第2話 遭遇、見知らぬ美少女(下)
「お待ちどうさま。今日の朝食よ」
「あ、ありがとう、西城さん」
「あら、私のことは彩香って呼んでよ」
彩香さんはそうぼやきながら、朝食を食卓にてきぱきと運んでいる。
献立は炊きたての白米、いりこで出汁を取った味噌汁、新鮮なレタスと塩ゆでされたブロッコリー。そして半熟の目玉焼きに厚切りのベーコンだ。栄養バランスが取れた理想的な朝食。
「それでは、いただきましょうか」
「い、いただきます」
二人して手を合わせ、食べ始める。
まずはメインのベーコンを一口。贅沢にスライスされたベーコンは歯ごたえがあり、噛みしめるごとに肉汁があふれ出す。たまらず白飯を口に頬張る。
「……おいしい」
「よかったぁ。口に合うか心配だったの」
お料理には自信がないから、と笑って見せる彼女であったが、謙遜が過ぎる。プロとして店を構えていてもおかしくないレベルの出来栄えだ。一体何者なんだ。
向かい側に座っている彩香さんをちらりと見つめる。
するとこちらの視線に気がついたのか、にこりと微笑んでくる。
「おかわり、いかが?」
「……ありがとうございます」
空になった陶磁製の茶碗を彩香さんに手渡す。
しかし、と冷静になって考えてみる。
その後、「事情は朝食を食べながら話しましょう」と言われ、一緒に食卓を囲むことになってはいるが、その正体に関しては分かっていないことが山ほどある。それに夏季課題も未だ終わっていない。団欒としている場合ではないのだ。茶碗を置いて、彼女に詰め寄る。
「それで彩香さんはいったい何者なんですか」
「もしかして私のこと、まったく覚えてないの?」
「はい、実は」
昔、小さかった頃は今と違ってそこそこ広い交友関係を持っていたけれど、彼女と一緒に遊んでいた記憶は無い。というか、僕には幼馴染と呼べるような間柄の人がいない。自分の知らない幼馴染の登場には困惑しかない。そんな内心を察したのか、彩香さんは少し寂しそうな表情を浮かべて、言葉を続ける。
「……やっぱり覚えてないんだ。多分そうだとは思ったのだけど、ね」
「すみません、どうしても思い出せなくて」
「大丈夫よ。これから取り戻していけばいいのだから」
取り戻す、か。その口ぶりからして、本当に幼馴染だったらしい。しかし、どうしても彼女との記憶は思い出せない。まるで抜け落ちてしまったように。
だけど両親が出かける際に彩香さんについて言及していたことから察するに、僕たちが幼馴染でも不思議じゃない。少なくとも、泥棒である可能性よりは。
なので彼女が嘘をついていないと仮定し、ひとまず信用することにした。
「それでなぜこの家にいたんですか?」
「あれ、お母さまからなにも聞いていないの」
「事前に聞いていたのは名前だけで」
「それじゃあ、ご両親がアメリカに一年間出張っていうのは?」
「え、マジで。初耳なんだけど……」
「……私、恥ずかしくなってきたわ」
そう言って、頬を赤らめてうつむく彩香さん。
どうやら両親から事前に説明されていると思っていたらしい。
いや、それより両親の出張だ。今回の出張は長くなると聞いていたが、一年間も滞在するとは知らなかった。てっきり例年通りに三ヶ月ほどで帰ってくるのだと思ってた。
エジプトの古代遺跡の話に花を咲かせる前にこっちを伝えろよ。バカ両親。
新学期を過ぎると忙しくなるのに。炊事や洗濯と家事までこなせる気がしない。
「これからの生活マジでどうするんだよ……」
「大丈夫よ。だって、そのために私が呼ばれたのだから」
「……といいますと?」
「ふふっ、今の格好を見ればわかるじゃない」
「か、格好?」
突拍子のない発言に思わず滑稽な声が漏れる。
格好だけど事のいきさつを把握できれば人間苦労しないのだけど……。
「ほら、よく見てみて」
「メイド服、ですか?」
「正解。だけど気づかなかった?」
「いえ、変わった割烹着なのかなというか」
触れていいのかわからなかったというか……。
最初に出会ったときは涼しげなワンピースを身に着けていた彼女であったが、朝食を作るときから、ビクトリア朝のメイド服に着替えていた。着替えの理由はわからなかったのだけど、どうやら気まぐれではないらしい。
「私はね、智也君の幼馴染である前にメイドなの。説明しなかったっけ?」
そういって椅子に座り直して首をかしげる彩香さん。初耳だった。
けれど、メイドだからどうしたというのか? 意図するところがわからない。
「学業と家事の両立は大変でしょう? だから私はメイドとして馳せ参じたの。それがこの家にいた理由よ」
「そうなんですか?」
「ええ、炊事、洗濯、お掃除となんなりと。住み込みでお手伝いさせていただくわ」
「え、じゃあ、同棲するってことなんですか?」
「そうなるね。一応ご両親の許可はとっているし、生活費と別にお給料もいただいているのだけど。それとも私が家にいると迷惑かしら?」
「いやっ、全然。むしろ大変ありがたいです」
「それはよかった。では、これからよろしく」
「よ、よろしくお願いします」
彩香さんと握手を交わした。
先程の自己紹介の時にメイドを自称していたが、まさか事実だったとは思いもしなかった。
さらに一年間の同棲生活って……。
しかし、悲しいかな、僕も男である。
カノジョもいないくせに、女の子と同棲する妄想をしたことがないわけではない。
だけどその妄想を抱いた時でさえ、同棲の理由を見いだせない男である。
だから、今の状況は全くもって想定外だ。表では平然を装っているが、内心は穏やかではない。口にした白米が喉を通らないぐらいには。
「どうかしたの? もしかして口に合わなかった?」
茶碗と箸を置き、心配そうな表情を浮かべながらこちらをのぞき込む彩香さん。
急に狭まった距離間にドキリしつつも、なるべく平静を装って応じる。
「いえ、ちょっと考え事をしてまして」
「智也君、さっきからずっと私に対して敬語だよね」
「ええ、まあ」
「やめてくれない? 私たち同じ高校二年生なのだし」
「あ、すいません。……って同い年⁉」
驚きのあまり声を荒らげる。
落ち着いた佇まいや、大人びた顔立ち、料理のスキル、それにメイドを引き受ける余裕から大学生ぐらいだと推察していたのだが、まさか僕と同じ十七歳だったとは。そんな様子を見て彼女は苦笑い。
「その様子じゃ、婚約を誓っていたのも忘れているみたいね」
「こ、婚約⁉」
「ええ、私たちは十年前に婚約を誓っていたのよ。どうやら覚えていないみたいだけど」
「本当にごめん!」
「夏休みは二人きりで花火大会に行ったのも覚えていないんだ」
「よく覚えて無くてごめん!」
「コンビニでコーラ買うときに二百円を貸してあげたのも、知らんぷり」
「とりあえずごめん」
「は~あ~、悲しくなっちゃうなぁ~」
「馬鹿でごめん! あと生まれてきてごめ――」
「……ふふっ。やっと緊張を解いてくれたわね」
口元に手を当ててクスクスと笑い出した。
そこでようやく僕の素を引き出すために、こんな話をしたのだと理解する。
は、謀ったな。彩香さんっ!
「ごめんなさい。話が逸れてしまったわね。えっと、どこまで話したかしら。智也君はなにか聞きたいことがあるかしら? スリーサイズ以外なら答えてあげるわ」
言われて、視線を空中に投げかけた。
他に聞きたいことか。色々と気になるけれど。ふと壁に掛けられた時計に目が留まる。あと十分以内に支度をして出発しないと遅刻する時刻。これはヤバい。夏課題も終わってないのに。残っていた白米を胃に詰め込んで、急いで席を立った。
「ごちそうさま。もう遅刻しそうなんでいってきます」
「あら、それは大変」
「あ、あと聞きたいことは帰って来てからっ」
早口でそう言い終えるとそのまま二階の部屋に駆けだした。
二学期から遅刻だけは避けなければと思いながら。
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