第7話 都合のよいヒロイン(下)
「はぁ~、やっぱり歌うと気持ちがいいわね」
「そうですね。それにしても彩香さんって上手なんですね」
「お褒めにあずかり光栄だわ。えへへっ」
頬を赤く染めてはにかむ彩香さん。その破壊力はすさまじく、惚れてしまいそうになる。誰もが羨む美少女とのデート。悪くないな。氷で薄まったコーラで喉を潤しながら思った。
繫華街に到着した僕たちが向かったのは、カラオケボックスだった。
全国にチェーンを構えている店であり、この街特有のものではない。それどころか、家の周辺だって店がある。わざわざタクシー代を払ってまでいく店ではない。
その疑問を直接ぶつけてみると――
「ここなら盗聴を気にしなくていいのよ」
「盗聴? それってテレビ局の?」
「ええ、その辺の事情を含めてゆっくりと説明するから。まずは歌いましょ」
そう言い終えると同時に選曲を済ませる彩香さん。どうやら歌いたいらしい。今、質問をしても仕方がない。そう思い、僕も選曲を始めたのだった。回想終了。
入室から一時間。互いに好きな曲を熱唱していった。
洋楽に邦楽、流行歌から定番曲、ときには童謡を織り交ぜながら。
特に彼女が歌った曲は聞きなじみのないものが多かったが、そのどれもが琴線に触れる名曲ばかりだった。随分と良いセンスをしているな。
「しかし、本当に楽しそうだなぁ」
ふと漏れ出た呟き。アップテンポのメロディーにかき消された。
今期のアニメソングを熱唱する彩香さん。
その横顔は今朝の媚びたものでも、車内で見せた黒い一面でもなく、難しい曲に必死で食らいつく、可愛らしい少女といった具合だった。
――これだけが現実で、これまでの出来事はすべて白昼夢。
そう言われても納得できるほどに、今日という一日は非現実的だった。
だけど、タクシーのなかで告げられた言葉。
それはまことに残念ながら、すべて真実だという。認めたくないけど。
熱唱を終えた彼女にことのあらましについて再び訊ねた。
「で、結局、彩香さんは『幼馴染』でも『婚約者』でもないんですよね?」
「……うぅ、その通りよ」
率直な問いかけに生気をなくす彼女。
どうやらこの説明をするのは気が引けるらしい。まるでやり忘れた課題に気づいてしまった学生みたいだ。しかし、ここで説明を止めてもらっては困る。質問を続ける。
「しかも、彩香さんは地下アイドルなんですよね」
「……はい」
「それどころか、『エセ恋TV』とかいうテレビの企画で僕をだましていた、と?」
「……その通りです」
機械的に首を振っている。その瞳からはハイライトが消えていた。目尻には涙が浮かんでいる。重大な仕事に失敗したのだから、そういう反応にもなるのだろうが……。
隠していた事情はタクシーの中で大体把握したものの、その上でどのような反応をしたらいいのか、わからなかった。
正直、彼女に関しては、色々とご都合主義的で最初から疑念を抱いていたのだ。
ドッキリについては初耳だったけれど、はめられたという実感がない。それこそ、『ドッキリ大成功』のパネルを見ないとどうにも。スタッフにばれていないようなので、しばらくお目にかかることはないだろうけれど、ね。
「それにしたって、ドッキリですか。なんでまたそんなことを」
独り言のようにつぶやくと、彼女はカバンから一枚の企画書を取り出した。電車内で確認し損ねた資料のようだ。
しかし、これがなんだというのか。小首をかしげる。
「……率が、率が取れるから、と聞いているわ」
「率? ああ、視聴率のことですか」
「そうよ。PPP放送……東京にある民放局なんだけど、昨今、深刻化しているテレビ離れに頭を抱えているらしいの。そんななか、名物プロデューサーが社運をかけて企画したのが『エセ恋TV』ってわけ。高視聴率のドッキリと恋愛ドラマを融合させた、まったく新しいバラエティ番組で、視聴者の新規開拓を狙っているって。だから、この番組には巨額の資金が投じられているらしいわ……だけど」
初日からターゲットが企画趣旨を知ってしまったわけか。
そういえば、墨守から聞いたことがある。
PPP放送はかつて『お茶の間の帝王』と呼ばれ、今なお語り継がれる恋愛バラエティ番組をいくつも作り上げていたという。ゆえに起死回生の番組もこういうのなのだろう。
企画書に目を通していく。その時の所感を率直に述べるならば、大変よくできていて面白そうな企画だった。
青春に飢えている普通の高校生のもとに、都合よく現れる絶世の美少女。身振り手振りは大きく、率直に好意を伝えてくれる、まさにアイドルみたいな存在。
しかし、そんな彼女についての記憶を一切思い出せない少年。
彼らを取り巻く『裏事情』は視聴者だけが知っている。
その優越感に浸るもよし。
安全な位置から感情移入して、妄想にふけるのもよし。
そんなこともつゆ知らず、彼らの青春ラブコメは緩やかに、都合よく回っていく。
――実によくできた筋書きである。そのまま舞台にしても良いかもしれない。
事実、僕はこういう都合のよいラブコメは嫌いではないのだ。
ただし、自分がその少年役だということを除けば、だが。
「幻滅させてしまったわね。ごめんなさい。私たちはそういう人間なのよ」
「いえ、正直、まだ騙されている感覚はないんですけど」
感覚はない以上、怒ることも悲しむこともできない。それに――
「真相に気づいてしまった以上、撮影の継続は不可能ですよね。僕は番組が欲していた『なにも知らない』リアクションはできないわけですし」
ドッキリがばれた以上、僕は少年役を続けられないのだ。それがドッキリの面白さであり、最大の弱点。多少の損害はあるだろうが、少年役を変更して撮り直せばいい。彼女と違って、代わりは誰にだって務まるのだから。
そう伝えたところ、彩香さんはポニーテールを左右に揺らして否定する。
「そ、そうはいかないのよっ!」
「いや、無理だと思いますけど。それに続ける意味ってあるんですか?」
「それは……」
スカートの裾をギュッと掴む彩香さん。思案しているのか、しばらくの間黙り込む。やがて意を決したのか、こちらを正面に見据えて、こう宣言した。
「私の……プロデビュー、アイドルとしての将来がかかっているのよ」
「ぷ、プロデビュー、ですか?」
「そうよ、なにか悪いのっ!」
何故か逆ギレ気味。単純に驚いただけなのに……。
「この番組のプロデューサーが約束してくれたのよ。『撮影期間中、三ヶ月間、仕掛人であることがバレなければ、プロのアイドルとしてデビューさせてやる』って。私はずっと憧れてきたの。テレビに出演できるようなアイドルに。だからこの仕事を引き受けたのよ」
感情をぶちまけるように、彩香さんは一息で語った。この巨大プロジェクトにはこのような特典もついてくるのか。しかし、どうにも引っかかるところがあった。率直に訊いてみる。
「……そんなことをしなくても、プロになれるんじゃ?」
ルックスはさることながら、歌も上手でダンスだって出来る。クオリティは高く、素人目に見ても、プロとの差は感じなかった。ゆえに疑問で抱かずにはいられなかった。
「それ、本気で言っているの。それとも嫌味かしら」
静かに目をつりあげる彩香さん。棘のある口調で言葉を続ける。
「私には……そんな実力は無いわ。努力が上手なだけよ。今のアイドルとしての地位やイメージだって、泥臭く努力を積み重ねてきたの。歌も、ダンスも、トークも、キャラクターも、全部。そこまでやってプロになるチャンスを手にしただけなのよ。それも偶然ね」
「いや、そんなことは……」
「この際だから教えてあげるけど、オフの私はこんなにお淑やかでもないし、だからといってクールでもないの。喋り方一つだって意識しなければ崩れちゃうし……性格だって悪いわ。多分、あなたは幻滅すると思うの。アイドル活動だって、自分の全てを捧げても、プロには追いつけない。アイドルにはなれていない。私は……しょせん、『地下アイドル』なのよ」
悲痛の告白が狭い室内で反響する。しょせん、地下アイドルか……。
それでも普通の高校生からすると、とても輝いてみえるのだけど。
というかこれほどの美貌があれば、アイドルじゃなくても、モデルとして通用するとおもうのだけど。アイドルのプロデビューも難しくないと思ってしまうのだけど。
「ふふっ、お世辞でも嬉しいわ。ありがとね」
自傷気味に笑う彩香さん。
どうにも厳しいのがアイドル業界のようだ。
「……そんな私にとってこの仕事は千載一遇のチャンスだったの。気を悪くしてほしくないんだけど、正直にいえば、三ヶ月近く知らない男子と同棲だなんて怖いわ。両親からは猛反対されたし。だけどね、嫌だったの。この機会から背をそむけてしまうのは。今逃げれば一生後悔を抱えながら生きていくと思ったの。だから……」
そこで言葉を切り、覚悟の宿った瞳をこちらに向けて、こう宣言する。
「だから私はプロデビューのために、このチャンスをものにするって決めたのよ。なにがなんでものし上がってやるって決めたのよ」
「……そう、だったんですか」
プロのアイドル、か。別に今すぐならなくても支障はないだろうに。だけど、その熱意は誰にも笑えないし、止められないだろう。そこには譲れない想いがあるようだ。その想いを叶えるためにはなんとしても、『エセ恋TV』を成功させる必要があるわけで。
今までの意味不明な行動は、すべて夢のためというのは十二分に伝わった。是非とも応援させてほしい。できることなら力になりたい、のだが……。
「僕は知ってしまったんです。この番組の意図を……」
覆水盆に返らず。ここまで『裏事情』を知ってしまうと、もう初々しいあの頃には戻れないのである。ゆえに彼女のためにできることなど、なに一つ無いのだ。
「それは分かっているわ。わかっているの……けれど無理を承知でお願いするわ。だまされた演技をしてくれないかしら……!」
「そんな、できませんよっ」
「あなたが真実にたどり着いたことを……『都合のよいラブコメ』が仕組まれていたことを知っているのは、私たちだけなのよ」
「そ、それはそうですけど」
「……だから、一生のお願い。私のためにだまされたふりをしてください。どうかよろしくお願いします。お願い……、します……」
両手をギュッと握りしめて、神に祈りを捧げるように懇願する彩香さん。
固く瞑った目には、涙がくっきりと浮かんでいる。
「……どうしたらいいんだろう」
正直、演技なんてできないとおもう。
ドッキリとは生の反応、ゆえに正解がない。
中学生の時に共書と演劇をしていたが、この経験なんて役にたたないだろう。
それにドッキリによる被害を事前に免れたのだ。わざわざ火中の栗を拾う必要は皆無だ。
このまま続投したところで、面倒なことに巻き込まれるのは明らかだった。
愛すべき日常はカメラによって凌辱され、プライベートは丸裸。だからといって利益があるわけじゃない。この話に乗るのはよっぽどのバカだけだ。
けどさ。
だけれどさ。
僕はよっぽどのバカでなりたかった。
緩やかな日常を捨てて、美少女を守る。そういうバカに全力を注ぎたかったのだ。夢を追いかけている美少女に必死で頼まれて、しかもそれが金髪碧眼なんだぜ。
これを断るようならば、ロマンなんて一生語る資格がない。それに退屈な日常をぶち壊す美少女って素敵だろ?
だから、今朝のような気持ち悪い作り笑いでは無く。
心の底から笑みを浮かべてこう答えた。
「……分かりました」
「お願い……ってええっ!?」
「協力、します。上手くいくかは分からないけれど」
「あ……、それって、本当っ!」
それを聞いた彩香さんは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になる。
しかしすぐに瞳をキラキラと輝かせ、歓声を上げた。
「う……うんっ! 改めてよろしくお願いしますっ!」
深々と頭を上げて、本当に嬉しそうに言ったのだった。
――こうして、夏休みの三倍ほど刺激的な九月一日は幕を閉じた。
しかし、今日の出来事は青春ラブコメにおいて、序章に過ぎなかったことを、近い将来、身をもって実感するはめになるのだけど。
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