第155話 振り出し
美香の退社を知った後、事務所に戻ると、ユウゴとケイスケ、そしてあゆみが作業をしていた。
当然のように美香の姿はなく、退社した事実を物語っていた。
ユウゴは不思議そうに「美香来ないんだけど、親会社にいた?」と聞いてきたんだけど、言葉にできず。
言葉にすると、事実だと認めてしまいそうで…
言葉にすると、もう二度と会えないような気がして…
ポケットからクシャクシャになった退職願を差し出した。
ユウゴはそれを見るなり「マジで? え? なんでって… 白百合?」と目を見開いて聞いてくる。
黙ったままうなずくと、ケイスケとあゆみが慌てたようにユウゴの周りに集まり、紙を見た後言葉を失っていた。
あゆみはすぐに携帯を取り出し、どこかに電話をした後「使われてないってどういう事よ!! ちゃんと説明してよ!!」と怒鳴りつけてくる。
黙ったまま休憩室に行き、ソファに座り込んだ後、ため息をつくことしかできなかった。
美香の退職日は明日。
30日近く残っていた美香の有休は、1日だけしか消化されなかったから、即日解雇にでもしたんだろう。
今朝、マンションにいなかったってことは、夕べも帰ってない可能性があるし、あのまま実家に戻った可能性だって十分に考えられる。
『どうしたらいいんだ? どうしたら会えるんだ? どうすればまた一緒にいられる?』
頭の中で同じ言葉が過るんだけど、その答えはまったくと言っていいほど思い浮かばなかった。
『実家に行ってみるか? いきなり行ったらビビるだろうし、兄貴の嫁のことを俺が話して、本当に信じてもらえるのか? それに、美香が居なかったら? 親が出てきたら? なんて説明すればいい?』
考えれば考えるほどわからなくなり、頭を抱えることしかできなかった。
しばらく考えていると、ケイスケが休憩室に入り「配信の件、どうする? 担当、美香ちゃんだったよね?」と切り出してきた。
「そっか… ケイスケ引き継げ… だめか。 監督に話さなきゃな…」
「ヒデさんにも話さないとまずいよね。 あと、カオリさんの案件もあるし、サンライズも美香ちゃんが担当だったよね…」
「そうか… どこも高額案件か… 俺やるよ。 元々、サンライズは俺が担当だったし、カオリさんは… 直接話すしかないか…」
「わかった。 さっき兄貴から電話あって、来月から新人が一人くるって。 どっかの会社社長の友人の姪っ子らしいよ。 丁重に扱えってさ。 それと… しばらく大地は親会社に来させるなって… 社長室のドアぶっ壊した罰だってさ… 代わりに俺が行くことになったから」
「わかった。 サンキュ」
そう言った後、事務所に戻り、作業を始めたんだけど、普段隣にいた美香が居ないせいか、少しゆったりとしていて、寂しさが込み上げてくる。
寂しさを振り払うように、作業に没頭していたんだけど、作業数が少ないせいで、すぐに手持無沙汰になってしまった。
するとユウゴが「監督に電話しとくわ。 あと、ヒデさんとカオリさんにも。 もう定時だし、マンションに帰れよ」と切り出してくれた。
「サンキュ。 日報終わったらそうさせてもらう」とだけ言い、入力作業を続けていた。
日報を入力し終えた後、あゆみは美香のひざ掛けを持ち出し、「美香っちのロッカーに入ってた。 絶対に無くしたり汚したりしないでよ? 戻ってきたらまた使うんだからね!」と言いながら、それを手渡してきた。
それを受け取り、デスクの引き出しにしまった後、マンションに行ったんだけど、部屋の明かりも消えていて、空腹を刺激するような香ばしいにおいもなく、ただただ静まり返っているだけ。
キッチンも、浴室も、寝室ですら、物を持ち出された形跡がなく、美香が住んでいた時のままだった。
『本当にすぐそこにいたんだよな…』
そう思いながらベッドに倒れこみ、かすかに漂う美香の香りだけを追い求めていた。
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