第3話 謎の転校生X(上)

「ギリギリセーフっ!」


 結論から述べると、僕は遅刻することなく教室にたどり着いた。

 正直、絶対に間に合わないと思っていたのだけど、駅まで全力で走ったら、意外と余裕を持って登校することができた。というより、自宅の壁時計が狂っていたのだ。運がいいのか悪いのか。がっくりと肩を落としたくなる。


 それに夏季課題が終わっていない事実を加味すると、家に帰りたくなってくる。

 けれど帰宅しても奇妙な美少女が待っていると思うと気が重い。

 気を紛らわせようと周囲を見渡すと、新学期特有の盛り上がりが目に留まる。

 短い休暇でつくった思い出に花を咲かせる者。部活動で焼けた肌を自慢する者。終わっていない課題を急いで解く者。全てを諦めた虚無を感じている者とバライティー豊かだ。


 ちなみに僕はというと、最後の悪あがきとして数学の課題に取り組んでいた。担任のほうが遅刻して、課題の提出期間が三十分ほど伸びると信じて。


「――残念だが、担任教師はもう登校しているぞ、録藤ろくどう

「幻想を砕いてくれるなよ、共書ともがき


 絶望的な事実を告げてきたのは親友の共書修ともがきおさむ

 前の席に腰掛けながら、コピー用紙の束をペラペラとめくっている。

 彼は二年生にして演劇部の部長を務めているだけあって、役に入り込む悪癖がある。どうやら次の演目ではラスボスを演じるらしく、ドスの効いた低音で余計なことを言ってくる。

 そうして人生を役柄に乗っ取られているので、クラス内の友人を無くすのだろう。僕は中学生時代からの親友なので、もはや慣れてしまったけれど。


「どうした、顔に覇気がないぞ」


 台本を読み終えたのか、紙束を机の中にしまうと共書は身体をこちらに向ける。

 こうして向かい合って雑談に花を咲かせるのが、日課だった。


「まあな。色々と。それなりに」

「夏季休暇後なのにか。なにか良くないことがあったか?」

「……そうだね」


 わざとらしく腕を組んで、視線を机上の課題に戻す。

 ここで彼に彩香さんについて説明するのは容易だ。しかし、それはあくまで事情を告白する僕が簡単なだけで、共書が信じてくれるかどうかは別問題である。

 ありのままに伝えたとしても、アニメの見過ぎと一笑されるのがオチだ。

 もちろんアニメじゃないし、本当のことなのだけど。

 絶対に嘘なんかじゃないのだけど。

 ゆえに、はぐらかすことに決めた。


「朝っぱらから、友人が魔王ボイスで話しかけてくることかな」

「ふむ、そうか。善処しよう」


 そういったそばから芝居がかった声色をするなよ。

 しかし説得が通じないことはわかっている。これ以上ツッコまず、話題を転換。


「それより共書は夏季休暇って終わらせたのかよ」

「ふ、当然であろう。部活動も忙しくなかった故」


 そういって数学ノートを差し出す共書。

 中を開くと模範的な解答が書き込まれていた。


 彼は世間一般でいうところの部活青年であり、細かく分類すると演劇バカ。暇さえあれば筋トレと発声練習をしており、もはや虚構に人生を飲み込まれているといっても過言ではないのだけど、どういう理屈かめちゃくちゃに成績が良い。いつ勉強をしているのかまったくわからないのに。彼を見ていると天は二物を与えずというのは詭弁だと実感する。

 嫉妬じゃないけれど、その頭脳は宝の持ち腐れなので、即刻僕に譲るべし。


「共書さま。そのノートを貸していただけないでしょうか?」

「構わんぞ。だが、頼んでおいた台本は出来たのか」

「もちろんだとも。これに手間取って課題が完遂できなかったんだ」


 バックの中から膨らんだファイルを取り出し、共書に手渡す。

 その中には演劇部に依頼されて書き下ろした台本が入っていた。

 中学生時代、僕は彼と共に演劇部に属していて、ときどき台本を書いていたのだ。演劇は、同じ部に属していた姉さんとの確執で辞めてしまったのだけど。


 それに高校に入る際に強引な勧誘に遭って新聞部に属することになったため、フィクションではなく記事を書くばかりだったのだが、台本を書ける人間を不幸な出来事で失った演劇部に依頼されて、一本書き上げるに至った。ちなみに夏季休暇はこの台本に消えた。

 ゆえにノートを写す権利が僕にはあるのだ。まあ、詭弁だけど。


「ほほう、これは良いものだな。ほら、対価を受け取れ」

「ありがたき幸せ」


 ニヤリと邪悪な笑みを意味もなく浮かべて、ノートを手渡してくれる共書。

 うやうやしく頭を下げ、すぐさま書き移す作業に移行する。担任がこの教室にたどり着くまでには猶予がある。それまでになんとしても終わらせなければ。


「おい、適度に間違えることだな。あいつは意外とちゃんと見ているぞ」

「忠告感謝するぜ。面倒は避けたいからね」

「しかし、やはりご両親が不在だと不都合も多いか。出張だと聞いているが」


 長い仲である共書は我が家の特殊な事情を理解している。

 貿易会社に勤めていて、世界中を飛び回るワーカーホリック気味な両親のことも。大学生のくせに全く頼れない残念な姉さんのことも。


 彼は近くに住んでいるため、たまに一緒に夕食を食べたりするのだが、その時につい愚痴を漏らしてしまうのだ。とはいえ、流石に「婚約者を名乗る美少女がいきなり押しかけてきて、なりゆきで同棲生活をすることになったんだ」とは口が裂けても言えないわけで。


「まあ、なんとかするさ。現に今まではなんとかなっているし」


 ふわふわとした返答でお茶を濁すことしか出来なかった。

 と、図形の証明問題を三分の一ほど書き写したところで始業を告げるチャイムが鳴った。結局終わらなかったな、と押しかけ美少女を内心で怨みつつ、ノートを閉じた。


 教室の後ろで雑談していた男子生徒たちが席に着くと、教室のドアが開いた。担任の九郎原が大きな欠伸を浮かべながら、教室に入ってくる。残念ながら彼の言葉に嘘偽りはなかったようだ。数学課題の提出は断念せざるを得ないな。

 クラス委員の生真面目な号令に合わせて起立、礼、着席と流れ作業。新学期になったけれど、なにも変わらない日常の再開、のはずだった。


「え~、新学期早々だが、このクラスに仲間が増えることになった」


 気怠い口調で淡々と発せられた衝撃の一言に、教室がしんと静まり返った。生徒の視線が一瞬にして九郎原くろうばるに向かう。


「つまり、転校生がやってきたというわけだ」


 とんだサプライズに教室が一気に騒がしくなった。

 騒ぎに乗じて共書に声をかける。


「転校生だってよ。これから二学期だというのに」

「ふむ、珍しいが、親御さんのご職業によってはあり得る話だろう」


 共書の言うとおりかも知れない。

 現にいきなり同棲生活を始める婚約者だっているわけだし。

 気にしていたら仕方がない。


「こら、静かにしろ。んじゃまあ、入ってきなさい」


 担任が一言注意しただけで、クラス全体が即座に静まり返った。みんな転校生の正体が気になって仕方ないのだろう。

 男か女か、親しみやすいか、癖があるのか。一見しただけではわからないようなことまで想像し、各々勝手に期待を膨らませる。


 すると、ドアが小さくノックされ、音を立てて開いた。転校生の入場である。その瞬間、クラスメートの皆が息を飲んだ。


 転校してきたのは美麗な美少女だった。


 黄金色に染まったツインテールを優雅になびかせ、紺色のスカートから伸びる、細く引き締まった足で教壇へとあがる。その横顔は西洋人に似た作りをしていて、瞳は深海みたく碧い。小柄ではあるが、凛と胸を張った姿勢は不思議と人を惹く魅力があった。


 とんでもない美少女の登場だ。皆が息を飲むのも無理がない。もちろん僕も右に同じくなんだけど、クラスメートとは全く別の理由だった。


「まー、まずは自己紹介をしてもらおうか」


 少女はこくりと頷いて、チョークで黒板に名前を刻んでいく。その所作をクラスメートは集中して追いかけていく。だんだんと寒気がしてきた。だって、その名前は――


 ――西城彩香さいじょうさやか


「東京から転校してきました、西城彩香といいます。これからよろしくお願いします」

 ここでついに我慢できなくなった。

 雄叫びに似た悲鳴を上げて、乱暴に立ち上がる。

 目の前に現れた僕の幼馴染で婚約者、未来の花嫁にしてメイドの美少女に指をさす。


「ど、どういうことなんですかっ!」


 動揺を隠せず、怒鳴るように責め立てる。

 すると今まで彩香さんに向けられていたクラスメートの視線がこちらにむかい、途端に騒がしくなる。にこりと微笑んで彼女は唇を震わせた。


「ああ、そちらの智也君は私の幼馴染にして婚約者です。今は彼と同棲しています。どうかご周知のほどを」


 転校生は実に嬉しそうな声でそう宣言した。

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