第9話 堂々開幕、共書劇場
「……というわけで大変なんだよ」
「ふん、なにが大変だというのだ。ただの惚気話ではないか」
やれやれとため息をつき、わざとらしく肩をすくめる共書。
こんな時でも芝居の練習を欠かさない。
次に演じる役柄がライバル企業の社長であるためか、経済誌を脇に抱えている。これでノートパソコンをいじっていれば完璧だな。自分が書き上げたキャラクターを想像通りに演じてもらえるのは脚本家冥利に尽きるもの。
けれど、友人の愚痴に付き合うときぐらいはちゃんとしてほしいものだが。
役のイメージにそぐわない、と掃除をボイコットした社長に代わり、雑巾で棚を磨くことになった僕はそう思ってしまう。
「ちゃんと話を聞いてたか? メイド服でファミレスだぞ」
「その程度か。我々、演劇部はゾンビメイクのままショッピングモールに突撃したぞ」
「あの七不思議、お前たちだったのかよっ!」
「ふっ、新入生に対するオリエンテーションの一環でな」
「……なにやってるんだよ、うちの演劇部は」
というか、なんでお前は彩香さんと張り合っているんだよ。愚痴を聞いてくれるのではなかったのか。そう憤りたくなるが、彼の話がすぐに脱線するのはいつものこと。諦めはついている。ちなみにその七不思議を記事にしたことがあるのだけど、ここでは割愛。
「しかし、興味が出てきたぞ、西城彩香。ぜひ我が部にヘッドハンティングしたい」
「さっきの話からどうしてそう繋がるんだよ」
「決まっている。『ダイヤモンド・ワン』のヒロインにするためだ」
スカウトをしたい理由をつらつらと述べていく共書。
そういえば、彼女がテレビ局から与えられた設定は、次の舞台のヒロインに似ていたのだ。それに完璧なアイドルを目指す彩香さんは当然のことながら演技だって上手である。
どうやら演劇バカはそれを嗅ぎとったらしい。妙なところで勘がさえている。
「どうだ、悪くないだろう。なに心配するな。もし西城をヒロインにするならば、きちんと貴様が主人公になるように調整してやる」
まさか、僕を舞台に上げる気なのか。棚を磨く手が止まる。
「僕は演劇部じゃないぜ。彩香さんをヒロインにするとしても、お前が主人公でいいだろ」
「我では務まるまい。無論、他の演劇部員でも」
「なんでさ。うちの演劇部はかなりレベルが高いだろうに」
「簡単なことだ。貴様たちが運命の赤い糸で結ばれているからだ」
「……はぁ?」
共書が放った一言にその場で固まってしまう。
運命の赤い糸、と言ったのか。あの共書修が。彼は客席から眺めるぶんには申し分のないイケメンなので、当然ながら女性によくモテる。しかもこういうタイプの人間には珍しく、誰とでも付き合うのだ。イメージにそぐわないが、もちろんこれには裏がある。
つまるところ、彼は男女交際というものを即興劇の一種と捉えているのだ。
そんなことだから、すぐに女子に幻滅され、元カノを量産しているのだけど。
ともかく、そんな男が現実の恋愛に対して、好意的な反応を示したのだ。異常である。
「こりゃ、明日は槍が降るかもな」
「なにも冗談を言っているわけではない。録藤と西城の関係性をあらわすならば、この言葉が相応しいと判断したまでだ。運命的で戯曲的。まるでニーベルンゲンの指輪みたいだ」
「彩香さんがブリュンヒルデなら、僕はシグルドってか」
「これこそ、機械仕掛けの神の思し召しではあるまいかっ!」
経済誌をマイクに見立て、朗々と熱弁を振るう共書。その瞬間、教室は劇場に変わる。劇団共書、堂々開演。好奇が九割、好意が一割の視線が注がれる。
なるほど、僕らの恋愛からストーリー性を見出したので、好意的だったのか。実際、番組に与えられた役を演じているので、その推察は正解なのだけど。本当に恋愛を劇としか捉えてないんだな、こいつ。
「だからって、劇に出るっていうのは違うだろ」
「なに、心配するな。文化祭は十月中旬だ。まだ時間がある」
そういう問題ではないのだけど。心の中で苦笑い。
その運命的で戯曲的な関係性の維持に、どれだけ苦心していると思っているんだ。それに真相に近づいてきている共書のもとで、演劇に出るのは好ましくない。今でさえ危険な橋を渡っているのだ。リスクは回避すべきである。そもそも、利益がないし。
その旨を伝えようとすると、彼は割り込むように口を開いた。
「貴様は、姉に復讐したくないのか?」
「ずるいよ。そこで姉さんの話をするのは」
「脚本家で主人公。これはあの天才とて成し遂げていない偉業だ」
「それは、そうだけど」
雑巾を握る手に力がこもる。同時に去来したのは、演劇に対する未練と姉さんへ言い表せない感情。あの人がいない舞台に、僕が書いた脚本。そんな劇を彩香さんと演じる。理想通りのシチュエーション。この好条件を断っていいものか。心が揺れ動く。
思考過多に陥りそうになっていると、清掃終了のチャイムがなった。
「結論は急いでいない。考えておいてくれ」
そう言って雑巾を奪い、共書は洗い場へと消えた。不敵な笑みを浮かべながら。
勝利を確信した背中を呆然と見送ることしかできなかった。
「……いったん、保留にしておこう、そうしよう」
呪文を唱えるように、繰り返し言い聞かせる。けれど、頭の片隅には文化祭の舞台に立つ自分の姿がこびりついて離れなかった。
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