第11話 突撃取材、墨守梨々花(上)

「やはり気になりますよね。録藤記者も」


 ゴシップ手帳を片手に、下駄箱に寄りかっている小さな人影。

 緩いウェーブの茶髪と朱色の眼鏡が特徴であり、遠目からでもよくわかるほどに下世話な笑みを浮かべている。馬に蹴られて死ぬことが確定しているような怪物。

 新聞部のゴシップ担当、墨守梨々花すみもりりりかが待ち構えていた。


「どうしてここに。部活のはずでは……」

「おや、わかりませんか?」


 僕の問いに対して、墨守はわざとらしく肩をすくめる。察しの悪いこちらをあざ笑うかのような態度。その瞳はどこか優越感にひたっているようにも見える。嫌な感触を覚えてしまう。


「もちろん、取材ですよ。そのために待ち伏せしていたのです。ここで丸裸にしちゃいましょうよ。お花畑さんの秘密を、ね」

「…………そうか」


 恐れていた事態がおきてしまった。この二週間はおとなしく記事を執筆していた墨守であったが、それはあくまで僕らの目をあざむくための偽装でしかなかったらしい。ため息がでる。


 ならば、とるべき行動はひとつ。彼女を横切って玄関口へと歩き始めた。無論、彩香さんの手を引きながら。つまるところは戦術的撤退である。


「おやおや、終始無言を貫くつもりですか、録藤記者。取材に応じて――」

「――いきますよ、彩香さんっ」


 墨守が手帳に目を落としたタイミングで、僕たちは駆け出した。校門へ向けて全力疾走。運動靴のかかとを踏みながら。下校中の生徒たちを追い越していき、ゴールはあと少し。柔らかな手の感触を堪能する暇もなく。だが、これで逃げ切れた。

 と思ったものの、その希望は打ち砕かれた。


「きたぞ、捕まえろっ!」「「「ラジャーっ!」」」


 校門の外には新聞部員たちが待機していて、行く手を阻んでいたのだ。まさか、取材のために他の部員まで巻き込んでいるとは。恐れ入ったぞ、墨守。

 急ブレーキをかけて、即座に反転。しかし、彩香さんは減速しきれなかったようで、このままではぶつかってしまう。緊急事態だ、仕方ない。


「ちょっと我慢していてくださいっ」

「へっ、なになに、どうして抱きかかえるのよ」

「こうじゃないと逃げ切れないんですよっ」


 彩香さんを抱きかかえ、そのまま校舎のほうへ戻っていく。幸いにして、彼女は羽のように軽く、一切負担にならなかった。これならなんとか逃げ切れるかも。

 演劇部のときに会得した『お姫様抱っこダッシュ』が役に立つなんてな。その際は共書を抱いていたので、相対的に彼女が軽く感じるだけかもしれないけど。あえて口にはしない。


「いま、余計なこと、考えなかった?」

「さて、なんの、ことやら」


 息切れしながらなんとか答える。そう長くはもちそうにない。

 ならば運動場へ逃げよう。そこで野球部でも巻き込めば、やつらでも簡単に手出しはできまい。キャプテンとマネージャーの不純異性交遊を墨守がすっぱ抜いたせいで、今年の地区大会に参加できなかった野球部は当然のことながら、新聞部を恨んでいる。

 僕もその一員だから、殴られるかもしれないけど。

 それでも今、捕まるよりはましだ。

 その一点に勝機を見出して、全身全霊で走り抜けたものの――


「急に走らないでくださいよ。危ないじゃないですか」


 ――ダメだった。どうやら僕の考えは筒抜けだったらしい。墨守はグラウンドに通ずる唯一の道に先回りしていたのだ。

 これでは野球部を巻き込むことは叶わない。


「はあ、はぁ……、マジ、かよぉ……」


 さすがにもう、逃走を続ける元気はなかった。走り出したところで、包囲網を突破する策が思いつかない。それに無茶な逃げかたをしたので、脚や腕に激痛が走っていて、そうでなくても、彼女を抱いたままでは、どうすることもできない。敗北を認めるほかない。


 彩香さんをゆっくりと降ろす。苦笑交じりに両手を上げて降伏の意を伝える。


「というか、逃げないでください。録藤記者は新聞部員ですよね? さりげなくお花畑さんとサボタージュに興じようとしているのですか。わたくしは許しませんよ」


 事態を思い通りにできた愉悦に染まった頬を歪ませながら、実に楽しそうな口調だ。まるで集団で獲物を追い込むシャチだな、墨守は。これは厄介なやつを敵にしたものだ。彼女が味方であったことがあるのか、そもそも疑わしいが。


「悪かったよ、墨守。記事担当を任せたから、僕の仕事はないと思ったんだ。すまない」

「いえいえ、あなたのおかげでお花畑さんを確保できましたので」


 やはり、狙いは彩香さんか。一度、取材対象に定めた以上、見逃すつもりはないらしい。僕を追ってきたという前提で話を進めていたので、その隙をついて彼女を逃がそうと思ったが、どうやらそうはいかないようで。いつの間にか、新聞部員に囲まれていた。


「すいません、どうやら逃げられないみたいです」

「みたいね。しくじったわ」


 彩香さんは悔し気に歯を食いしばる。

 不測の事態に対処できていない模様。


「おや、やはり隠さないといけない事情でもあるのでしょうか?」

「いえ、下衆の勘繰りに答えることがないだけですが、なにか」

「ほう、相変わらずの減らず口ですね、脳内お花畑さんは」

「その言葉、そっくりお返しするわ。ゴシップモンスター」


 攻める墨守、かわす彩香さん。バチバチと火花が散っている。この二人は立場の違いを抜きにしても相性が悪いらしく、舌戦を繰り広げていた。二人とも、譲るつもりはないらしい。


「さておき、質問をさせていただきますけれど」


 途端に表情を変える墨守。それは下衆じみた笑みを絶やさない普段の彼女からは想像できないほどに真剣。周囲の視線が彼女のもとに集合していく。絶対取材が始まった合図だ。この圧迫的なインタビューから逃げ切れたものはいない。


「どうして、一緒に帰宅しているのですか?」

「そりゃ、帰る家が同じだからだよ。なにもおかしくないと思うが」

「お二人は普段、別々に帰宅しているじゃないですか。どうして今日は一緒になんです?」

「そ、それは……」


 言葉を詰まらせる。クラスメートをだますだけならば、先程、教室で繰り広げた夫婦漫才で語ったように、デートの一言で済む話なのだが、墨守の場合はそうはいかない。

 なぜなら、僕たちの関係性が疑われているからだ。ご都合主義的な僕たちの関係性を。健全ではない裏があるのではないかと勘繰っている。それは間違っていない。


 だって、その関係性というのは、テレビ局によって用意されたものなのだから。ゴシップモンスターの勘というのも侮れない。


 実際、彼女は彩香さんの自己紹介に際して、疑問を抱いていた。それになにより、墨守は同じ部活に属する僕について、十全すぎる情報を持っている。ゆえに辻褄があわなければ即座に指摘してくるのだ。

 愚直な嘘は通じないと思ったほうが良い。

 さて、どうやって彩香さんの抱える事情を隠し通したものか。

 肩をすくめたくなる。


「そもそも、二人の関係性に関しては、納得のいく説明を受けていないのですが」

「それは最初に語っただろう? 彼女は僕の親戚だ。家庭の事情によって、単身でこちらに越してくることになったので、うちで暮らすことになったんだ」


 事務的な答弁を述べる。現段階においてはこれが公式的な解釈ということになっている。家庭の事情を中心にすえることで、根掘り葉掘り質問するのが難しくなっているのが肝だ。これによって二週間、ありとあらゆる質疑応答をかわしてきた。だが、効果があるのはあくまで一般常識をわきまえている人に限られるわけで。


「本当にそうなのでしょうか。『婚約は幼少期の約束で、彼女なりのジョーク』だと聞いていましたが、今日はずいぶんと親しげですよね。お姫様抱っこなんてしませんよ、普通」


 人の事情に首をつっこむことを生きがいとするゴシップモンスターには通用しない。まさに無敵状態。

 しかも的確に厄介な質問を投げかけてくる。思わず顔が歪む。


「加えて、録藤記者のお花畑さんに対する態度も、この二週間で様変わりしていますよね。無論、同棲による意識の変化もあるでしょうが。それ以外にも、要因があるのでは?」

「そ、それは……」

「そこで録藤記者に問います。この二週間になにがあったのでしょうか」


 目を輝かせ、ボイスレコーダーを突き出す墨守。取材の成功を確信したのか、ドヤ顔を浮かべている。だけど、僕だって素直に負けを認めるつもりはなかった。


「答える義理はない。お前には関係ない話だ」

「……っ! おやおやおや、それは話が違いませんかっ、録藤記者。新聞部員としてインタビューに協力していただけるのではっ?」

「そんな約束はしていない」

「じゃ、じゃあ、録藤記者は新聞部よりも、西城彩香を選ぶというですか?」

「もちろん。僕にとって一番大切な存在だからね」


 彩香さんの肩を掴んで胸元に抱きよせる。その瞬間、事の推移を見守っていたガヤから歓声があがった。新聞部員の持つカメラも一斉にフラッシュを焚く。


 当の本人は唐突な行動に「えっ、え?」ともらすばかり。本当にごめんなさい。

 ああ、これでまた一つ、同性からの好感度を失った。本当はこういうの苦手なんだけどな。その証拠に僕をよく知る墨守は唖然とした表情で固まってしまっている。しかし、それも一瞬のことで、彼女は自身の頬を叩いて、唸るように叫んだ。


「ああ、そうですかっ、それがあなたの選択ですかっ、ならばこちらにも策がありますっ」


 手元のカバンから一枚の写真を取り出す墨守。そこにはメイド姿で僕といちゃつく彩香さんの姿が。昨日、ファミレスでのデートの様子だ。まさか隠し撮りをしているとは。


「時に録藤記者っ、この写真をばらまいたらどうなると思います?」

「……まさか、これを担任に渡すつもりなのか」

「ええ、もちろん。不純異性交遊の実態を報告することも、新聞部のつとめですので」


 再び優勢となった墨守。邪悪な笑みを取り戻す。

 事実、この状況は僕たちにとって最悪といっても差し支えなかった。

 不祥事を人一倍恐れる九郎原先生のことだ。この写真の発覚と共に全力で火消しに走るだろう。それも僕たちを高校から追放する方向で。つまり、墨守のインタビューに答えないと、退学になる可能性が高いということ。そんな脅しは通用するか、と言いたかったが、退学になるのは避けたった。だが、取材に応じれば、彼女の事情が露呈することは間違いない。


 くそ、まさかこんなところで究極の選択を強いられるとは。打開策はないのか。

 足りない頭で真剣に思案していると、ここまで沈黙を続けていた彩香さんが口を開いた。


「私がいうのもなんだけど、智也君の配慮を無下にしないほうがいいわよ」

「ほう、それはどういう意味で?」

「新聞部が厄介な事情に巻き込まれないように、智也君は言葉を濁しているの」


 凛とした表情で、墨守を見つめる彩香さん。先程までのこう着状態とは異なり、真剣な表情を浮かべている。その様子に周囲のガヤも一瞬にして静まった。流れが変わった。


「いえ、何を言っているのか、さっぱりわからないのですが」

「……仕方ありませんね。事の真相について説明しましょう」

「彩香さんっ⁉」


 爆弾発言に驚いた僕は思わず叫んでしまう。

 事の真相について墨守に語ってしまえば、『エセ恋TV』は本当に成立しなくなる。そうなれば今度こそ彩香さんの夢であるアイドルの道は閉ざされてしまう。


【大丈夫。事態がこれ以上悪化することはないわ】


 そんなメッセージが送られてくる。横をみればにこやかな笑み。その様子から察するにこの状況を打開するようなアイデアがあるらしい。不安は拭えないが、この提案に賭けるしかあるまい。覚悟を決めて、小さく頷いた。


「その前に場所を移しましょ。ここはちょっとギャラリーが多すぎるわ」

「わかりました。あなたの都合のよい場所へ移りましょうか」


 たしかに、これほどガヤが見ている状態で告げるような真相ではない。その発言を聞いたのか、ガヤの皆さんは恨めしそうな念を残して散っていく。

 新聞部員たちに命令を下し、校門を去っていく墨守。

 僕と彩香さんはその後ろをついていった。

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