彼と初めて出会ったのは喫茶店だった。


 その日大して親しくもない友達に連れられ、初対面の男の人数人と会った。俗にいう合コンのようなもの。私が前回「居酒屋は苦手で」と断ったからだとは思うが、小さな子も多い喫茶店でそんなもの開くのはどうかと思う。

 _1時間が長く感じた。やっと解散の合図がなった。

 愛想笑いで筋肉が痛い。明るいから、と見送りを丁重に断って早々に店を出た。



「待ってください!」



 妙に馴れ馴れしかった男の人たちより高い声。私にかけられた声だと気付いて振り返った。

 そこにいたのは高校生らしい少年。さっきの喫茶店の制服を着ていて手のひらに見覚えのあるハンカチを握っていた。



「これ、テーブルにあってさっきの人たちに聞いたらあなたのかもしれないと言われて」



 感謝の言葉を言うと彼は花が咲くように笑った。好意的な笑みは人を癒すのだと久しぶりに思った。


 その日以降なるべくあの喫茶店に行くようになった。気分はもふもふ動物に癒されに行くモフラーである。彼の姿を見かけると私は決まってカウンター席に座る。ホール担当のようだが暇になったら私の愚痴を聞きに来る姿はまさに犬。聞き上手がカンストしすぎてもはや精神安定剤。

 だからか最近体調がすこぶる良い。心の整理って大事なのだとこの年になって思う。

 質問すると彼は答えてくれる。あまり踏み込んだことは聞かないが、バイト理由は最新のゲーム機が買いたいからと言っていた。ちょっと恥ずかしそうな顔に母性を刺激される。


 それから少しして彼は喫茶店に来なくなった。彼経由で仲良くなったマスターに聞くと家庭の事情でしばらく来れないのだという。

 癒しを奪われ、荒れに荒れた私を見た親友はドン引きして「あれが人の末路か」と思ったことを後で教えてくれた。お前もいつかこうなるからな。


 彼《癒し》がいないとわかっていても足が向かうのはあの喫茶店で。2週間前後そんな生活を続けていたら彼が現れた。

 _やつれていた。顔が青白かった。笑顔がなかった。

 店に入ってきた彼はマスターに二言三言話して奥に連れて行かれた。あまりの変貌ぶりに唖然としてしまう。温かい方が美味しいコーヒーが冷めても私は彼のことが気がかりだった。




「...かぞくが、じこで」



 ぽつぽつ話し出した彼の顔はうつむいていて何も見えない。不自然に止まるその言葉の先がわかってしまった。

 何も言葉が出てこない。愚痴やら罵声やらご機嫌伺の言葉なら出てくる口が働いてくれない。



「バイト、辞めて、違う街に引っ越します。今までありがとうございました」



 それを話したくて、お時間取らせてすみません。

 やっと顔を上げた彼の目元は赤く腫れて鼻の先も赤かった。浮かべている笑みもいつものものではない。それが無性に悲しかった。

 おもわずどこに行くの、と聞いてしまった。事案である。

 彼は少し迷った後にこたえる。確かに遠い。歩けば2時間以上かかるだろう。

 _もう会えない

 私の口は咄嗟に嘘をついた。その街のすぐ近くに住んでいる、と。もしかしたら会えるかもね、とも。

 彼の顔が少し晴れたことでその嘘が正解だったことを知る。




 それから私たちは度々会った。今まで通り、私が話して彼が相槌を打つ。変わったところは彼が話すようになったことだった。

 今日何をしたとか、最近これにはまってるとか。


 いつの間にかその関係は恋に変わって。

 3歳年下の彼と同居を始めたとき、彼の保護者には少し反対された。しかし彼が男らしく説得してくれてお姉さん感動しました。

 彼が働き始めて二人の時間は減ったけどそれでも幸せだった。





 _彼が事故で死ぬまでは。


 二人で買い出しに行ってその帰りだった。

 今日は僕が作る、いや私が。その応酬で異常な動きを見せる車に気づくのが遅れた。気付いた時には歩道に車が乗りだしていて、腕を強く引っ張られて背中を押された。刹那私の横を車が通りすぎる。

 _いやな音がした。何かが車に当たる音。

 振り返れば赤い血が歩道に刷毛で塗られたように描かれていて。その奥、車が突っ込んだガラスに血が付着しているのを見た。




「佐藤綾斗さんはこの方で間違いないですね?」

 _.........はい




 私の愛しい人は眠ったまま目を覚まさない。頬に触れても目を開けない。青白い顔はいつぞやの顔を思い出して。

 私はあの時のように言葉が何も出てこなかった。でも。涙と嗚咽だけは主のいない部屋に響いた。



 死にたいと思った。置いて逝かないでほしかった。

 でも包丁に伸びる手は途中で止まって、縄を握る手は力が抜ける。高所のふちに立つ足は前に進まず、雪に埋まる足は止まることを知らなかった。

 結局老いて死ぬまで私はのうのうと息をした。

 終わる瞬間の息苦しさは、だけれど彼に会える幸せに思えた。











 巻き戻って再び始まる。














 何度も何度も繰り返す。














 一度も救えない。















「あ!そうでした。私は相原彩華あいはらさいかといいます。この近くで働いていて。

 あなたは?」



 事故で亡くして殺されて亡くして自殺して亡くして。

 それでもあきらめきれなくて。私はもう何度目の人生を歩む。

 彼は25歳まで生きられない。彼の家族は17歳で亡くなる。私が会えるのは彼が16歳になってから。

 その法則がわかってから私はたくさんの救済方法を考えた。


 喫茶店で相席した彼はどこか上の空で家族が亡くなった後だということが分かった。名前を聞き出した。


 たまたま私が通っている喫茶店が彼のバイト先だった。

 _嘘。彼はたいていこの店にバイトしに来る。

 元気なさそうだったけれど健康そうではあった。良かった。そう安堵の息をついていた時


 _彼が倒れた





 彼の保護者に聞けば難病だと言われた。治る見込みがなく、医者も手を尽くすと言っているけれど。その言葉の先は、もうわかっている。


 毎日彼の見舞いに行く。花を持っていき果物を持っていき、話のネタを持って行った。彼はぼんやりとした顔で、でも私の話を聞いてくれていることが分かった。聞き上手はいつまでも変わらない。


 次第に話さなくなる彼。

 私も時たまに「もし彼を嫌いになれたら」と考える。そのたびに記憶に蓄積された幸せそうに笑う姿が思い出されて。

 私はまだやっていけると思う。



 快晴の日。



「...きみがしあわせになりますように」



 その言葉を最期に彼は息を引き取った。まだ血が通う顔。なのに青白い顔が記憶に表れて涙が溢れてきた。







 私は彼がいなくなった後60年もの間生きなければならない。もし途中で息絶えようものなら次は保証されない。

 彼と過ごす何十倍もの間、一人だ。


 もう何度もやめようとした。別な人を好きになろうとも思った。

 何十回も繰り返す人生は苦しくて痛くて寂しい。どうやっても救えない彼に涙が出る。

 でもそれ以上につかんだ手が温かくて私に向ける笑みが優しくて。束の間の幸せが何よりも貴いのだ。





 _私の幸せはあなたが持っています

 _あなたしか私の幸せを持っていないのです

 _あなたは愛を固体だと言いました

 _だから私はあなたしか愛せないのですね




 次のあなたに何と言って声をかけましょう













「初めまして。私は相原彩華。あなたのお名前は?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

固形 じんべーさん @zinnbersann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ