第5話 都合のよいヒロイン(上)

 のぼり電車は十八時を過ぎたというのにガラガラに開いていた。

 といっても、学校の最寄駅から始発が出るので当然といえば当然なのだけど。

 窓際の席に座って黄昏色に染まる田園風景を眺めていると、台本とにらめっこしていた共書が口を開く。


「随分と疲弊しているようだな、録藤」

「まあな。それこそ飲まないとやっていけないぜ、エナジードリンクでも」

「朝語った疲労の原因はあの娘によるものだとみえる。違うか?」

「まあ、な。そんな感じだ」


 軽口を返しながら、目頭を強く抑える。涙と共に疲れが流れていく、気がした。

 結局、今日という一日は彩香さんのために費やされた。

 なにが起こるか分からない、サイコロみたいな彼女を制しながら送る学園生活は、クレイジーとしか形容できなかった。そのたびに胃液が過剰分泌。


 例をあげると……

 ・各教科担当に今朝のような婚約者宣言をする。

 ・学校案内の際に僕の腕にひっついて、男子生徒のひんしゅくを買う。

 ・僕に手作り弁当を食べさせようとする。それもいちゃつきながら。

 ・墨守の突撃取材にありもしない事実を話す。


 ――こんな具合だからたちが悪い。まあ、なまじ美少女であるため、その仕草にときめかなかったといえば嘘だけど。それにしたってもう少し慎ましくできないのだろうか。いつの間にか公認カップル扱いされているし。


 さらに数学の夏季課題が提出できなかったせいで、こんな時間まで居残りをする羽目になってしまった。その際、友人たちの「ざまあないぜ」という視線といったら……。おまえら、信じていたのに。色恋沙汰が絡むともろいのは、なにも女子の友情だけではないらしい。


 ちなみに彩香さんはホームルームが終わると同時にふらりと消えてしまった。多分、先に家に帰ったのだろうけれど。待ってくれてもいいのに。仕方がないので部活終わりの共書を捕まえ、一緒に帰宅することにして今に至る。


 それにしても疲れた。肉体はさほどではないけれど、精神的にはもうボロボロだ。

 すると共書はブレザーのポケットからブロック状のチョコレートを取り出し、放心して開ききった僕の口内に突っ込んだ。どこまでも優しい甘さが疲労を遠ざけてくれる。おいしい。


「精神疲労には糖分が有効だと聞いたが、どうだ?」

「もうお前と付き合いたいよ、僕は」

「む、残念だがその告白には応じられぬ。我には機械仕掛けの神がいる故な」

「舞台の神様には敵わねーな。諦めるか」

「それに貴様にはあの娘という伴侶がいるだろう?」

「いや、まあ、そういうことにはなっているけれど……」

「どうした、言葉に覇気がないぞ」

「別に、付き合っていないというか、なんというか……」


 いつの間にか付き合っているみたいな状態になってしまっているが、彩香さんとの関係はそういうものではない。そう認識している。ゆえに反応に困ってしまう。

 そんな内心を察したのか、共書はあごを撫でながら、こう切り出した。


「時に録藤。今から変なことを述べるが、よいか?」

「お前が変なことをいうのはいつもだろ。なんでも言えよ」

「ならば。貴様から受け取った台本を読み終えたのだが――」


 そこまで口にして、目線を泳がせる共書。日常こと舞台がモットーの彼がこのように台詞を詰まらせることは少ない。どうしたのかと首をかしげていると、彼は慎重に言葉を紡いだ。


「――ヒロインのモデルはあの娘なのか?」

「は?」

「だから、『没落令嬢』のモデルは西城彩香なのかと聞いているのだ」


 補足説明を受けて、ようやくなにを訊かれているのか理解した。そんなまさか。ざわつく心を抑えながら、自分が書き上げた台本の内容を思い起こす。


 タイトルは『ダイヤモンド・ワン』。

 ロミオとジュリエットをベースに改変を加えた悲恋ものである。

 一代で企業を成長させた余命三か月の御曹司と、彼の秘書にしてかつての婚約者である没落令嬢が全てを捨てて、逃げ落ちていく物語だ。

 自分でいうのもなんだけど、ラストシーンは必見だと思う。という概要はどうでもいい。問題は没落令嬢である。


 起、没落令嬢は御曹司の秘書となっているが、実際に担う仕事は『メイド』と同じだ。

 承、没落令嬢は御曹司と同じ学校に通っていた『幼馴染』であったことが明かされる。

 転、没落令嬢は御曹司との『婚約』が破棄されていたことが分かる場面がある。

 結、没落令嬢は御曹司の『花嫁』となる『未来』を夢見ながら……。


 ――ゾクリと背筋が震える。まさかここまで似通っているとは。

 無論、この没落令嬢を書くにあたって、彩香さんをモデルにしたわけではない。

 というか、これを書いている時点では、彼女の存在を思い出せていないのだ。

 記憶の奥底に眠る幼少期が作品に反映された可能性は捨てきれないけれど……。


「その反応を見るに、偶然の一致なんだな」

「ああ、その、はずだ」


 そう答えたものの、これを運命と呼んでいいものなのか。胸がざわつく。


「もう一度だけ訊くが、あの娘は貴様のなんなのだ?」

「…………」


 しばしの間思案したのち、共書にこう告げた。


「言っただろ? 彩香さんは僕の親戚で、諸事情で共に暮らすことになった幼馴染だ」

「そうか。余計な詮索をしてしまったようだ、すまない」


 共書を説き伏せたところで、電車がホームに滑り込む。そこは彼の最寄駅。


「おっと、着いたぜ。続きは明日にしようぜ」

「ああ、そうだな……」


 まだなにか言い足りないらしく、後ろ髪を引かれるように下車していった。その表情はいつもの芝居っぽいものではなかった。電車はホームを出発する。ぼんやりと車窓を眺めながら、彼の問いについて考える。


「彩香さんが何者か、ねぇ」


 正直に答えるならば、『都合が良さすぎて気味が悪い美少女』である。

 アニメから抜け出してきたような美少女が、幼馴染で婚約者だという状況。

 あえて言おう、あり得ないと。

 こういったシチュエーションはフィクションではよくある『設定』である。

 僕もそんな設定は好きだ、大好きだ。それこそ演劇のヒロインにするほどには。

 しかし 、これは舞台でもアニメでも無い。リアルでの出来事なのである。


 実際に『都合の良い女の子』が現れても、うれしさよりも懐疑心が勝ってしまう。けれども、今日の出来事は全て現実。都合の良い幻想でも白昼夢でもない。

 ゆえに西城彩香は普通の人間だ。なにか隠している節があるにせよ。


 そう結論付ける。それが一番合理的だと信じて。


「……って共書のやつ、原稿忘れていきやがったな」


 席の隣にポツンと置かれた紙束を手に取る。彼が忘れものをするなんて珍しい。

 トントンと膝で紙を整え、通学カバンを開いた。その瞬間、思考が止まる。

 こ、これは……、な、なんだ? 中身が違う。これは僕のものじゃない。

 カバンに入っていたのは学用品ではなかった。


 集音マイク、小型カメラ、ひらひらとしたドレス、『禁則事項』と書かれたファイル、それに名刺入れ。学業とはまったく関係のないものがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


「おいおい、どういうことだよ、これ」


 手掛かりにと名刺を確認すると、そこには丸っこい書体で『ワルキューレ系アイドルグループ【ヴァルハ☆ライブ】リーダー、SAYAKA』と書かれていたのだ。


 これら情報から導き出せる推論は二つ。

 このカバンの持ち主は西城彩香であること。

 そして、彼女はアイドルであること。


「……って、つっこみきれるかよ、こんなのっ!」


 初対面のときから『幼馴染、婚約者、未来の花嫁、メイド』とかいう過属性を有する彼女だったが、ここに来て『アイドル』まで加わるとは……。


 これは完全に属性過多である。

 架空の登場人物であってもこれほどの属性を兼ね備えることは無い。

 敬遠されるから。

 もうここまで来ると何者かの作為を感じる。

 というか、カバンの中にある小型カメラと集音マイクはなんだ。

 高校生のものにしても、アイドル活動のものにしてもしっくりと来ない。

 だいたいこんな道具が必要になる時なんて、相手を盗聴、盗撮する時だけだ。


「なぜ、そんな道具が……?」


 と疑問を抱くと、最寄駅の一つ前に到着。扉が開くと、結構数の人々が乗り込んできた。その後発車。到着まで猶予がない。核心に迫らなければ。

 今朝からの出来事を思い返してみると不審な点がいくつもあった。

 やたらと『婚約者』『幼なじみ』といった要素を強調するところ。

 幼少期の思い出が、誰しも当てはまるような抽象的なものだったところ。

 朝は睡魔、学校では課題や周囲に惑わされ納得していたが、よく考えるとおかしい。きちんと知らなければ。彼女の正体を。


 カバンから『禁則事項』ファイルを取り出し、挟まっているものを手に取った。

 そこに入っていたのは、台本とおぼしき紙束だった。

 表紙には活字で『エセ恋TV』と記されている。テレビ番組なのだろうか?

 疑問を抱きながら、裏を確認。そこには独特な丸文字で『サイジョウサヤカ』と記名していた。どうやらこの怪しい紙束は彼女のもので間違いないみたいだ。

 ならば、確認するしかない。

 紙束に手を掛けて真相を知ろうとした、まさにその瞬間。


『――降車の際は忘れ物がないようご確認ください』


 電車は最寄駅へと到着してしまった。タイムリミット、か。

 くそ、あと少しだったのに。小さく舌打ちをして、カバンを背負う。

 タイミングの悪さを大いに呪いながら、下車する。


「こんな紙きれで理解しようだなんて無理だよな。これからゆっくりと……」


 と捨て台詞を吐きながら、ホームに降り立つと。



「見たのね」



 その声は今朝から聞いている柔らかなものではなく、どす黒くて際限なく低い。

 背筋の凍り付く感覚を覚えながら振り向くと、いた。

 絶世の美少女、西城彩香がそこにいた。


 そこで脳は完全にフリーズし、恐怖でその場から動けなくなってしまう。

 なぜここにいるんだ。ああ、このカバンを取り戻すためか。


「見たのね。その中身を」


 いいや、見ていない。

 そう嘘をついてごまかそうとしたが、威圧感に圧倒されてしまった。

 正直にうなずくと、彼女はその場に崩れ落ちて、なにか言葉を呟き続ける。


「……まさか、初日から『正体』がばれるなんて……けれど、台本を見られたのに『プロデューサー』から連絡がないってことは……こいつさえ丸め込めば、ごまかせるはず。……そうよ。やるのよ、私。こんなところで夢を絶たれてなるものですかっ。……こいつをなんとか道化に仕立て上げて、番組に組み込んでしまえば、あるいは……」


 随分と物騒なことを呟く彩香さん。今までとは雰囲気も言葉遣いもまるで違う。

 それこそ化けの皮が剥がれたといわんばかりに。

 その証拠に僕のことを『こいつ』呼ばわりしてくるし。

 漏れ聞こえる言葉から察するに、厄介なことに巻き込まれているらしい。

 と、そこで周囲の目線がこちらに集まっていることに気がついた。

 そりゃ、プラットフォームでうなだれている美少女がいれば気になるよな。けれどそれにしたってギャラリーが多すぎる気がするのだけど。

 すると、彼女はユラリとゾンビのように立ち上がった。


「ねぇ、デートしましょ」

「ちょ、どういうことですか、彩香さん」


 先程とは打って変わって猫なで声で僕を誘う。

 感情の高低差に困惑していると、耳元に顔を近づけてこう呟く。


「事情は後で説明するわ。とにかくタクシーに乗るから、ついてきて」


 彩香さんは頭に疑問符を浮かべる僕を強引に引っ張って、改札口へと向かった。

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