第32話 決断、録藤智也(上)

【結婚式をしましょ。結ばれぬ二人、『シグルド』と『ブリュンヒルデ』のために】


 僕の登場と共に台詞を始める、『見知らぬ彼女』。

 しかし、舞台上では『現実少女』であり、僕が今すべきことは変わらない。


【ニーベルンゲンの指輪を書き換えるつもりかい】

【ええ、そんなお話、聞いたことないじゃない】

【君が見せる異世界の正体か。なるほど俺好みの解答だ】


 脚本通りの台詞を返す。今、このタイミングでは都合が悪い。

 このナイフで舞台を引き裂ける瞬間を待つ。物語が一番脆い瞬間を狙う。

 三分ほどシナリオが進み、場面は結婚式に移る。この後は共書が神父として出現し、二人に愛の誓いを迫る。先ほど練習したところだ。ここで『見知らぬ彼女』がキスをする。

 その一点を待つ。


【シグルドよ。汝は今、ブリュンヒルデを妻とし、機械仕掛けの神の導きによって夫婦になろうとしている。汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、世界が滅びるときも、世界が生まれるときも、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うか?】

【ああ、もちろん】【死がふたりを分かつまで、ね】

【では、誓いのキスを見せつけろ。画面の向こう側にまでっ!】


 時は満ちた。

 見知らぬ彼女の前に立つ。その距離はわずかこぶし一つ分。

 ウエディング・ベールを上げて、観察する。『西城彩香』によく似た人物を。

 純白のドレスに身をつつんだ、完全無欠の美少女だ。


 背は高く、凛と胸を張っている。黄金色の髪の毛をポニーテールにしており、緩やかに垂れた目元に惹かれる。空色の瞳はすべてを反射する鏡みたいで、すべてを拒絶しているようだ。


 見た人が皆、柔和な笑みと答える表情を作りながら、こちらを見ている。

 しかし、なにより特徴的なのは、サキュバスみたく尖った八重歯である。

 ならば、これで判断をくだすとしよう。愛の言葉によって。

 キスをしようとした見知らぬ彼女に対して、こう告げた。


「――『3138』って覚えているよな」


 愛の言葉、ではなく、合言葉を。市民プールのロッカーナンバー。

 僕と彩香さんを繋ぐパスワードだ。本物であるならば答えられないわけがない。

 しかし、見知らぬ彼女は首を傾げるばかり。どうやら間抜けは見つかったようだ。


 しばらくして、真意に気付いたようだがもう遅い。それは彼女とて理解しているようで、彼女は悔しそうに顔をゆがめた。


「ばれるものね。完璧に演じきったと思ったのに」

「僕もこんなかたちでは、出逢いたくなかったぜ。――鏡国有栖」


 そう、今日の『西城彩香』を演じていたのは、なんと劇団色彩の天才女優だった。本来の『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女』を演じる予定だった人。


 これは予想しなかった。彩香さんと出演の可能性を議論したことがあったが、その際に出た結論は、『主演が空いていないので、出ない』というものだった。

 しかし、主演が埋まっているならば、席を空ければいいのだ。もともと、彼女の座るべき椅子だったのだから。僕にとっての彩香さんはしょせん代役に過ぎない。

 そんなトリッキーなことをしてくるとは。今回ばかりは騙されそうになったぜ。


「それで、彩香さんはどこにいるんだ」

「ワタシじゃダメ? 三下の地下アイドルよりも、うまく『西城彩香』を演じられるわよ」

「残念ながら、想い人は代替不可能なんだ。ごめんなさい」

「あら、ふられちゃった。ワタシ、大女優なのに」


 そう言って肩をすくめる鏡国有栖。その仕草は傲慢さと諦観が混じっていて、西城彩香のまねではなく、彼女の素であることがうかがえる。頂点にも苦悩は存在するらしい。


「……今なら高校のなかにいるはずよ。あの子、後ろ髪をひかれていたから」

「それは本当なのか」

「ええ、大女優は嘘をつかないわ。だけど、面白くしてよね」


 そう言って、大女優さまは笑った。

 となれば、まずはこの『エセカイ転生系』を終了させなければならない。


【随分と長いキスだな。勇者よ、我に見せつけているのか?】

【……違う。違うんだ。彼女はブリュンヒルデではない、偽物なんだ】

【なんだと、この最高神を欺く者がいるというのか】

【そうだ、このままではエンドロールにはいけない。大英雄である俺が惚れたのは、ブリュンヒルデなのだから。俺は彼女を取り戻さなければならないっ!】


 叫ぶように宣言をして、足元に置いておいた伝説の剣を持つ。そうして、参列者を薙ぎ払い、転ばせる。当然、彼らは脚本にない主人公の乱心には対応できず。その場で尻餅をつく。


 その隙をついて、ステージのうえから、バンドマンよろしく飛び降りる。

 ここで異変に気が付いた『エセ恋TV』のクルーが動き始めた。うえから事の推移を見守っていた彼らは舞台上にいる『錬極学園』の生徒に指示を飛ばす。

 振り返ると、彼らは【エセカイに留まりたい『転生少年』が乱心した】【そもそも、彼のせいで計画が狂ったのだ】【今こそ彼を止めなければいけない】などと、それらしきアドリブを加え、次々とステージを飛び降りた。共書が『プロデューサー』として、彼らを止めようとするが言うことを聞かない。後処理はまかせた、共書。

 客席から眺めていた生徒も異変を感じたのか。ざわつき始める。そんな生徒のまわりを飛び回り、追っ手をぶつける。すると頭に血が上った彼らが『錬極学園』の連中と衝突。とたんに会場は乱闘騒ぎに。教員たちはそれを制そうとする。その隙にホール入り口までダッシュ。

 しかし周辺警備に当たっていた『錬極学園』の生徒とエンカウント。伝説の剣で頭部をたたく。模造品とはいえ、テレビ局がわざわざつくった一品。完成度も強度もかなりのもの。たまらずひるんだ彼を蹴り飛ばし、ホールを脱出。

 そのまま運動場を一直線に走り、自分の属する教室へ向かう。ゲーマーである彩香さんのことだ。おそらくはクレーンゲームに熱中しているはずだ。そう断定する。途中、正方高校に潜んでいた『錬極学園』の生徒たちが襲ってきたけれど、なんとかする。演劇の練習に際して、共書から習った護身術が役に立つとは。あいつには枕を向けて眠れないな。そのまえに枕を高くして眠ることがあるといいのだけど。

 自分のクラスに戻るという案はどうやら的を射ていたらしい。だが、それゆえに守りも強固だった。連絡をうけた連中が肉壁スクラムを組んで出迎えてくれた。まさかの再登場である。こんな登場の仕方をしてほしくなかったのだが。ゼイゼイとあがる息を整えながらつっこむ。

 後ろを振り返ると、ホールから追ってきた連中が迫ってきていた。しかし救いだったのは、彼らのうちの四割強が『転生少年』の味方だったということだろうか。姉さんの脚本が皆の胸をうち、それによって助けられた形だ。絶対にお礼なんていいたくないけれど。

 すると頭上から『特ダネを諦めるつもりですか、録藤記者』という声が響いたかと思うと、肉壁スクラムが破壊された。墨守梨々花とゆかいなラグビー部員だ。ついでに新聞部の連中の姿も。どうやら助けられたようだ。何をしにきたのかと墨守に訪ねると、彼女は『PPP放送ならばエンディングは豪勢にやると思いまして。一応、準備をしておいたのです』と笑った。本当に釣り合わない努力をするのが好きなやつだ。だから、嫌うことができない。ほんと、困っちゃうな。だけど、この場では感謝を言う。

 伝説の剣で周囲をなぎ倒し、校舎内に侵入。追っ手はその場にいた奴らをうまく巻き込む。例えば、攻撃をかわして、ヤンキー先輩のワタアメを落とすとか。ミリタリー研究会を通って次の階にいくとか。工夫次第でどうにでもなるのだ。一応、新聞部員として学校内の情報に精通していた成果がでた。

 階段を駆け上がり、九階へとたどり着く。長い渡り廊下でミリタリー研究会から拝借したスタングレネードを炸裂させ、一気に走り抜ける。ほら、主人公が現代兵器を使っているあたりとか、とても異世界転生劇っぽいでしょ。投げられた催涙弾は伝説の剣で野球ボールの要領で打ち返す。ホームラン。心地いい。まるで無双チートみたいだ。追っ手がミリタリー研究会の危険な兵器でくたばったのを確認し、ボロボロの身体で、なじんだクラスへたどり着く。

 しかし、クラス内をいくら見渡しても、メイドにセクハラをしているクラスメートしかいない。ゲーム喫茶というコンセプトが意味をなしていない。それに僕の仮説も。いないじゃないか、彩香さん。教室の隅のパイプ椅子に腰掛けて、スヤスヤと夢の中に引き籠っていた担任に声を掛ける。もちろん、伝説の剣を突きつけることを忘れずに。面倒事を嫌う九郎原先生はすぐに指を上にむけた。まさか、早まったのか。もちろん、早まって誤ったのは僕の判断で、彼女は屋上でぼんやりと雲を眺めていたそうだ。タバコを吸いにいった際に姿を見ているので間違いないらしい。禁煙できていないことも確からしい。だが、今回ばかりは助かった。おまけに息を整えることもできたし。勝手にお礼をいうと、教室のドアを開いた。

 するとそこにいたのは出待ちの連中。スタングレネードや催涙弾を食らわなかった後発組。しかも相当数いるっぽい。これは絶体絶命のピンチだ。そう思ったのだが、救いがもたらされた。なんと、端でクレーンゲームをしていた生徒が伝説の剣をもって、立ち向かったのだ。しかも彼は僕に暗いヤジを飛ばしていたのにも関わらず。だが彼一人ではこの状況は打開できない。そう思った瞬間、伝説の剣が赤く光った。そしてビームを放ち、追っ手を壊滅された。どうやら本物の聖剣だったらしい。彼もまた主人公だったのだろう。それこそ異世界転生系の。

 気絶した連中のうえを踏まないように歩いて行く。途中で手頃なハンドアックスを手に入れた。鏡で姿を見るとトロールみたいでテンションが下がる。

 しかし、追っ手は次々と迫ってきた。急いで階段を駆け上がる。切っては投げて。切って投げて。階段を死守する四天王を撃破。

 ちなみに最弱は『十三怪談』だった。ホラー研究会には流石に負けない。

 しかし、最後に残した不吉な予言は的中した。

 今、一番会いたい人にあるには一番嫌いな人を相手にしないといけないという。

 屋上へと繋がる最後の踊り場にはかつての天才、録藤綴が待っていた。

 先ほどの感謝のメッセージを心の中で送信取り消し。


「あら、今日は随分と早かったわね。智くん」


 姉さんは笑みをこぼす。小型のパソコンを握っており、こちらに画面が見える状態になっている。それはなんだと訪ねるとパソコンから音が鳴った。通話画面が表示されたディスプレイとあわせて考えるに、どうやら番組関係者と連絡がつながっているらしい。


「初めまして、出演者。ボクは『パーフェクト・プロデュース・パーソン』と呼ばれている存在だ。平たくいえば、『エセ恋TV』を企画したプロデューサーかな。以後お見知りおきを」


 ご丁寧にノイズの聞いた音が踊り場に響く。真の黒幕のお出ましだ。


「で、文句でもいいたいのですか?」

「まさか。我々上層部は君の決断を高く評価しているのだよ。そこのぼんくら大学生の書いたつまらない脚本をぶち壊したのだからね。ほんと、今だっておかしくてたまらないよ」

「あら、黙りなさいな、PPP。壊すわよ」

「おお、怖い怖い。キミの姉は獰猛だねぇ。同じくこき使われる存在として同情するよ」

「なんで呼び止めたのですか。早く彼女のもとに向かいたいのですけど」

「そう、ボクはその件に関して質問があるんだ。どうして、鏡国有栖を見限って、素性も名前も知らない『西城彩香の中の人』を選んだんだい?」

「それは……」


 何度も思考し、何度も問われた質問だ。しかし、その答えを出すのは簡単ではない。容姿に惚れたのならば、鏡国有栖でも違いはない。境遇や社会的地位に惚れたのならば、それこそ鏡国有栖のほうが上位互換だ。役者としても、アイドルとしても。ではなぜ彼女を選んだのか。

 それは、この言葉で決着をつけようと思う。


「ちょっとポンコツなあの子のほうが可愛いんですよ。性的嗜好的に」


 そう言って、ハンドアックスをパソコンに振り下ろす。ガシャンとモニターが砕ける音がして、そのまま階段を転げ落ちる。その際にプロデューサーの壊れたような笑い声が響いた。


「くくくっ、くはは、くくっ。そんな乱暴な答えがあるかい。やっぱり姉同様キミもかなりおかしいよ。ありがとう、次回以降のサンプルにさせてもらうよっ。……ざざっと」


 随分とアグレッシブな遺言を残してプロデューサーのパソコンは沈黙した。姉さんは「ざまあみろ」とはっきりと言った。『エセ恋TV』の方針で対立していたのか、それとも単純に仲が悪いのか。まあ、どうでもいいことだが。残るは姉さんのみ。


「……行きなさい。今更戻って演劇でエンディングというのは望んでいないんでしょ」

「もちろん。僕が主演の番組なんだ。結末は自分で決めれるよ」

「そっか。智くん、知らないうちに成長したのね。お姉ちゃんが間違っていたみたいね」

「別に。お互いの性的嗜好をぶつけ合っただけだろ。創作家あるあるだろ」


 こうして『エセ恋TV』を通して、姉さんとの疑似的な決着をつけたのは大きい。こういう機会がなければ、彼女に意見しようとすらしなかっただろう。なのでやはりお礼の一言ぐらいあってもいいかもしれない。それを直接口にするのは、今じゃないけれど。


 最後の扉を足で蹴り破る。そこにあったのは、小さなスペースの屋上だった。この校舎自体が結構な階数があるので、見晴らしは最高だった。


 面前には身を寄せあう住宅街と、澄み渡った青空が広がっていた。心地よい小春日和だ。緩やかに流れる時間にぼうっとしていると、人影に気が付いた。


 それが『西城彩香』だった。

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