第20話 抜き打ち、残姉さん(下)

 グシャリ。小気味の良い破裂音。静まり返ったリビングに響く。姉さんが空のエナジードリンクを潰したのだ。鋭い目つき。への字の口元。胸元で交差する腕。姉さんの放つ威圧感が僕らをじわりじわりと追い詰める。


 夜食として味噌汁を提供した後、僕らは事の経緯を説明した。もちろん、都合の悪いことは一切伏せたうえで。彩香さんが震えながら姉さんに語り、それを僕がフォロー。その間、姉さんは眉一つ動かさず、静かに耳を傾けていた。ふぅとため息を吐いて、口を開いた。


「つまりぃ~、カノジョちゃんは智くんの幼馴染でぇ、婚約者でぇ、未来の花嫁でありぃ、うちの両親が雇ったメイドってことなのぉ? だから同棲しているわけぇ?」

「そうそう。それ以上でもそれ以下でもないのさ」

「それにぃ~、カノジョちゃんはぁ、智くんが書いた『ダイヤモンド・ワン』のヒロインだからぁ、こんなきわどい格好でぇ、夜遅くまで練習していたわけぇ?」

「そうなんですわ、義姉さま。つい熱が入りすぎてしまって」


 思案顔で唇をいじっていた姉さん。この言い訳では厳しかったか。唾をごくりと飲み込みながら姉さんの表情を凝視していると唐突に破顔。

 にんまりと笑みを浮かべた。


「なるほどぉ。納得だわぁ」


 バカだ、姉さん……。こんなずさんな解説で納得するとは。正直、騙せたこちらが不安になってしまう。金髪碧眼の幼馴染とか一度も遊びにきたことないだろ。ちょっとは疑えよ。訪問販売で高級毛布とか買わされていないだろうか。心配だ。


 けれど、なんにせよ誤魔化せたのならば、万々歳だ。変に突っ込んでこないだけでも、危険度が一気に下がる。彩香さんもほっと胸を撫でおろしている模様。


「お姉ちゃんのことは気にせずぅ、好き放題していいわよぉ。そのまま朝まで乱れちゃいなさいなぁ~。きっとぉ、気持ちいいわよぉ」

「そんな許可を姉さんが出すなよ……」

「あらぁ~、智くん、据え膳は食べるべきよぉ」

「ねーよ、そんな言葉は。ついに語彙力まで溶けたのか」


 知性の最終防壁だったのに。タブララサ、イドラ、コギトエルゴスム、アウフヘーベン、ルサンチマンなどの説明を得意げにしていたころの姉さんを返してくれ。


 それはともかく姉さんの提案には乗れない。僕と彩香さんの間で許される行為は脚本によって定められている。もっと踏み込んだ話をすれば、BPO(放送倫理・番組向上機構)にクレーンが寄せられ、PPP放送に是正勧告が下るような行為は禁止されているのだ。


 ゆえに僕に求められるのはむしろ、据え膳を食わないことである。滅茶苦茶キツイ。それに彩香さんの意志だってある。僕らの関係性は番組があってこそ成立するものであり、僕はあくまでドッキリ被害者なのだ。勘違いはいけない。


 と自分に言い聞かせているのだけど、先程から彩香さんがまんざらでもなさそうな表情を浮かべているのがどうにも気になる。まったく、リアクションに困るぜ。


「初々しいわぁ~、お姉ちゃんにもこんな時期があったのよぉ。智くんと一緒に演劇をしていた時にねぇ」

「姉さん、余計なことを言ったら絶縁してやるからな」

「ふふっ~、してみなさいよぉ。できるものならねぇ。ともかく智くんは頑張っていたのよぉ。凡人のわりにはぁ。お芝居もぉ、台詞覚えもぉ」

「今、ぼんくらなのは姉さんだけどな」

「あらあらぁ~、今日は荒々しいわねぇ。カノジョちゃんの前だから」

「うるせー。姉さんは黙っていればいいんだよ」


 ギシギシと歯ぎしりをしながら、姉さんの発言に噛みつく。あまり過去の出来事について語ってほしくない。正直、恥ずかしい。僕が本気で演劇に取り組んでいるころ、すなわち中学三年生だったときのことを姉さんは話そうとしているのだけど、黒歴史が多すぎるのだ。それに彩香さんには姉さんとの確執を知ってほしくない。僕は見栄っ張りなのだ。

 と姉さんの発言を打ち消していると、彼女はふと思い出したような顔をして、僕に質問を投げかけてきた。


「そういえばぁ~、智くんは二度と演劇はしないんじゃないのぉ?」

「姉さんとは、二度と演劇はしないよ」

「ふうん。まぁ、その前に梨々花ちゃんに断りをいれるべきよぉ。無断欠勤は良くないわぁ」

「いや、なんで姉さんが墨守のことを?」

「まぁ~、言付けのようなものよぉ。色々あるのよ、お姉ちゃんにもぉ」


 わかりやすくとぼける姉さん。今日の彼女はどうにもおかしい。なにか裏でもあるのではないか。そう勘ぐってしまう。


「まぁ~、時々様子を見に来るからよろしくねぇ」

「二度と来るな」

「まあまあ、智也君。せっかくだから義姉さまに頼りましょうよ」

「彩香さんがそういうならば……。ありがと」


 姉さんの定期訪問に実際どのような意味があるのか分からないが……。

 今までの孤立無援な状況に比べれば、随分とありがたい。

 照れくさいなと思いながら、素直にお礼の言葉を述べた。


「さてぇ~、二人の関係性を聞いたことだし、今日は帰るわねぇ」

「え、あ、もういいの?」


 まだ大した話はしていないのだけど。雑談の範囲なのだけど、。

 てっきりその辺りは重点的に訊ねられるのかと思っていたのだが……。


「これからぁ~、ちょっと『仕事』をしなきゃいけないの。だから……ねぇ」


 そう言って携帯電話を取り出す姉さん。

 どこかに電話をかけながら、一瞬のうちに玄関ドアへと向かっていった。

 まるでここからは仕事の時間だと言わんばかりに。

 ほんと、自由奔放な姉さんを持つとつらいぜ。

 ため息を吐いてベッドに向かった。

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