固形

じんべーさん

 去年、家族が事故死してから僕の周りは随分変わったように思う。


 住む場所が変わって、通う学校も変わって、お話する友達も変わった。


 叔母さんが僕を引き取ってくれて、それには感謝してる。でも慣れ親しんだ家から離れるのは少し辛かった。

 もういない家族の使用物を捨てる時、僕は何を思っていたんだろう。気付いたら殆ど捨ててしまっていて手元に残ったのは僅かな写真と母さんや父さんや姉さんがいつも使っていた物だけだった。

 母さんは裁縫が得意だ。

 父さんはなんでも直せた。

 姉さんはお洒落さんだった。


 涙が出ない。気持ちが落ちない。心が欠けたかも分からない。

 まだ整理がつかないだけ。きっとそうだろう。

 _まさか家族を失ったことに何も感じてないはずがない



 知らない土地での生活は疲れる。高校三年生は進学に就職に忙しいから余計にそうだ。

 僕は、叔母さんの勧めもあってかねてからの希望である看護学校に進むことにした。母や姉がそうであったように。

 評定は問題なし。意欲もある、とのことで指定校推薦を受けられることになり、僕の進路は早々に決まった。




 休日。僕は気分転換に今住んでいる街をあてもなく歩いた。

 どうも僕が通うクラスは進学者が多いらしい。ピリピリとした空気が漂っていて居心地が悪かった。友だちもいないし、1週間が早く過ぎることをココ最近はずっと祈ってる。

 折角の休日だから、と歩いてみたはいいものの足が痛くなってきた。

 _久しぶりの運動はやはりキツかったか。

 今更後悔しても遅いが頭の中を占めるのは己への罵倒であった。


 爪先が痛い。足の裏全体が痛い。足の関節が軋む。

 とにかく何処かで休みたかった。公園のベンチでもいいし、喫茶店の椅子でもいい。でないと座り込んでしまいそうになる。

 ふと視界に入った「カフェ」の文字。僕は迷いなくその店に入った。




 _後悔した。

 今日は後悔ばかりだ。家にひきこもってれば良かった。


 店でしばらく休憩していたら人が大分増えた。僕はそれに気付いたが特になんとも思わず店員さんに軽食を注文した。それが良くなかったと今気づく。

 店の席は全部埋まったが入店する客は多い。大抵が「相席になりますが…」で引き返すが「相席でもいい」という猛者もいる。その度に僕は自分に来るのではないかと身構えるが何とか今まで回避してきた。

 僕は店の端の4人席を1人で使っていたから。名誉のために弁解しておくが、僕が入店した時はこの席しか空いてなかったからここに座ったのだ。断じて意地悪な性格してるとかそういうことではない。

 しかも客が多いからか注文した品が来ない。

 これは……


 嫌な予感がすーっと胸を通り抜ける。願わくば何も無いことを祈りたいが…



「すみません、相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」



 フラグ、というものを初めて体感した気がする。なるほど願い事は叶わないということか。

 店員さんが疲れを滲ませた顔で申し訳なさそうに言うものだから、つい「どうぞ」と返してしまった。

 店員さんのありがとうございます!という声を不貞腐れた心持ちで受け取った。己が悪いというのは元からであるからつまり逆恨みとか逆ギレのようなものである。本当に嫌なら「すみません」と一言言えばよかったのだ。

 弱い心が不快に思われる。


 少しして戻ってきた店員さんの斜め後ろにいたのは女性であった。大体20代前半くらいの茶髪で、

 そこまで見た僕は視線をさげた。女性をじろじろ観察するのは礼儀として良くない。

 女性が斜向かいの席に座った。それを視界の端に捉えて安堵の息が口に蔓延する。



「あの、」



 高くはないが低くもない、聞き取りやすい声が耳に届く。店内は人が多いがこの声はすっと耳に入る。

 僕に向けられたものだと気付いたのは声を噛みしめてから少し後だった。

 ぱっと顔を上げ声の主を見る。



「相席してくださってありがとうございます」



 黒茶の目が嬉しげに細まる。少し紅潮した頬がどこか幼く感じさせた。

 整った顔立ちである。少なくとも僕はそう感じた。顔の善し悪しで判断するのは良くないと思うがまず視界に入るのは顔である。好意的な笑みはそれだけで見ている人を癒す。

 僕は少しささくれだった心が柔らかくなるのを自覚した。



「………いえ、」



 ぶっきらぼうにしか返せない口と頭が不便に感じる。今の言葉は少なくとも害悪ではない女性に返す言葉ではないだろう。

 それでも笑顔を崩さない女性。

 _これは本物か?

 笑顔は武器だという。仮面とも聞く。腹の底で思ってるものを隠すものだと。

 初対面の人のそれを見抜くことは僕には出来そうにない。ひとまずこれは保留ということにしよう。

 そう結論づけた僕は手持ち無沙汰にスマホをいじり始めた。


 ソーシャルネットワーキングサービスは僕に合わない。毎日見るのも面倒臭いし、いいねとかリツイート?とか何の話かさっぱりだ。知ろうとも思わない。つまりはそういうことだ。



「私、ここのパンケーキが評判だって聞いてきたんです。本当は友だちと来る予定だったんですけど、都合が合わなくなったらしくて」



 女性は急に話し始めた。

 あまりにも唐突で僕ではない人に話したのだと思ったが、ここは端の席。話せる人は限られている。

 もしや。そう思ってスマホからやや顔をあげれば案の定というか女性は僕を見ていた。

 予想してたといえど勘が当たることなど滅多にないので変な回答になってしまった。



「あ!そうでした。私は相原彩華あいはらさいかといいます。この近くで働いていて。

 あなたは?」



 突然の自己紹介。行ったことは無いが合コンのような感じがして居心地悪い。

 ぼそぼそと名乗った。聞こえない事を祈ったが満足気に微笑む女性を見て目論見が失敗したことを知る。

 流石に高校生であることは言えなかった。個人情報だし、未成年だと下に見られたくなかったからである。

 居心地の悪さが不快感に変わりつつあることを自覚し、それが料理が一向に来ないことと合わさって苛立ちに変わりそうになる。



「お待たせしました」



 グッドタイミングとでも言おうか。頼んだサンドイッチが来た。卵が一番好きだがカツも気に入っている。この店に来たことは初めてだがパンケーキが評判になるくらいだしパン系は美味しいのだろう、と勝手に期待してみる。

 しかし僕は気付いた。

 いくら他人といえど同じテーブルに座った女性を差し置いて先にご飯を食べるのは如何なものかと。

 相席したのはあちらであるし僕は気にせず食べるべきだろうか。

 だが先に一人だけ食べるなど何と思われるだろう。



「あ、話しかけていては食べづらいですよね。すみません」


 一瞬心を読まれたかと思ったがそんなことは誰にもできない。もしかしたら顔に出ていたかもしれない。

 しかし女性がそう言ってくれたおかげで食べ始めることができた。


 食べ終わってからすぐに席を立ち会釈だけして会計をすまし。僕は逃げるように店を出た。

 味なんかわからない。人に見られて食べるのはあんなに緊張することだと改めて思った。しばらくはあの店に行きたくない。





 彩華、と名乗ったあの女性は何が目的だったのだろう。髪は乱雑で顔が整っているわけでもない僕になぜ話しかけたのか。疑問はあるがもう会わないだろうし気にすることではないか、僕はそう結論付けて家に帰った。




 誰だもう会わないとか言ったやつ。

 あれからしばらくして僕はバイトを始めた。いつまでも叔母さんのすねをかじって生活するわけにもいかず、近場の喫茶店で休日と平日に3日、放課後にバイトをすることになった。あの喫茶店ではない。家からは近いが学校からはやや遠く僕の学校の制服はほとんど見かけない。バイト禁止の学校ではないが同級生にからかわれるのだけは避けたかったし、ピリピリしている人に睨まれたくもなかったから。


 あの女性がここの常連だと知ったとき、僕のあだ名は「フラグ特急建築士」になったと思う。建築から回収までこなす、ような。不名誉すぎて泣けてくる。

 とはいっても女性から僕に話しかけることはなかった。あっても精々「頑張っているんですね」とか「お疲れ様です」とかそういう言葉だけ。

 物足りないとかは断じてない。拍子抜けしただけである。




 春になって僕は晴れて看護学生になった。女子が多い環境だが不満はあまりない。バイトはシフトを少し減らしてもらって何とか両立させている。うまくやれている、と。

 _少なくとも僕はそう思っていたのだ。





 _頭がひどく痛くなって目が覚める。

 ここ最近その目覚め方が多くなってきた。しかし慣れとは恐ろしく、僕は痛みを無視してそのまま起きようとした。

 _起きられない。視界がかすむ。声が出ない。手の感覚がない。頭痛はもうないのに頭がひどく重かった。

 これは異常だ。そう気づいても何もできない。せめて声だけでもだせれば、



「___、__!__ぇますか」



 聞こえますか。

 知らない人の声が耳に届いた。僕は何も感じない手を必死に動かそうとした。

 _動いたかはわからない。でも



「先生!目が覚めました!」



 僕の「助けて」は伝わったみたいだった。


 知らない声が聞こえて、多分この人が「先生」だと思う。言っていることが飛び飛びに聞こえて詳しいところは何もわからなかったが、どうやら僕は病気になったらしい。

 _僕は、迷惑ばっかりかけて、何一つ自分じゃできやしない。自己管理くらいできないと一人で生きていけないのに。


 しばらくすると耳は元に戻り、目はぼんやりとするくらいにまで回復した。手の感覚はまだあいまいだが体は少し動ける。


 叔母さんが来た。

 僕はずっと怖かった。叔母さんは優しいけれど、僕は迷惑しかかけていないから捨てられるのでは、そう思ってしまう。

 けれども頭に熱を感じた。ゆっくり、柔らかく動くそれに、目の奥が熱くなる。頬を滑る温かい水があまりにも久しぶりすぎて、止め方がわからなかった。

 しばらく会話をしていたら看護師さんが叔母さんを連れていった。おそらく、僕のことだろう。


 _自分でわかるのだ。もう駄目なことくらい。確信なんてないけれど。でも、多分、僕は、



「こんにちは」



 ぐるぐる迷走し始める思考がその声で途切れた。

 ぼやける視界で動く色を探す。聞き覚えのある声だった。僕の知ってる人だ。



「お加減はいかがですか?」



 如何も何も。見ればわかるだろう。

 心で毒を吐いたところで彼女に聞こえるはずもない。だけれど口にしたくはなかった。



「...驚きましたよ。突然倒れるんですもの。でも、」


 目が覚めてよかった


 そう彼女が言った。安堵したような声だ。いつの日か母さんが怪我をした僕がそれでもしっかり立っているのを見て発したような、そんな声。見えないのが歯痒かった。

 僕はいつだって家族の面影を他人に求めてる。そのくせ違和感を感じて勝手に幻滅して。人と関わり合いたくないはずなのに、目で追ってしまうことがある。




 彩華さんは毎日見舞いに来た。「今日は花を持ってきたんです」とか「最近あの喫茶店で新メニューが出たんですよ」とか。彼女の話題は尽きず、僕は話し相手に困らなかった。

 彼女がいないときに叔母さんが話してくれたが、僕はバイト中に倒れたらしい。幸いにもカップや皿など店の備品は壊さなかったが、店には多大な迷惑をかけてしまった。謝りに行きたいが、この体はもう使い物にならない。

 すぐそこまで迫ってきているのがわかる。








「今日は与太話に付き合ってくれませんか?」

 _与太話、ですか?

「はい。出まかせの話ですよ。

 ...私はあなたをずっと前から知ってます。どう思います?」

 _...どう、とは?

「もし私があなたの未来を知っていたら。あなたは何も言わなかった私をどう思いますか?」

 _..、謝ります

「謝るんですか?」

 _もし、僕があなたの立場だったとしたら。僕は言えない。あなたは死ぬんですよ、なんて言えるわけがない。

「...そう、ですか」

 _与太話ですよね?

「ええ。勿論」



 僕の体は日に日に動かなくなっていった。

 それでも見舞いに来る人は後を絶たない。話せもしない。目も合わない。そんな僕を見て、話しかけてくる。

 ふと気を抜くと眠ってしまいそうで。でもまだ起きていなくてはいけなかった。



「おはようございます。今日は快晴ですよ」



 _僕、分かったことがあります。

 おそらく彩華さんは僕に好意を持っている。何がきっかけかは知らないけれど。

 _愛は液体なんかじゃないって

 _固体なんだって

 自意識過剰ではない。いつの日だったか起きているのに目が開かなかった日。僕の額をゆっくり撫でて「嫌いになれたら、きっと幸せなのに」と聞こえた。

 _人は生まれたときに粘土質の型を持っていて

 _両親から与えられる愛の形に変形させる


 _大人になって変形しにくくなったそれを

 _長い時を費やして愛する人が持つ愛の形に変えていく


 僕には時間が足りなかった。彼女に返すものも型も何もかもがない。

 だから僕は願うことにする。約束することにする。

 最初で最後の願い事だ。



「...きみがしあわせになりますように」


 生まれ変わってもしまた出会ったらその時は_


「_____、__________」

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