エピローグ:ベストホワイト

第34話 遭遇、見知った美少女。


 エンディングまで終えた僕だったが、唯一知らないことがあった。

 それはサヤカさんの本名である。


 あくびをかみ殺しながらアラームを止める。肩をうんとのばすとバキボキと骨が鳴った。

 椅子の上で力尽きたせいか、身体中から悲鳴が聞こえてくる。これも溜まりまくった秋季課題が悪い。よだれに濡れたノートを拭きながらため息をつく。


「智くん、お姉ちゃん、そろそろ帰るから」

「ふぁ~い、二度と来るなよぉ」


 カーテンから漏れる西日に眉をひそめつつ、階段を降りる。

 十月の連休に入ったからか、一気に肌寒くなり、鳥肌が立っていた。

 眠い眼を擦りながら玄関に向かうと、そこには大きなカバンを背負った姉さんの姿。


 かつて天才と呼ばれた姉さんは料理ができない。なので、僕に作り置きおかずを作らせるのだ。完全に社会不適合者となりつつある。昔は姉さんにできないことがあると、優越感を抱いたものだが、今ではただ面倒くさいと感じるだけである。


「でも、ちゃんと調理費は渡しているでしょ。怒らないでよ」

「わかってるって。まあ、すぐに使うんだけど」


 そう嘘をつく。実は姉さんから貰った調理費はすべて貯金してある。しかも僕にしては大変珍しく、目的のある貯金なのである。新幹線のチケット代にしようと思っている。


「あ、そうそう。最近同じメニューばかりだから。減額しておくわね」

「へ……? そんな殺生な」


 僕の手抜きクッキングにメスを入れるとは……。

 なにを作っても、美味しいしか言わないくせに。やはり姉さんは嫌いだ。


「なら、ゴーストライターしない? 智くん、文章も書けるみたいだし」

「いや、それは駄目だろ、流石に」

「あら、そう。それは残念。じゃあ、勝手に稼ぎなさい」

「はいはい」

「なにかあったら、お姉ちゃんに頼っていいのよ」

「一番頼りない人間って誰だっけ」


 語調を強めて好き放題言う姉さん。

 言われてもわかっているのに。


「それじゃ、バイバイ。あ、今日はサプライズがあるからお楽しみにね」


 言いたいことを言い終えたのか、姉さんは家を後にした。

 ドアが閉まるのを待っていられず、強引に閉めて、即座に鍵をかけた。

 小さくため息を吐き、姉さんの不甲斐ないについて思考する。

 けれど、一つだけ気がかりなことがあった。


「……そういえば、サプライズってなんだよ」


 姉さんのサプライズなんてろくなものじゃないだろう。

 例えば『エセ恋TV』とか。『エセカイ転生系』とか。


「ま、気にするだけ無駄か。とりあえずエナジードリンクでも飲もうっと」


 秋季課題を無視して、十二時間ほど寝ていたので、カフェインを摂取しないとまともに思考が働かない。ポケットからスマホを取り出して、チャットの通知を眺めながら、最近使う機会がなくなったリビングを横切り、冷蔵庫を目指す。


 新聞部のチャットでは原稿の締切に追われる者の嘆きが多く投稿されていた。一方、演劇部のチャットでは『エセカイ転生系』の話題で持ちきりだった。


 あの後、僕は二つの部活を掛け持つことにした。どちらとも魅力的で決めきれなかったのだ。さて、新聞記事のネタを探さなければな。墨守に殺される。


 そんな感じに思考を働かせていると、ふとリビング横にかけられた鏡に目がいく。映っていたのは、録藤智也。すなわち僕だった。


 少しだけマシな顔になった気がする。他の人にはいえないけれど。

 若干高揚しながら冷蔵庫を開け、いつものように上段の陳列棚に手を伸ばす。

 しかし、そこを探ってもエナジードリンクは無かった。常飲するので必要な分を買い置きしているのだけど……。

 台所には空になったアルミ缶が転がっていた。あのバカな姉さんが大量に飲んだのだろう。せめて一言くれれば良かったのに。


「飲んだら足しておいてくれよな」


 冷蔵庫の扉を閉める。その代わりに麦茶を取り出す。

 たまにはエナジードリンクを飲まないというのも悪くないかもしれない。

 こんな平凡な日に飲んでしまえば、また彼女と会った時に効果が薄くなりそう。

 それじゃあ、困るしね。ここはグッと我慢の子。


「えらいわね。だけど特別な日には飲んじゃいなよ、智也君」

「そういわれちゃ、弱るな。断れないじゃないか」


 白色の缶を受け取ると、プルタブを開けて、ゆっくりと流し込む。

 たとえば、そう、高ぶる感情を制御するかのように。

 またはその複雑でほのかに甘い味を楽しむみたいに。


 時間をかけて飲み干すと、スイッチが入る感覚。思考がクリアになっていく。

 待てよ、こんな出来事、前にもなかったか。

 いや、でも『エセ恋TV』は終了しただろ。エンディングを迎えて。

 じゃあ、どう説明するんだ。彼女がさりげなく家に入り込んでいる状態を。

 とりあえず、声をかけるしかない。覚悟を決めて振り向いた。


「どうして……サヤカさんがここに?」

「あら、今回は私の名前を覚えているみたいね。だけど、それは芸名じゃない」


 振り向いた瞬間、その場で固まってしまった。それこそ、テストの結果が想定を大きく下回っていた小学生みたいに。もちろん僕は高校生なのだけど、我が家に侵入していた相手があまりに非現実的だったため、子供じみたリアクションしかできなかった。


 息を飲み込んで、正体不明の人物を観察していく。

 純白のワンピースに身をつつんだ美少女だ。

 背は低いが、凛と胸を張っている。ブロンドの髪の毛を二つに結っていて、きりっとした目元に惹かれる。藍色の瞳は非現実的で、どこかへ引きずり込まれるようだ。柔和な笑みを浮かべながら、こちらを見ている。


 しかし、特筆すべきは彼女が持っている台本である。その表紙には大きく『ベストホワイト』とタイトルがあり、行書体で『エセ恋TVの進化系。シナリオのない恋愛バラエティ』と書かれている。主演の欄には小さく名前があった。どうやら、彼女の本名らしい。


「あら、どうして固まっているの?」


 思わずじっくりと観察していると、目の前の美少女が近づいて、不思議そうに僕を凝視してきた。瞳が上目遣いでこちらを覗き、甘い吐息が顔にかかる。

 急速な接近に心臓を早くする僕に対し「三週間ぶりの再開に感動して、言葉も出ないのね」と彼女は呟いて、照れくさそうにスカートの裾をいじる。そして、唇を震わせた。


最上真白もがみましろよ。『ベストホワイト』では君のパートナーなの。改めてよろしくね」


 ――どうやら、僕らの物語はこれからみたいだ。

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僕の青春ラブコメはテレビ局に仕組まれていました 酒井カサ @sakai-p

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