第6話 都合のよいヒロイン(中)

 最寄駅からタクシーを拾った僕たちは繁華街にむかった。

 繁華街には地方のターミナル駅があり、複合商業施設が軒を連ねていて、昼夜を問わず多くの学生や観光客でにぎわっている。そのため、デートスポットにも最適なのだけど……。


「…………はぁ」


 何度目か分からないため息をはき捨てて、車窓をぼんやり眺める彩香さん。

 バラの棘のように鋭い雰囲気を醸し出していて、今朝の人懐っこい態度とは対照的。まるで殺人犯と一緒にいるような険悪な空気が車内を支配する。


「あの、彩香さん。質問してもいいですか?」

「…………」

「もしかして、なにか気に障るようなことを……?」

「…………」


 ご機嫌をうかがってみるものの、返事はない。

 どうやら取り返しのつかない失敗をしてしまったらしい。

 恐らくはカバンの中身を見てしまったことみたいだ。彼女にとって、アイドル活動をしているということは秘密にしたかったのだろう。その証拠に、彩香さんはまるで全てを失ったみたいに焦燥しきった表情を浮かべていた。こんな顔、始めて見た。今朝からの付き合いだけど。

 沈黙はしばらく続いたが、やがて彼女によって破られた。


「ねぇ、智也君。ちょっと目をつぶって」

「え……?」

「動かないで。すぐ終わるから」


 彩香さんは普段と同じ様子に戻って、唐突に身体を押し付けてきた。

 予期せぬ接近に心臓が弾み、呼吸が荒れていく。

 狭い車内での出来事ゆえに致し方ないことだけど、右腕にその、やわらかいものが当たってしまっている。頬が急激に高揚していくのが自分でもよく分かった。

 お、落ち着け、今ここで取り乱すことほど恥ずかしいことはないぞ。円周率でも数えて心を落ち着けるんだ。……ってπなんて余計に意識しちゃうだろっ!

 目をぎゅっと縛っていると、やわらかな手が耳に触れ――


「……あった。こんなことにくっ付いていたのね。もう目を開けていいわよ」

「さ、彩香さん。な、なにをしたんですか。まさか――」

「バカ、キスなんかじゃないわよ。コレを取り外したかったの」


 あきれた視線を投げかけながら、彩香さんは固く握っていた右手を開いて見せた。手のひらに隠されていたのは、くしゃくしゃに変形して原型を残していないピンマイクだった。テレビ番組なんかで、タレントが胸元につけているやつ。


「これがあったら会話が番組に全部筒抜けだからね。あ~、やっとこれで会話が出来る」

「ちょ、ちょっと待てぃ! どういうことですか。彩香さん。カバンの中身といい、このピンマイクといい。僕は何に巻き込まれているんですかっ!」

「ぎゃーぎゃーうるさいわね。そういうのきもいわよ」


 苛立ちをストレートにぶつけてくる彩香さん。

 そこに今朝までの面影は残っていない。

 それより、きもいって言われたのが結構、ショックだ。

 そりゃ、自分のことをイケてる男だと勘違いしているわけじゃないけど、面と向かって罵倒されるときついものがある。実はこんな性格だったのか……。

 すると、彩香さんは肩をすくめてため息をついて、一言。


「……もう気づいているんでしょ? 私のこと」

「それはどういうことで……?」

「もうとぼけなくてもいいじゃん……本当は私が『幼馴染』でも『婚約者』でも『未来の花嫁』でも『メイド』ですらないってこと、気づいているんでしょ?」


 じゃあ、今朝の自己紹介って全部嘘じゃんっ⁉

 驚愕する僕を置いてきぼりにして、さらにカミングアウト。


「……いや、それだけじゃないわね……私が売れない地下アイドル『ヴァルハ・ライブ』のリーダーってことも……あなたが好きそうな『属性』を演じていたことも……この青春ラブコメが『PPP放送』に仕組まれていたことも、全部知っているんでしょ?」

「……えっ、本当、ですか?」

「はい?」

「え?」

「……ねえ、それってガチのリアクション? 私が暴露するまで知らなかった?」

「まあ、事情があるとは思っていましたけど、ここまでとは……」


 その瞬間、言い表せない静寂がタクシーの中を駆け抜けた。

 運転手の男が堪えられなくなって、「ふ、ふふっ」と噴き出していた。


「……ええっと、ちょっと状況を整理させてください」


 今までの出来事を一から思い起こしていく。

 今朝、いきなり現れた西城彩香は、僕の『幼馴染で婚約者、未来の花嫁にして、メイド』だを名乗ったが、その全てが嘘だった。

 それどころか、僕はどこかのテレビ局にドッキリを仕掛けられていて、彩香さんの正体はアイドルであり、ドッキリの仕掛け人だという。

 しかしその重大な機密を僕に対して暴露してしまった。当の本人は全然気がついていなかったのにもかかわらず。

 以上が、彼女の正体であり、巻き込まれている事情らしい。

 もし今日一日を記事にして見出しをつけるならば『僕の青春ラブコメはテレビ局に仕組まれていました』といったところだろうか。呟けばそこそこバズりそう。はははっ。

 ――これはヤバい。想像の十倍ほど面倒なことに巻き込まれているじゃないか。

 なにも聞かなかったことにするしかあるまい。

 それこそ、ラブコメの主人公のように。


「……い、いや~、突発性難聴のせいで、なにを言っているのか分からなかったなぁ~。僕、なんにも知らなーい、なんて」


 いや、これはないな。完全に悪手だった。

 だって、彩香さんの顔色がドンドン悪くなっていくのだもん。


「……ね、ねぇ、智也君、いや、智也様。お願いがあります」


 さりげなく距離を置こうとした肩をがっしりと掴む。

 振り払おうとしてみるがそのたびに強く食い込んで放そうとしない。

 どうしたものかと思案する僕に対して、彩香さんは涙声で絶叫した。


「わ、私を助けて下さい。お願いします。なんにもできないけどぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 助けてほしいのは僕の方だ。バカ野郎っ!

 こちとら被害者なのになんで加害者に命乞いされてるんだよ!

 やはり僕の青春ラブコメは都合良くないっ!

 ここで疲労の限界がきて、ガックリと頷くしか無かった。

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