1-5



 約束を果たしたいが、ヴァネッサたちは許可してくれるだろうか。


「ウィル?戻りましょう」


 リアンにそう言われ、後をついていく。


 後ろ髪を引かれるように、何度か振り返った。


「どうしたんです?。ウィル様」

「え?いや、なんでもないよ」


 そばにいたハンスに訊かれ曖昧に答える。

 結局、そのまま敷地内に戻ってしまった。


 戻るとそこにはスチュアートとミレイが、準備が終わり待機中だった。

 レスターと何やら話しをしている


 シンディが革封筒を取ってきてそれに遺書を入れる。それをスチュアートの竜の鞍に付けてある鞄に代金とともに入れた。


「山賊にあっても、まともにやりあうんじゃないよ。駆け抜けな」

「了解」

「ミレイ、あんたもだよ」

「はい」


 ヴァネッサの言葉に二人が頷く。


「気をつけて」


 リアンも声のかけた。僕も何か言わなければ。


「よろしく頼む」


 二人は敬礼で答えてくれた。そして出発して行った。

 

 スチュアート、ミレイが出て行った、門を見つめる。


「行って帰って来るだけだから、心配する必要はないよ」


 ヴァネッサはそう言ってくれたが…違うんだ。そうじゃなくて。


「ヴァネッサ…その、もう一度、外に出たいんだけど…だめかな?」

「出たいって、もう挨拶は済んだし、やることはないんじゃないの?」

「そうなんだけど…その…」

「はっきり言わないとわかんないよ」


 彼女がちょっとイラつきはじめたようだ。


「実は、ある人と約束をしたんだ、ドアが壊れて閉まりが悪いから直してくれないかって、それを引き受けて…」

「え?ウィルが直すの?」 

「もちろん、僕が直すよ」


 リアンが不思議そうに訊いてきた。


「ウィル、あんたは商人だよね?そんなことできんの?」

「できなきゃ、断っているよ」

「だよね…」


 ヴァネッサは腕を組み、唸る。


「ミャンには約束を守れと言っておいて、領主の僕が約束を反故にしていたら立場がないよ」

「うん…まあ…わかったよ…」


 彼女はため息を吐きつつ、承諾してくれた。


「ありがとう、ヴァネッサ」

「俺は行きませんよ」


 ガルドが僕を睨みつける。


「ガルド…」

「お前、余計な仕事増やしてんじゃねえよっ」


 彼が近づき凄む。

 僕は彼の威圧感で、後ろに下がってしまった。


「やめな」

「隊長だってそう思ってるだろ?」


 ヴァネッサは答えず、ガルドを睨み返す。


「あんたね、言葉づかいに気をつけな」

「ガルド。あなた、失礼よ!」


 リアンが僕とガルドの間に立って見上げ、睨む。


「領民との約束を守る事のどこが、余計な仕事なのよ!」

「それは…約束したのは領主になる前で…」


 彼女の言葉にガルドはバツが悪そうに視線をはずす。


「あなた、単にウィルの事が気に入らないだけでしょ?さっきから」


 彼女の言葉は止まらない。


「いつまでもそんな無礼な態度をとるなら、ここを出て行きなさい!今すぐに!」 


 門の方を指差す彼女。ガルドは萎縮してしまい何も言えない。


「あー、ガルドのやつがすみません」


 レスターがガルドとリアンの間に入る。


「リアン様、それくらいでご容赦ください。ウィル様、俺が行きます」


 彼はそう言うとガルドを後ろに押しのける。


「ほら行けよ、.もう」 


 ガルドは黙ったまま、厩舎の方へ去っていく。ヴァネッサの力の篭った蹴りをお尻に受けて。


「ごめんよ…後できつく言っておくから」

「僕は別に…」

「ヴァネッサが謝ってどうすんのよ。ウィルも言い返さないと、約束を守る事は大切なことよ。全然間違ってない」

「うん、そうだね…」


 あそこで言い返しても彼の反発は変わらないと思う。


「それじゃあ、行きましょ」


 リアンが歩き出す。が、彼女の肩をヴァネッサが掴み止める。


「リアン、あんたは行かなくていいから」

「えー、私も見たい。ウィルがドア直すところ」

「見せ物じゃいないっての。あんたを護衛するのに人数を割かなきゃいけないし、それこそ余計な仕事じゃないか」


 リアンはかなり不満ようでアレコレ理由を言っていたが、ヴァネッサにかわされ行けなくなってしまった。


 僕は別にいいと思っていたけど、ヴァネッサの護衛するのに人数を割かなきゃいけない、を聞いては、何も言えない。


「すぐ戻るし、どんな事をしたかは話すから」


 不満気なリアンにそう言って出発した.。


 自分の荷馬車から道具を持ってきて外に出る。


「それで、誰の家に行けばいいの?」

「えっと、ベックさんの向かい側」

「ベックの向かい側は…デボラだね」


 そうそう、デボラさん。

 

 デボラさんの家に行く道すがら誰に訊くわけでもなく話した。


「ガルドのようの納得いかない兵士は、どれくらいいるのかな…」

「だから、そういうの気にするんじゃないよ」

 

 ヴァネッサはそう言うが…。気になってしまう。


「他のヤツは知らないけど、ガルドのヤツは不安なんですよ」

「不安?それはみんなそうなんじゃないかな。僕みたいのが領主なったら。逆の立場ならそう思うよ」

「そういうんじゃなくて、ウィル様の事を知らないから、不安であんな態度になっているんですよ」

「ガルドの旦那、人見知りとか子どもすか」


 後ろを歩いていたハンスが笑う。


「そういやそうだったね。初めて会った時も”おう”だけだったし、”ああ” ”いい” ”いや”こんなのばっかりで会話にならないんだよ」


 ヴァネッサも思い出しつつ笑う。レスターも笑っていた。

 

 人見知りか…僕も初対面は緊張するけど。


「そういうのは時は酒ですよ。酒を酌み交わしてトコトン話す。これですよ」

「それはいいかもね」


 お酒を飲んでお互い本性をさらけ出す、それ仲良くなることはよくある。


「それは無理だね、なんだってガルドは…」

 

「「下戸だから」」


 ヴァネッサとレスターが揃ってそう言って、笑い出す。


「マジすか」

「そうだよ。いかにも飲みそうな感じなのに、一滴も飲めないなんてね」

「ハンス、絶対にからかったりするなよ。殺されるぞ」


 レスターも笑いながら、ハンスに注意した。

 注意されたハンスは肩をすくめつつ笑いながらしませんよと答えた。


「お酒がダメなら、時間をかけるくらいしかないのか」

「ええ。ウィル様も言ってた通り、人となりや仕事ぶりを見てもらう、これが一番早い。おれはそう思います」

「あたしもそう思う。あんたは領主としてやっていれば、それでいいよ。ガルドとは顔合わせしないようにしとくから」

 

 レスターもヴァネッサも気を使ってくれている。でも頼ってばかりではいけない。


「ありがとう。でも、ガルドとはできれば話をしたい。僕の事を知ってもらって、納得してもらう。僕はそうしたい」


 ヴァネッサが苦笑いを浮かべながら、僕の肩に肘をのせてくる。


「ねえ、あんたのその度胸はどこから来るの?」

「どこって、言われても…」

「あんたがそうしたいなら止めないけど、あたしの見える範囲でやってよね。そうじゃないと責任持てないよ」 

「ああ、うん」


 流石に二人っきりは怖いかな。

 

 前を歩いていたレスターが止まった。僕も立ち止まる。


「隊長、あれ…」

「ん?」


 レスターの視線の先、そこにはベックさんがいた。

 ベックさんは自分の家の前を行ったり来たりしている。


「なにしてるんすかね?」

「さあ…」


 何かを探してる?


 あ、こっちに気づいた。

 ベックさんは慌てて家の中に入ってしまう。


「どうします?隊長」

「どうって…言われてもねぇ」

「話を訊いてみようよ。困り事かも」


 と提案してみた。

 困っているのなら助けたほうがいいだろう。


「俺たち見て、めっちゃ慌ててましたよ」

「様子がおかしいね」


 ヴァネッサは、辺り見回す。僕も見回すが特に変わった様子はなかった。


「無視する訳にはいかないね。レスター、ちょっとベックと話してきてくれるかい?」

「了解」


 レスターが早足でベックさんの家へ向かった。僕たちはゆっくりと後をついて行く。


 レスターがドアをノックし、中を伺う。ベックさんは出てこない。

 何度目かのノックでドアが少し開いた。


 ちょうど、僕たちもベックさんの家に到着する。玄関ドアから少し離れた所で立ち止まった。


「ベックさん、どうしたの?大丈夫?」


 レスターが気さくに話しかける。

 小声で話しているので、よく聞こえない。

 話し自体はすぐに終わった。


「ウィル様に謝りたいって言ってます」


 僕に謝りたい?なんだろう?


「心当たりがないんだけど…」

「謝りたいなら、とりあえずそうして貰おうじゃないか」


 ヴァネッサはそう言うとレスターに指示して、ベックさんに外に出した。


「済まない!」


 ベックさんは外に出るなり、頭を深々と下げる。


「あの、ベックさんが何故謝っているのか、分からないんだけど…」

「実は…」


 彼は頭を上げ、理由を話し始めた。

 

 四、五日前にシンディから旅商人のウィル・イシュタルと者が来たら教えてほしいと頼まれたんだそうだ。 

 もし来たら、屋根に白い布を置いて知らせるようにとも。


「屋根?」


 僕たちはベックの家の屋根を見上げた。


「そんなのでわかる?」

「あー、屋上から見えますね」


 僕の疑問にハンスが答えてくれた。

 彼は館の方を指差す。


 なるほど。館の屋上に見張りの兵士が見える


「おれは、ウィルさんが…いやいや、ウィル様が罪人か何かと勝手に思ってしまって…」


 それで今朝の出来事。

 僕が連れて行かれる所を見て確信したと。


「そしたら、シュナイダー様の遺言で領主なるって、びっくりして…すみません」


 僕たちはお互いに目を合わせつつ、苦笑いする。


「ベックさんが気にする事はないよ。逆の立場だったら、同じように思っていたかもしれないし」

「だね、今朝のやつを見たらそう思ってもしかたないよ」


 僕とヴァネッサはベックさんを気遣ったが、彼の表情は暗いままだ。


「そうかもしれないが、こんな物まで貰ってしまって」


 そう言うと彼はズボンのポケットから小さな革袋を取り出した。


「それは?」

「見せてもらうよ」


 レスターがベックさんから革袋を受け取り、中身を確かめる。


「お金ですね」


 シンディさんから駄賃として貰ったそうだ。


「そいつは受け取れない。お返しします」

「それは、返す必要はないよ。貰ってくれて構わない」

「いや、それは貰えない…」


 ベックさんは首を横に振り、拒んだ。


 彼がいうには、領主の僕を売った思っていて、無礼を働いたと後悔していると。


「僕は別にベックさん事を無礼者なんて思ってないから、安心してほしい」


 正直な気持ちだ。

 彼を恨む事のほうが失礼になる。


「お金もベックさんが貰ってほしい。それは頼まれた事に対する正当な報酬だよ。全然、気にする必要はない」

「…」

「それに…僕はもう、ベックさんの家に泊まる事はない。もし僕が領主になっていなかったら、またここに来てベックさんの家に泊まる事はなる。その時の分と考えるのはどうかな?」

「そういうことなら…でも…」


 ダメだろうか?


「臨時収入ってことで、どうです?」


 レスターが持っていたお金の入った革袋をベックの手に握らせた。


「はあ…」


 ベックさんが革袋を見つめる。


「わかった、こうしよう。ベックさんにそれを預かってもらう。そうしてお金に困っている人がいたら、それを使って。もちろん、自分で使っていい。どうかな?」

「まあ…預かるくらいなら」


 そう、良かった。

 僕は安心して息を吐いた。


 ベックさんは一度家に入いる。そして出てきた。

 手には革袋はない。


「済みません。手間取らせてしまってようで」

「そんなことはないよ。あの…ベックさんに一つだけ頼みことがあるんだけどいいかな?」

「何でしょうか?おれにできることならなんでも」


 彼は姿勢を正す。


「もし僕のような旅商人が来たら、泊めてあげてほしい。ここしかないから」

「それはもちろん、任せください」


 ベックさんは大きく頷く。


 初めてシュナイツに来た時、どうしようか困っていたらベックさんが声をかけてくれたんだ。

 部屋が空いてる、ベッドはないがよかったら使ってくれ、と。


 正直、嬉しかった。

 荷馬車で寝るのを覚悟してたから。


「良かった、それじゃお願いします」


 僕は右手を差し出す。ベックさんは両手でしっかりと握ってくれた。

 この後、畑仕事があるベックさんと別れた。


「これで一件落着かい?」


 ヴァネッサはふうと息を吐く


「気にしすぎだよね、領主だからなんだっての」


 彼女の言葉にレスターとハンスが苦笑いを浮かべる。


 領主の僕とタメ口で話す彼女にしてみれば、領主とは些細なものなんだろう。


「ベックさんはそういう性格なんだよ。普通だと思う。僕だってその土地の領主にあったら緊張はするし失礼のないように振る舞う」

「そうだけどさ…」

「もしかして、シュナイダー様にもタメ口だったとか?」

「あんたね、いくらあたしでもそれはない。ちゃんと敬語だったよ」


 さすがにそれはなかったか。


 彼女はさあ、行くよと言ってデボラさんの家の方に歩き出した。


「隊長はタメ口以上の事をシュナイダー様にしてますよね?」


 レスターの言葉にヴァネッサが足を止めた。


 タメ口以上の事?


「なにしたんすか」

「あれはすごかった…」


 彼女は振り向かず、背中で聞いている 


「レスター、絶対に言うんじゃないよ。あたしはね、後悔してるんだ。あの人にした、たった一つの非礼。あんたは事の次第を知ってるでしょ?」

「ええ、まあ。でも、あれがあったからシュナイダー様との関係が…」

「そうだよ…あんな事をしないと分からない、未熟者だったてこと。話しは終わりだよ。変な事を思い出させるんじゃないよ、全く…」


 ため息をはいて彼女のはまた歩き出す。


「で、何したんすか」


 レスターは首を横にふるだけだった。


 僕も気になるけど、よしておこう。ヴァネッサの背中を見て、そう思った。

 そして、すぐにデボラさんの家に到着。


 レスターがヴァネッサの指示を受け、家の裏手へ回った。ハンスはそのまま僕のそばにいる。


 ヴァネッサがドアをノックする。すぐにデボラさんが出てきた。その時、ガガッと何か引っかかるような音ともにドアが開く。

 やっぱりドアがおかしいようだ。


 デボラさんは初老の女性。


「おはよう、デボラ。今、ちょっといいかい?」

「おはようございます、ヴァネッサ隊長。なんでしょう?」


 ヴァネッサが脇へよる。


「おはようございます、デボラさん」

「これはウィル様、おはようございます」


 彼女は丁寧にお辞儀した。


「何かわたくしにご用でしょうか?」

「昨日、約束したとおりドアを直しに来ました」

「え?…あー、でも…」


 彼女はヴァネッサの方を見る。


「本人が約束を果たしたいとさ。反故するのは領主として立場上よくないって」

「そうですか…でも、領主様にそのような事をされては…」

「大丈夫、気にしないでください。それじゃ始めるよ」


 多少、,強引だが始めていまう。押し問答してしょうがない。

 

 まず、ドアの状態を確認する。


 ドアは木製だ。木は年数が経つと変形してしまう事がある。

 ドアを観察し何度も開閉を繰り返し、どこが引っかかってるのか確認する。やはり変形している

のかドア枠に引っかかる所がある。


 次に丁番と取っ手も状態を確認。なかなな頑丈そうなものが取り付けられている。サビはあるがまだ大丈夫そうだ。


「わたしは簡単な引き戸でいいって言ったのだけれど、シュナイダー様が費用は出すから、良い物を使いなさいって」

「そうなんですか」

「シュナイダー様は自分で使うよりも人のために使うのが好きな人だったから、いいのさ遠慮しなくて」


 そういう人だったのか。


 確かにデボラさんの家をはじめ領民たちの家はその規模に比べれば立派ものだ。


 道具箱からカンナを取り出す。

 これは木材を薄く削る道具。


 ヴァネッサにドアを押さえてもらいつつ、ドア枠に引っかかる部分を少しづつ削っていく。


「あんたは商人なのに、こんな事どこで…わざわざ習ったの?」

「違うよ、半ば強制的に大工の手伝いをやることなって、そこで覚えたんだ」

「なんだいそりゃ?」


 デボラさんも不思議そうな顔をしている。


 そうなってしまった理由。たいした理由じゃないんだけどね。

 どれくらい前の事がはっきりとは覚えてない。



 僕はある村のへ向かっていた。シュナイツと同じように山深くあまり商人が来ないと聞いたからだ。

 商人が来ないなら行けば、需要があって実入りが良いかもと思ったんだよね。


 一応、地図らしきものは手に入ったが、実際に行ってみると地図にない別れ道があり、迷ってしまった。

 道があるなら人はいるだろうと、前に進んで行った。


 着くには着いたが、村じゃなくて村になる前の段階だ。

 家と呼ばれる物はまだない。


 今ちょうど、大工たちが家を建てている最中だ。

 どう見てもここじゃない。


 大工たちに目的地を訊いてみれば、もっと先だろうとのこと。

 仕方ないから引き返そうしたら、


「おう、ちょっと待てや。兄ちゃん」

「はい?」

「手ぇ、足りねぇんだわ。手伝ってくれや」


 と棟梁(大工の頭)に頼まれてしまって…。



「それで引き受けたの?」

「最初は断ったんだよ、経験もないし…」


 給料は出す、こっちの商品もいい値で買うっていうから。



「まあ、引き受けたんだけどね」

「どれくらいの期間なされたの?」

「四ヶ月くらいかな」

「あんたってやつは…」


 ヴァネッサは呆れ返っている。

 でも、いい経験だったと思う。大工の仕事を知れたし、道具使い方も学べた。

 何より親方がおおらかで器の大きい人で、その下で働いている者たちもいい人ばかりだった。



「ウィル、こいつを持ってけ」

「これは…いいんですか?」


 別れの日、給料と買ってくれた商品の代金とともに貰った物。

 基本的な大工道具一式。


「おうよ。おめえに無理言って引き止めたのはオレだ。こいつで許してくれ」

「許すって、僕は棟梁を悪く思ってませんよ」

「ああ、わかってるよ。さあ、行きな」


 こんなやり取りがあって、親方たちと別れた。

 その後、しばらくしてからまた会う事になる。



「よし、これで引っかかることはないよ」


 引っかかる部分を削ったことで、開閉がスムーズになった。


「あら、本当」


 デボラさんも自分で開閉し確認してる。


「これで終わりかい?」

「いや、もうちょっと」


 道具箱から小さな陶器製の瓶を取り出す。

 コルク製の蓋を抜き、そのへんに落ちていた小枝に中身を絡め取る。


「そいつは?」


 絡め取った黒いドロドロの物をヴァネッサの方へ差し出す。彼女はそれを嗅ぎ、頷く。


「ああ。地油(じあぶら)だね。そんなにドロドロしてた?」


 地油とは地面から滲み出てくる黒い油である。


「これは動物の脂と混ぜあるんだ。地油(じあぶら)だけだと緩すぎて扱いづらいから」

「へえ、それをどうすんの?」


 これを丁番の軸の部分に塗っていく。油が行き渡るように開閉を繰り返しながら塗る。

 油が潤滑の役割を果たし、サビ防止にもなってくれる。


「デボラさんはなんでウィル様に頼んだんです?知らなかったんでしょ、大工の件は?」

「ノコギリを売っていたから、直せるのかしらって」


 ハンスの問にデボラさんは、口元を押さえちょっと恥ずかしそうに答えた。


「ああ、なるほど。道具を売ってならそれなりの事は出来るだろうと」

「そう、でも安易な発想よね。包丁やフライパンを売ってるからって料理が出来るかといったらそうじゃないでしょ?」

「まあ、そうすね。でも今回は見ての通り、大正解すよ」

「ええ、そうね」


 そう言って二人は笑った。

 

 ドアの修理は一応終わった。

 僕にはこれが限界かな。

 新しくドアを作れればいいが、それはできない。そこまで技術を持っていないから。


「デボラさん、終わりましたよ」

「ありがとうこざいます、ウィル様。あの…」

「はい?」

「申し訳ありません。何もさし上げる物がなくて…」

「いいですよ。何もいりません。元から貰うつもりはなかったから」


 これは本当だ。ここ現状は知っている。

 商品を売ったわけじゃないしね


 デボラさんは申し訳そうにしてたけど、丁寧に頭を下げた。


「いいとさ。よかったじゃないか、いい感じ直ってる」


 ヴァネッサはドアを軽く叩きながら、デボラさんに話す。


「だいたいさ、これくらいの事出来るやつはいないかったの?」

「みんな忙しいから、いろいろと」


 僕は道具を片付けはじめる。


「あの、ヴァネッサ隊長…シュナイダー様のお墓に花を手向けたいのけれど、いいかしら?」

「もちろん、いいよ」


 ヴァネッサはデボラさんの頼みにそう答えて、僕を見た。僕は頷き返した。

 デボラさんの肩に手を置き、ヴァネッサは優しく声をかける。


「いつ来てもいいから」

「ありがとう。もう少ししたらきれいな花が咲き始めるわ。その時に」


 今、シュナイツはやっと春先といったところ。

 前回来た時は去年の初冬だったな。

 手がガチガチになりながら、滑車を直したっけ。


「ああ、待ってるよ」

 道具箱を持って、デボラさんの家をあとにする。

「それじゃ、デボラさん。また、おかしくなったらいつでも来てください」

「ありがとうございます。ウィル様」

「風邪引かないように気をつけるんだよ、まだ寒いからね」

「ええ、気をつけるわ。ありがとう」

 手を振る、デボラさんに見送られながら館へ帰る。


 館へ戻ると、リアンがシンディとともに外で待っていた。腕を組み、館の壁に寄りかかっている。寒かったのか上着を着ていた。


「ただいま」

「おかえりなさいませ」

「遅い」

「ごめん」


 レスターとハンスはそれぞれの隊へ、ヴァネッサも竜騎士隊の方へ行った。


リアンに外での出来事を話しつつ、中へ入る。


「ベックさんにお金を渡す程のこと?」

「え?あ…ええと…」


 ベックさんとのやり取りを話した。

 渡してしまったのはいいんだけど、ちょっと腑に落ちなかったんだ。


「確実性が増すと思いまして」


 そう答えたのはシンディ。


「ウィル様は不定期でシュナイツに来るとのことだったので、今回を逃すといつになるか…」

「そう…それでいくら渡したの?」

「300程です」


 これは多いのか少ないのかはわからない。


 ベックさんは返したいと言われたけど、受け取ってもらった事も話した。


「もちろん、いいわ」


 この後、デボラさんのドアの事を話しつつ、執務室へ入った。


「ドアを直せるなんて、すごいわ」

「直したというか、応急処置だよ。丁番が壊れたら、どうしようもなかった。頑丈で良い物を使ってくれたシュナイダー様に感謝だね」


 僕がしたことは大した事じゃない。

 

「おかえりなさいませ」


 執務室に入るとマイヤーさんが迎えてくれた。


「そちらをお預かりしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、これね。ありがとう。重いから気をつけて」

「承知いたしました」


 小脇に抱えてた道具箱をマイヤーさんに預ける。


 荷馬車から道具箱以外にもう一つ持ってきた者がある。


「これはシンディに渡せばいいかな?」1

「はい?これは…」


 小さな革袋を差し出す。


「これは僕のお金だよ。僕が持っていても意味ないしね」


 カバンからもお金の入った革袋と取り出しシンディに預けた。


「いただいてもよろしいのでしょうか?…」

「全然、構わないよ」


 もう商人ではないから、商品、荷馬車、荷馬車を引いていた馬も必要なくなった。


「分かりました。それでは頂戴いたします」


 自分の席に着く。

 何をすればいいかな…。確か急ぎではない書類仕事があったはず。


「報告書が少しと、あとは各領主への挨拶状です」

「挨拶状?」


 シュナイツの領主となったウィル・イシュタルです。よろしくおねがいします。という物らしい


「これはシュナイダー様の事が公表されてからでよいと思います。今すぐ必要というわけではありません」


 今日、王都へ出した手紙は最低でも一週間かかるだろう。おそらく、国から返信が来る。ということは二週間先でもいいのか。


「少しづつでもいいから、書いておこう。結局は書かなきゃいけない」

「分かりました」

「そ、その挨拶状の文面なんだけど…」

「はい、こちらに届いた同様の物がが保存してありますので探しておきます」

「うん、ありがとう」


 シンディにさんは自分の机の上にある紙にメモを取ったようだ。それを壁にあるコルクボードにピンで留めた


「挨拶状って、必要?」


 リアンが自分の席で頬杖をついてる。


「ここにもそういうの来るけど、シュナイダー様はほとんど読んでなかったわ。私も目を通すけど誰から来たか覚えてない」

「形式的なものですが、送らないというのもいかがかなものかと…」


 交流のない名前も知らない相手なら、リアンのように思うかもしれない。が、今回は違う。

 誰もが知っている英雄の後を継いだ者が、挨拶状を送らないなんて事をしたら失礼になるだろう。


「手紙だけで済むんだから楽でいいよ。直接、行かないといけないなら大変だけど」

「確かに楽よね。紙一枚だし。直接は…無理。全員に会うのに何年かかるか、わかんないもの」


 リアンいうとおりだ。身が持たない。


 領主の仕事とはなんだろう?

 僕は何をすればいいのか?


「わたしがシュナイダー様の執事になる前、幾人か領主の執事をしておりまして、その方々は忙しい毎日を過ごしておりました」


 マイヤーさんがカップを僕の前に置いた。紅茶のいい香りがする。


 彼がいうには領主は多忙とのこと。

 領主は領地内に起こるの全ての事に関わるらしい。

  ・兵士等の軍事組織の編成、指示(山賊、盗賊の成敗等)

  ・治水対策

  ・犯罪が起きた際の裁判

  ・使用人たちへの指示

  ・財務管理

  ・来客の対応

  ・領内の管理

  ・農作物の管理指示(作付など)

 等々


「と、まあ。このような事を毎日ようにしおりました」

「…」


 若干、めまいが…。


「ですが、シュナイダー様は違いまして、現場任せというますか判断に委ねておりました」


 現場任せ?


「勝手にやっているんですか?」

「いえ、そうではありません」


 そう答えたのはシンディだ。


「わたくしの場合は金銭の管理、いわゆる出納係を任されています。日常の簡単な事は特別の指示がなければ、わたくしの判断で処理しいたします。シュナイダー様には報告と決済、判断に迷った時に指示を仰いでいただいてました」


 なるほど、そういうことか。


「それは使用人たちもそうなの?」

「そうよ、ベテランのオーベルとアルに任せてる」

「ということは…兵士の事はヴァネッサに、食事の事はグレム、領民の事はトムさんに任せていると」

「そういうこと、だから何でもかんでも引き受ける必要はないのよ。ウィルは領主になったばかりなんだから、私たちに任せて少しづつ覚えていけばいいわ」

「そう?…」


 でも、最終的な判断は領主だろうから、責任重大だな。


「リアンお嬢様のいう通りでこざいます」


 マイヤーさんがリアンとシンディにも紅茶をあげた。


 お嬢様?


「アル、お嬢様は止めなさい」

「これは失礼しました」


 彼は謝罪し、脇へ下がった。


「リアンってどこか良家の出身?」

「え?あ、そ、その違うわ。普通よ」


 ちょっと慌ててる?


「ご両親は?心配してない?」

「…二人共、私が五、六歳の頃に、亡くなってる」


 彼女は少しうつむく。


「ごめん」 

「いいの。昔の事だし…」


 やったしまった。無闇に他人の過去に踏み込むべきじゃない。

 親の事なら僕だって…。


「ウィル様!」

「はい!?」


 シンディが突然、立ち上がり僕を読んだ。


「ウィ、ウィル様のご両親はご健在で?ご祖父様がいらっしゃるとリアン様から聞き及びましたが」

「…その、両親は…」


 さっきを同じながれじゃいないか。

 言うべきか言わざるべきか。遅かれ早かれ聞かれだろうな。


「両親の事は知らない。顔も名前も…孤児院育ちで…」

「も、申し訳ありません。失礼な質問をしました」

「別に謝ることはないよ」


 僕は首を振り、シンディに座るよう手で促した。


「でも、ウィル。おじい様がいるのに」

「うん、じいちゃんは事情を知ってみたいだけど、詳しく話してくれないんだ」


Copyright(C)2020-橘 シン

 

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