第24話 西城彩香という乙女(上)

 運命というのは、赤い糸と歯車で構成されていて、先に動き出したのは歯車のほうだった。

 翌日、放課後。『エセカイ転生系』のリハーサルを終えて、帰宅しようとすると、彩香さんが部室の前に立っていた。周囲には人影は見えず、どうやら撮影はされていない様子だ。

 彼女は小さく会釈をした後、即座に本題を切り出した。


「というわけで、デートを実行しましょ」

「あの約束ってまだ生きていたんですね」

「当たり前よ。私も話しておきたいことがあるの。……私の秘密に関して」


 不穏な言葉を放つ彩香さん。その口調には今までの甘さはなく、素っ気ない。

 どうやらこれは芝居ではなく、本心に近い台詞のようだ。まったく予想していない反応だったので、思わずたじろいでしまう。

 鵺のように正体がつかめない彼女の秘密を知れるのは嬉しい。

 だけど、知ってしまったら、今の関係性ではいられない気がする。釈然としない気分。


「今までは聞いても教えてくれなかったのに……」

「ごめんなさい。ようやく話せる環境が整ったのよ」

「タイミングですか。たしかに今なら……」


 小さくうなずく。ラブコメノルマの達成は番組側の悲願である。そのノルマを終えた今ならば、番組側の警戒も薄いのだろう。ならば今しかない。

 それに彩香さんについて、もっと深く知りたいという本心もある。

 だが、なぜ今になって話を切り出そうと思ったのか、なぜデートという体裁を取ったのか。

 疑問は尽きない。けれど、彼女を疑ったところで、疑問が解消されるわけじゃない。

 バッグを担ぎ、忘れ物がないか確認。

 番組側の意向が絡まない、初のデートとやらに向かった。


「しかし、デートといってもどこに行くんですか?」

 訊ねると弾んだ声が聞こえてきた。上機嫌な彩香さん。ただの情報共有のはずなのに。

「ナイショ。とっておきの場所よ」

「到着してからのお楽しみってわけですね。なるほど」

「案内は任せて。アッと驚くところに連れていってあげるわ」


 彩香さんは鼻歌交じりでスキップをしながら、僕の手を引く。

 授業を終え、部活のリハーサルをこなした後の行動とは思えない。やはりプロを目指す彼女は体力を鍛えているのだろうか。少し気力を分けてほしいものだよ。

 そうして校門を抜けると、そこにはタクシーが停車していた。どうやら彼女が予約していたらしい。そんなに遠く出かけるのだろうか。小首をかしげながら、彩香さんの隣に座る。するとタクシーはするりと発車。目的地さえ聞かずに。


「ここから目的地はそう遠くない場所にあるのだけど。一応、保険にね」

「保険? これから行く場所ってそんなにヤバイんですか」

「そうじゃないわよ。番組に尾行されないために、わざと遠回りをしているの。ほら、これから私たちがする話って、本来なら秘密なわけじゃない?」

「……たしかに。聞かれたら撮影が止まるかもしれないですね」

「それは私としても本意じゃないから。だから、細心の注意を払っているわけ」


 なるほど、彩香さんの考えはもっともだ。

 我らが正方高校の中にも『錬極学園』の生徒が紛れ込んでいる以上、この撮影のために用意されたエキストラは膨大な数だろう。つまり誰が敵なのかわからない状態なのである。そんな状況下において、きちんとかく乱工作を行うのは重要だ。


「けど、タクシーの運転手が関係者の可能性は?」


 そう呟いて、運転手を確認すると、彩香さんが裏事情を暴露したときのドライバーだった。彼がもし関係者ならばこの番組の撮影はすでに終了している。しかし、現実にそうはなっていない。その事実を踏まえて考えると、彼ほど安心できるドライバーは存在しないのか。

 証拠に、彩香さんは堂々と裏事情を話しているわけだし。


「お客様のプライバシー保護はドライバーの基本です。ご安心を」

「ね、そう言っていることだし」


 ミラー越しに見える運転手にちいさく会釈する。

 そこまで考えての事前予約だったのか。この配慮には脱帽だ。余程大切な話をするらしい。

 撮影期間は三ヶ月の予定で、今はまだ三分の一ほどしか経過していない。しかし、彼女の態度から見るにどうやら番組側に大きな動きがありそうだ。

 気を引き締めていかなければ。そう考えていると、タクシーが目的地に到着した。


「というわけでやってきました、目的地」


 彩香さんが元気いっぱいに指さした先には、文化センターがあった。著名なデザイナーが設計したという、六面体を八つ組み合わせたサイコロを彷彿させる奇怪な建物だ。

 ここには図書館や市民ホール、体育館にテニスコートなど、様々な設備が集約されている。僕が最後に姉さんと演劇をしたのは、この文化センターだった。

 ゆえにこの施設に関してはある程度の知識があるのだけど。

 こんなところに秘密を共有できる場所なんてないはずだ。一体どういうつもりなのか。


「目的地はここであっているわよ。とりあえず入りましょ。話はそれから」

「そう、ですか。わかりました」


 彩香さんの有無を言わせぬ圧力に屈し、僕は文化センターへ足を踏み入れた。彩香さんは慣れた足取りで階段を下り、地下二階の連絡通路を歩き、隣接する施設の階段をのぼっていく。


「……すごい。こんな階段があったなんて」

「でしょ。私も協力者に話を聞いたときは半信半疑だったのだけど」

「協力者? 番組側の人物じゃないですよね」

「もちろん。智也君もよく知っている人物だわ。ま、それも後で話しましょ」


 彩香さんはそう言って、迷いなく階段を昇っていく。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』か。

 とにかくついていくか。覚悟を決めると彼女の後を追った。

 階段をのぼった先は市民プールだった。あまり目立たない施設で、地元に住んでいる僕でも一回もきたことがないところだ。ゆえに完全に盲点だった。受付はロビーを兼ねており広く、清潔感がある。かと思えば昔ながらの瓶牛乳なんかも置いてあって、充実の設備。

 しかし、存在を認知されていないのか。それとも午後六時という時間帯のせいか。はたまた十月の上旬という時期のせいか。客は僕らだけだった。少なくとも受付には。


「一体どういうことですか、彩香さんっ!」

「どうもこうも。『ラブコメノルマ』達成の真・祝賀会よ。智也君」

「ロケじゃないのは初めてなのに。初っ端から水着デートだっていうんですかっ!」


 思わず声を荒らげてしまう。彩香さんの行動や言動がぶっ飛んでいるのは以前と変わらないが、それはあくまで脚本に書かれているからだと思っていたのだけど。まさかプライベートに近い彼女もぶっ飛んでいたとは……。


「あら、なにか問題でもあるかしら?」

「そ、そりゃ、こちらにも心の準備ってものがありまして……。そ、それに泳ぐなんて聞いてなかったので、水着を用意していませんし」

「ねえ、そう言えば逃げられると思ったでしょ。ふふっ、残念だったわね」


 彩香さんは蠱惑的な笑みを浮かべると、学校指定のカバンを開いた。僕らの物語を大きく変えたあのカバン。もし僕があの時カバンを取り違えていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。考え始めると感慨深い気持ちになる。まあ、そんなルートは想像し難いのだけど。


 カバンから黒いビニール袋を取り出すと、僕に投げつけた。らくらくキャッチ。その中に入っていたのは、男性用の水着とタオル、それに着替えだった。もちろん、パンツもある。


「……準備していたのはともかく。どうしてサイズがピッタリなんです?」

「それは『炊事、洗濯、お掃除となんなりと。住み込みでお手伝いさせていただく』のが私だから。サイズを知る機会はいくらでもあったわ」

「それは盲点だよ……、彩香さん」


 そう語った通り、洗濯は彩香さんの仕事だった。これに関しては、番組側の脚本に従う必要性と、僕が彩香さんの衣類を洗うわけにはいかないという事情からお任せしていたのだけど。


 どうやら、番組側からの指定はなかったらしい。完全に自主性による行動。

 うまく言い表せないけれど、とても恥ずかしい。これまで行ってきたバカップルのふりなんかよりも。まるで心臓の付け根をグッと握られたみたいな心情だ。


「智也君、そういうの気にするタイプじゃないと思ったのだけど」

「僕もいま初めて気が付きましたよ。異性に下着を洗われる恥ずかしさは」

「ともかくこれで水着問題は解決したわけだし。一緒に入りましょ?」

「けれど、本当にばれていないんですか。番組側には」


 彩香さんにカマをかけてみる。パンツのサイズを知られた意趣返し、ではなく、彼女が番組側と結託している可能性があるのか、確かめるために。

 可能性の話だけど、僕らの関係に進展がみられず、しびれを切らした『エセ恋TV』が手っ取り早く恋仲へ移行するための作戦かもしれない。

 すると、彩香さんは僕をかがませて、こう囁いた。


「……違うわよ。これは私が『エセ恋TV』の監視下から逃れるための作戦なの」

「作戦? 水着回なんてサービスシーンの提供に他ならないじゃないですか」

「逆よ。プールこそがどこよりも安全な場所なの。テレビカメラから逃れるなら」

「といいますと?」

「まず、このプールの撮影許可が難しいのよ。市の担当者も『少年にドッキリを仕掛けているので、撮っていいですか?』と聞かれたら、なんて答えると思う?」

「そんなの、まともに取り合わないですよね」

「それに他の利用者への許諾が面倒だから、番組側としては嫌な場所なわけ」


 このようなサービスカットを取るにしても、別の手段を用いたほうが楽なわけか。


「加えて、昨今のテレビ局は視聴者からの問い合わせをなによりも恐れているわ。それはPPP放送だって同じよ。コンプレックス重視が求められ、ネットによる監視がなされる現代で、このような絵面に挑戦する勇気はあるのかしら?」

「……僕が責任者であるプロデューサーだったら、プールは避けますね」

「以上をもって、今回のデートが私の遺志によって立案されたことの証明にしたいのだけど」

「……すみません、変に疑ってしまって」

「いいのよ。私だって仕掛人なのだから信頼しろとは言えないしね。ま、一応補足しておくと番組側には水中用のカメラは用意してないらしいわ。プロデューサーの話では、ね」


 だから、多分大丈夫よ。彩香さんはそう言って笑った。

 たしかに。その情報から考えると安心できそうだ。

 そういえば、昔遊んだ推理ゲームの中でも、主人公たちは更衣室の中で犯人の監視を逃れていたな。精密機械は湿気に弱いとかなんとか。


「仮に撮影していたとしたら。今までのことをゴシップ誌にリークすればいいのよ」


 ギラリと鋭い目つきになる彩香さん。おそらく記者にあることないことを吹き込んで、プロデューサーや脚本家を社会的に抹殺するつもりだ。こういう側面を見るに案外、彩香さんと墨守の相性は悪くないのかも。そんなことを思ってしまう。

 ただでは転ばない鋼の意志とか。敵に回したくない感じとか。


「でもそれじゃあ、彩香さんの目標だったプロデビューが水泡に帰すのでは?」

「……あ、そうだったわ。すっかり忘れてた。てへっ」


 ぽこりと頭を叩く彩香さん。どうやら癖になっているらしい。

 とってもあざといけれど、それ以上に可愛らしいので、どうかそのままでいて欲しい。


「けど、あなたのためなら、私の夢を曲げちゃってもいいかな」

「それってどういう……?」

「ううん、なんでもないわ。それより早く入りましょ。積もる話しかないでしょ?」


 彩香さんはどきまぎする僕を置いて、脱衣所に向かった。

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