第10話 茶番、夫婦漫才

 ぼんやりとした意識で席に戻り、気を逸らすべく窓の外を眺める。

 九月も中旬だというのに、依然としてきらめく日差しに嫌気がさす。

 そうこうしているうちに、いつの間にかホームルームは進行していたらしく、担任の挨拶を残すだけだった。これじゃいけない。意識を担任のほうに戻す。


「――というわけで連絡は以上だ。二学期も始まって二週間ほど経ったが、最近気が緩んでいる生徒が多い。特に録藤と西城。間違っても面倒事を起こすなよ。解散」


 不祥事の他には気を配らない九郎原先生は気怠そうに学級日誌を閉じた。

 狙い撃つな。

 それを確認した学級委員が機械的な号令をかけ、本日の授業は終了した。担任の退場と同時に喧騒に包まれる教室内。お待ちかねの放課後だ。

 運動部の連中は我先にと教室を後にする。その横顔は青春そのもの。充実っぷりが見て取れる。机につっぷしながら眺めながら、ため息をひとつ。


「こちとら、もう部活にいく体力が残ってねーよ」


 この二週間は超天変地異みたいな出来事が立て続いていた。その原因はもちろん彩香さん、ひいてはテレビ局にあった。視聴率が欲しいのか、現実じゃありえないようなイベントが乱立し、おかげで心身ともに疲弊しきっている。

 それこそエナジードリンクではごまかしきれないほどに。睡眠前にイベントが頻発しているせいで、きちんと眠れていないのも大きい。


 ゆえにここ最近は新聞部にも顔を出せていない。

 幸か不幸か、墨守に紙面を譲っていたので、出席する理由もないのだけど。

 なので、今日はこのまま帰宅し、明日への英気を養うと決めた。

 ――のだけど、そうは問屋が卸さないようで。


「ねぇ、今日ってデート日和だとは思わない?」

「あー、そうですね……ってええっ⁉」


 角砂糖十個分に相当するほど甘い声で囁く彩香さん。しかし、現実はビターというかブラックなようで。二週間ずっとデート状態だったというのにまだ続くのか。さすがにこの展開は予想していなかったので、素っ頓狂な声が漏れる。


 すると、教室に残っていた暇なクラスメートの視線が一瞬にして集まる。娯楽に飢えた高校生にとって、色恋沙汰ほど面白いイベントはないらしい。ざわざわと騒ぎ出す。


「おい、西城と録藤がいちゃついてるぜ。こりゃ、茶化すしかないぜ」

「今日も夫婦漫才の開幕か。胸が躍るなぁ」

「いけー、彩香ちゃんっ! そのまま押し倒しちゃえ!」


 思い思いの野次を飛ばすガヤのみなさん。僕らの恋路を競馬かなにかと勘違いしている気がする。よしんば競馬だとしても、仕組まれた出来レースなんだけど。


 そんなガヤはまだ健全なほうで、よくよく耳をすましてみれば、「陰キャのくせしてイキがるなよ」とか「あいつを殺して、俺が成り代わる」とか「社会的に抹殺して退学を狙うか」みたいな、身の毛もよだつような呟きが聞こえてくるから恐ろしい。しかも、比較的交友があったやつが発言しているのだから気が沈む。


 閑話休題。


 彩香さんが突拍子のない発言をするのは脚本によって定められているので、いまさら驚くことはないけれど、その後ろに隠れている真意がどうにも掴めない。なので素直に驚いた演技を続けながら、探りを入れる。


「い、いきなりなにを言い出すんですか」

「あら、昨日ファミレスで約束したじゃない。放課後にデートをするって」

「初耳ですよ。それに今週ずっとデートじゃないですか。もうクタクタなんですけど」

「私のせいだっていうの? 昨日のプレイはあなたが頼んだからやったのに。みんなの前でするのは恥ずかしかったのに。智也君ったらひどいわっ」


 彩香さんは曲解されそうな台詞で僕を責め立てる。頬を膨らませながら胸元をポカポカと叩いてくる。もちろんこれは演技であるのだけど、それにしたって上手だ。


 あざといんだけど、自然に見せるプロの技。そりゃ、共書も舞台に誘うわけだ。


「……私のこと、飽きちゃったの?」


 両目に大粒のなみだをためて、上目遣いでこちらを覗いてくる。二週間前、カラオケで見せた本気のなみだと比べると見劣りしてしまうのだけど、その違いを判別できるのは僕だけ。


 事情を知らないガヤのみなさんは「婚約者を泣かせる? 普通」だの「録藤は責任を取るべき」だの「引責退学しろ」と大バッシング。僕の株価は底値に。弁明会見を開かねば。


「いやいやいやいや、そんなことはないですよ。ただ、唐突だったので心の準備ができていないというか、心の臓がバクバクというか――」


 説明責任を果たせなかったせいか、野次は強まるばかり。

 というか、火に油を注ぐ結果に。

 相変わらずインタビューされるのは慣れない。どうか、僕にも優しくしてくれ。


「ふふっ、ごめんなさい。つい意地悪しちゃった。智也君、やさしいから」


 チロリと舌を出し、ポカリと頭を叩く彩香さん。あざとい、だけど憎めない。やさしいの発音が完全に易しいなのが気になるけど。事実だけど。急に恥ずかしくなり、頬が真っ赤に燃え上がっていく。あ~あ、ちょろいな、僕って。


 ちなみにここでもガヤが「末永く爆発しろー!」だの「責任者呼んでこーいっ!」だの叫んでいた。いちいちリアクションが面白い。

 僕の株価は売り注文ばかりだが。

 そもそも、責任者って誰だよ。番組プロデューサーでも呼んでくるのか?


「ともかく、私とお出かけしてくれないかしら」

「それぐらいだったら、構いませんけど」


 やはり、彼女の目標は依然としてはっきりしないままだ。気になって仕方ない。

 と、ここで胸ポケットにいれたスマートフォンがブルリと振動。

 チャットアプリの通知音。送信者はもちろん彩香さん。タップして確認する。


【ノルマを達成しに行きたいの。協力してくれないかしら】


 そうか、それがあったのか。番組の仕掛人である彼女には、達成すべきノルマが設定されている。たとえば、昨日の『デザートとメイド』みたいに。達成すれば、収録を早期に終了できるという利点がある。やらない道理はない。【了解しました】と返信する。


「あー、やっぱり僕とデートしてくれませんか?」

「もちろんよ。あなたから誘ってくれるなんて嬉しいわ」

「それで、どこにいきましょうかね?」


 そう訊ねると、先程まで浮かべていた緩い笑顔から一転して、険しい表情に。二週間ほど寝食を共にしているが、このような顔を見たのは初めてのことだ。こういう演技だって出来るとは恐れいる。そんな真剣極まる態度に、思わず息をのんだ。


「私、どうしてもいきたい場所があるの」

「いきたい場所、ですか?」

「ここじゃ……ちょっと恥ずかしくて」


 顔を真っ赤にして、スカートの袖をいじらしく掴む。これは演技なのか、判断がつかない。というか、ここでは言えない場所ってどこだよ。頭に疑問符が浮かぶ。

 一方、ガヤはこれを好機と見たのか、攻勢をさらに強める。「いかがわしい、汚らわしい、だけど、めちゃくちゃ気になるわ」だの「ホテルだろ。常識的に考えて」だの「おい、墨守に知らせておけ」だの「不純異性交遊はやめろぉぉぉぉぉ」だの、騒がしいったらありゃしない。


 さりげなく担任の九郎原がガヤに交じっているし。責任者ってあんたかよ。そんなに不祥事が怖いのか。あやまちなんて起こりえないのだけどね。テレビ局に見張られているのだから。

 ガヤを無視しつつ、話を前へと進めていく。


「……そこって僕もついていける場所ですよね」

「ええ、もちろん。あなたといかなきゃ意味がないわ」


 どうやら、ノルマの達成に必要な場所らしい。しかし、僕のリアクションを自然なものに近づけるためか、どこに行くのかは伏せておくそうだ。たしかに、備えるに越したことはない。

 というのは建前。

 こんな美少女とのデートが嬉しくないわけがないのだ。ヒャッホイ。


「それじゃ、いきましょ、智也君」

「もちろんですとも、彩香さん」


 彼女の手を握って、ガヤのつくった円陣を崩しながら教室を立ち去る。ガヤの連中も尾行とかいう無粋なまねはせず、その場で解散していく。とはいえ、教室を出た後も、廊下や階段でたむろっている連中には、好奇の視線をあびせられるわけで。


 アイドルである彩香さんは特に気にかけた様子はないのだけど、僕はどうにも慣れない。まあ、金髪碧眼の美少女が冴えない男と恋人繋ぎをしたら目立つよな。


 見世物じゃないと言おうかと思ったが、すぐに思いとどまる。この姿が実際に放映されてみろ。これほど滑稽なことはない。ぐっと我慢の子。


 しかし、こうして裏事情を知ったうえで彼女と接してみると、演技力が突出して高いことがよくわかる。共書の案に乗るわけじゃないけど、舞台に上がってもその実力を存分に発揮するだろう。自身に与えられた役割をきちんと把握したうえで、どんな時でも立ち位置をわきまえることは半端な人間に真似できるものではない。


 それこそ、アイドルに絞らず、役者を目指してみてもいいのではないだろうか?

 愚考とは理解しつつも、そんなことを思ってしまう。けれど、アイドル一直線。固執しているといっても過言ではない。そこには彼女が隠している事情があるのだろうか?

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