第33話 決断、録藤智也(下)

 ――西城彩香がそこにいた。

 稲穂色で腰まで伸びる長い髪に、キラキラと輝くサファイアの瞳。つんときつく吊り上がった目元が特徴的だ。黒縁のメガネをかけており、普段と印象が全く違う。これが彼女の素なのだろう。僕はあふれ出しそうな思いをなんとか押しとどめ、声をかける。


「あの、お久しぶりですね。それでなんて呼んだらいいですかね」

「とりあえずサヤカって呼んで。それが今現在の芸名だから」


 低い声が小さな屋上に響く。フェンスに腰掛けるサヤカさんの隣に座る。

 その瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。ここまで来るのにちょっと無茶をしすぎたみたいだ。バッテリーが抜けるような感触。もう一歩も動けそうにない。だけど、口だけは元気に動かす。そうでなければここにきた意味がない。


「すみません、気づくのが遅れてしまって。演技のうえに演技を重ねる役柄にさらに演技を加えられると、もうなにがなんだかわからなくなってしまって」

「ふふっ、智也君こそ何を言っているのかわからないわ」

「そんな規格外の天才でしたよ、鏡国有栖は」

「ほんと、よくあの人の本気の演技を見破れたわね。正直、絶対に気づかないと思ったわ」

「サヤカさんっ⁉ 信じていなかったんですかっ!」

「まさか。冗談よ。助けに来てくれてありがとね」


 こうしてくだらない会話をするのは久しぶりな気がする。実際、『西城彩香』の中身が鏡国有栖になっていたのは、五日間だけらしいのだが、体感的にはもっと長く感じた。ゆえにどうにも照れてしまって、言葉がうまくつむげない。

 ここに来るまでになにを話すのか、考えながら戦ってきたのだけど。結局、こうして顔を突き合わせると胸が弾んでしまう。会話どころではなくなってしまう。しかし、それがたまらなく嬉しかった。


 サヤカさんがいま、こうして目の前にいて、姉さんやプロデューサーが思い描いたようなシナリオとは別の未来が訪れたのだ。それによって、『エセ恋TV』はクランクアップだろう。サヤカさんの『プロのアイドル』になる夢は達成されたのである。

 とまあ、ここまで色々と思案したけれど、結局、吐き出せた言葉は単調なものだった。


「――『エセ恋TV』の収録、おつかれさまでした」

「いえいえ、こちらこそ拙い演技に付き合わせてしまったわね」


 そう言って、わざとらしく頭に叩くサヤカさん。わざとらしくて、でも作り物じゃなくて、とても可愛らしい。これぞ彼女の素の姿。この気負っていない感じが好きなんだよな。


「正直、どうだった。私と同棲した一か月は」

「とても楽しかったです、なんて答えたら小学校の感想文みたいですよね」

「あはは、私は好きだよ。その表現は。言葉にしようとすると噓っぽくなっちゃうよね。私も同じ気持ちだよ。案外楽しかったよね」


「ですよね。アニメ専門店を何店舗も回るデートとか」

「ああ、あのオタ活デートね。店舗特典を見比べたり、BL同人コーナーで墨守さんを見かけたり、謎のガチャガチャをしたり。でもあれはカットされそうよね」

「いろんなところに怒られてしまいますよね。あれは……」

「それで言ったら、同棲初日の夜なんて酷かったわよね。放送倫理的な意味で」

「……あの件にはお互いに忘れる約束では?」

「布団の場所を決めているはずが、いつの間にか、下ネタ大会になっていたってこと」

「あああ、忘れてないじゃないですか。それをいうなら、サヤカさんがUFOキャッチャーデートの際に、番組経費で遊んでいたことを報告しますよ」

「え、それは卑怯なんじゃないの。というか、楽しい話をしましょうよ」


「それなら、ラーメン食べ歩きデートは平和でしたね」

「共書君率いる演劇部と合流して、最終的にはフードファイトになったけどね」

「そういうお店って近場にあるものなんですね。後は猫カフェとか」

「あれは私が本気で猫と格闘したことが露呈しちゃうからNGね」

「そんな個人的な理由でNGを出していいんですか。もっと本心を振り返りましょうよ」


「ならば、水着デート一択になるけど」

「……ああ、まあ。それなら。恥ずかしいですけど」

「そんなのは私だって同じよ。冷静になると見返せないシーンが多いわね」

「でも、これが全部放送されるわけですよね」

「でも、智也君との想い出がまとまるのなら、悪くないわね」


 サヤカさんは鉄格子に体重を預けて言った。『西城彩香』でも『SAYAKA』でもない、一人の少女としての感想を。それは彼女の素を表している気がした。


「……正直な話、この番組の是非って、僕にはわからないんですよね。あまり上品な番組ではなかったですけど、こうしてサヤカさんと共にエンディングを迎えられた今、結構爽やかな気持ちなんですよ。ああ、やって良かったな、と」

「そう思ってくれるだけで、嬉しいよ」

「それは仕掛人としての感想ですか?」


「まさか。個人的な感想よ。そもそもはプロのアイドルになれるという餌に釣られて始めたけれど、最後の段階で鏡国有栖さんに役を取られたときに『悔しいな』と思ったの」

「やはり、初の主演を奪われるのはキツイですよね」

「というより、智也君と築き上げたものを横取りされるのが苦痛だったわ。だけど、智也君はきちんと私を助けに来てくれたわ。それは感謝してもしきれないの」

「……そんな、感謝されるようなことじゃ」

「勇者に助けてもらえるなんて、私は幸せ者ね」


 姫はサラリとそんなことを言う。

 けれど、それは決してぞんざいなものではなく、彼女なりの照れ隠しなのだ。


「それでプロのアイドルの件ってどうなるんですかね?」

「ああ、その件に関してだけど。詳細はまだ決まってないの」

「そうなんですか、収録を終えた後にじっくり話し合う感じですかね」

「たぶんね。東京に戻ってからになるのかしら」

「……やっぱり、東京に戻るんですよね」


 地方でプロのアイドルになれないわけじゃないが、仕事の量に差がある。それにサヤカさんはそもそも、東京に実家がある。ゆえに帰るのは当然か。番組が終わる以上、同棲生活も終わるわけで。そう考えると一気に寂しさがあふれてくる。


「あの、サヤカさん。今から変なことを言ってもいいですか?」

「珍しいわね。そういう切り出し方をするなんて。なんでも言っていいわよ」


「では。実は僕はサヤカさんのことが好きなんですよね」

「いつも言っていることじゃん」

「いや、そうじゃなくて。僕が今好きなのは、『西城彩香』でも、『SAYAKA』でもなく、サヤカさんなんですって」

「私っ⁉ そ、それは予想外だったわ」

「それで、返事を聞きたいのですけど」

「――その気持ち、素直に嬉しいよ」


 サヤカさんは顔を真っ赤にしながら、そう呟いた。


「だって、私も智也君のことが好きなんだと思う。それも番組がどうとか、夢がどうとか、関係なく、素直な私の感情なの。もっとも智也君がどう思っているのか分からなかったから、最後まで言わないつもりでいたけれどね。だけど――」

「――だけど?」

「ごめんなさい。今のこの状況下ではお互いに正常な判断ができないと思うの」

「たしかにそうですけど」

「それに番組の思う壺みたいで嫌だわ。だから、この告白は保留にしましょ。それが私の希望なんだけど、智也君はどう思う?」


 そう言って、サヤカさんは僕の唇をふさいだ。それは奇しくも姉さんが『エセカイ転生系』で書いたエンディングと同じだった。どうやら、最後まで見透かされていたらしい。


 だけど、この幸せは僕がつかみ取ったものだ。例え、きっかけを与えたのが『エセ恋TV』であっても。その過程が偽りで満ちていたとしても。


 だから、僕はサヤカさんを強く抱きしめた。

 そして、絶対に離さないと誓った。

 そのとき、サヤカさんはにこやかに笑った。

 それは『西城彩香』でもなく、『SAYAKA』でもない、彼女自身の笑顔だった。

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