの残りHPはわずか。最後の一撃にすべてを込める。


「いっけぇぇぇぇ! 『スクロールスクエア』!」


 俺の漆黒の愛剣が、防御をするのもままならないミノタウロスにクリーンヒットしていく。その一撃一撃に確かな手ごたえを感じながら剣を振りぬく。


「これで終わりだぁぁあああああ!」


 今持てるすべての力を込めて振りぬいた剣は、ミノタウロスを両断して止まった。

 当然HPバーの減少も進み、完全に消えていく──前で停止した。


「お兄ちゃん! まだだよ!」


 両断された上半身だけでもなおミノタウロスは斧を振り下ろし、俺を道連れにしようとしてきたが、斧は振り上げられたところで停止した。

 ミノタウロスのHPバーの上には、青い氷のアイコンが表示されており、バッドステータスである凍傷の状態異常であることを示している。

 俺がHPバーに注目する目の前で、今度こそミノタウロスのHPは0になった。

 真っ二つになったミノタウロスの体が青いエフェクトとなって宙へ舞っていく。

 それを見届けると、わずかな静寂ののち、


「いよっしゃあああああああああ!」

「やったあああああああああ!」

「ついに倒したぞーーーーーー!」

「すげええぇぇーーー!」


 勝利に酔う最前線プレイヤーたちの歓声を聞きながら俺の意識はブラックアウトした。

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