08.トロッコの行く末
三人を乗せたトロッコは、まるで暴れる馬のように乗る者を追い払おうと躍起になっていて、その乗り心地といったらそれはもう最悪なものだった。振り落とされまいと力む腕は痛いし、ガタンガタンと大きく揺れる振動のせいで気持ちは悪いし、バランスを保つために意識を集中しなければいけないし、神経をすり減らす必要もあった。
長い急勾配をあっという間に終えてしまうと、そのスピードと乱暴さを維持したまま、次はカーブに差し掛かった。トロッコが大きく左に曲がり始めると、左側の車輪が両方ともレールから浮いているのが分かった。分かってしまったのだ。いくら必死にしがみつこうがトロッコが脱線しては元も子もない。
「カーブ続くぞ!」
「左側に体重をかけよう!」
「分かったわ!」
水奈の提案で三人は左側に身を寄せ合い、何とかこの危機的状況をやり過ごそうとする。
作戦は成功した。車輪は浮いたままだったが、絶妙なバランスを保ちながらトロッコは上手い具合に旋回を続けてくれた。車輪は甲高い悲鳴を上げながら暗闇に火花を散らす。
じきに長めのカーブが終わると、トロッコも元の状態に。しかし今度は、すぐ先で右カーブが始まるのを先頭に乗るレオがいち早く気がついた。三人には息をする暇など与えないつもりらしい。
「次は右だ!」
水奈は掴まっていた両手を一旦離すと、急いで前方をライトで照らし、カーブの始まりを正確に捉えた。
「……3で行くわ! 1、2の、3!」
アンナの掛け声に合わせて今度は右側に体重をかける。
先ほどよりもカーブがきつい。しかし、三人は遠心力に振られまいとどうにか踏ん張る。
車輪からはまたもや大きな火花が。血潮を吹くかのように滑走するその姿は、トロッコの寿命があとほんのわずかであることを予見させる光景だった。
そして、この旅が始まって以来、三人が心をひとつにした初めての瞬間でもあった。
ようやくカーブを抜けた。
三人が少しほっとした瞬間、トロッコは大きな空間へと入り込む。驚いたことに辺りが明るくなっていた。どうやらここのランプには火が灯されているようで、おかげでこの洞窟内をよく見渡せることができた。
今走っているレールの他にも2本、3本、いや4本以上か。とにかくレールが多く見られた。トロッコを活用しながら金鉱を掘っていたことがよく分かる。この広い空間ではレール同士が上と下で交差していたり、並列に走りながらも先の方で分岐していたりしていた。先ほどレオに教えてもらった水路の名残も見えた。樽や袋、工具のような物がそこかしこにたくさん置かれていた。当時のままの状態が手つかずで残されている。
ゴールドラッシュ時、ここに人がわんさかいた時の光景はさぞ活気があって見ごたえがあったに違いない。レールがしばらく直線を保ってくれていたおかげで、こうして内部をよく観察する時間を与えてもらえた。
「どうだ。すごいだろ?」
「ええ。昔の人のエネルギーを感じる」
水奈が手を挙げた。
「思ったんだけどね」
「どうした水奈。ようやくお前も興味を持ったのかな?」
「そうじゃなくて。この、わっ!」
突然トロッコに衝撃が伝わり、水奈の話は中断されてしまう。
今度はトロッコが坂を登っていた。と思いきや、今度は急勾配になった。そしてすぐにまた上り坂。そして急勾配。トロッコはウェーブするようにレールを走っていく。
つい先ほどまで左右に振られていたのに、今度は上下に振られ続ける若者たち。脱線の心配は無くなったが、トロッコの中で体が弾んでしまい、これはこれで結構大変なものだった。飛ばされないよう両端を掴んで耐え忍ぶしかない。
「で、水奈。お前さっき、なんて言おうと、して、たんだよ?」
「だから、このトロッコ、は絶対に、人が、乗る用じゃ、ない、よねって、こと!」
酷く揺れるゆりかごの中で素晴らしいかな、会話が成り立っていた。
「ああ、俺も薄々、感じて、いたところだ、よ。これは荷物、の運搬用、だな!」
「あなた、たち、舌を噛む、わよ!」
不規則な上下運動は彼らの三半規管を特に刺激した。岩山の中で船酔いなどしたくはない。意地でも吐くものかと皆手で口を押さえる。
しかし、レオが我慢の限界を迎え嗚咽をひとつしたところで、視界はまた暗闇に戻った。同時に忌々しいウェーブも終わったようだった。
レオが踏ん張るのをやめ、お尻から崩れ落ちる。
「あと一回でも波に乗ってたらやばかったかも……」
隣では水奈も同じように青ざめた顔をしていた。
「うっぷ」
宇宙飛行士の訓練を初めて受け終わったような顔をする二人に、アンナはぽつり恐ろしいことを告げる。
「言いにくいこと言うんだけど。……さっきからスピードが上がってると思うの」
そう言われてみれば、先ほどから顔に吹きつける風が強いなと感じていたのに、酔っている二人にはそれがとても心地良くて、環境の変化を快く受け入れていたところだった。
水奈は慌てて大きいライトをまた取り出すと、前方を照らしてみた。
とても坂を下っているようには見えなかった。しかし、きっと緩やかに下降しているのだろう。
トロッコのスピードは着実に早くなっているのが分かった。切る風が強くなっていることもそうだ。何よりの証拠は、トロッコの揺れが無くなったことだった。それはスピードを上げたことで乗り物の安定性が増したということ。発車時の揺れが最も大きく、速度が上がってくると揺れが少なくなる列車の原理と同じである。
耳の横でびゅーびゅーと風が鳴り始める。いくら緩い坂だからといってそれが続けば加速がついてしまう。
もしもこの先が行き止まりだとしたら。
この先のレールが途切れていたら。
嫌でも最悪な想像が彼らの頭を駆けめぐる。
「頼む。終わってくれ」
次第に風の音が後方から聞こえてくるようになった。トロッコが最高速度へと到達したのだ。
今度こそカーブがあったら脱線してしまうに違いないと、肌で、そして全身で感じてしまう。
今までの倍以上の恐怖が突如として三人を襲う。だから、死というものをここで初めて連想してしまった。こうなるともう手遅れだ。死を身近に感じ、頭はパニック状態となってしまう。
「きゃあああああっ! 私はまだ、死ぬわけにはいかないのに!」
「俺だってこんなところで……やりたいことがたくさんあるんだ!」
二人の嘆き耐えうつむく姿を尻目に、水奈はライトを持ったまま真っ直ぐレールの先だけを見つめる。
恐怖はあった。もしかしたら二人よりも怖いと感じているかもしれない。だけれど、この後に待ち受ける自らの運命を知らずにはいられなくて、我慢ならなくて、前方から目が離せないでいた。
広大な宇宙空間を片道分の燃料だけを積んで進むオンボロのロケットのように、暗闇の中をライトの光一本で突き進んでいく。
これで終わったとして、果たして悔いはあるだろうか。二人のように果たしたい夢や希望もない。あるのは変わりたいという欲望だけだったはず。ただ、心残りがあるとすればもう一度だけ家族と会いたかった。挨拶して、感謝して、あとは何を言えばいいのか分からないけれど。
…………。
もうひとつだけあるか。
最後に、彼女にも挨拶しときたいな。ごめんねと。
…………。
……彼女なら。どうしていただろう。
水奈は笑ってしまった。こんなでも笑うことができた。
ありもしない状況をリアルに想像してしまい、それがおかしかったからだ。
諦めるわけ、ないよね。
最後まで何が起こるか分からない。最後の最後まで見届けよう。自分の行く末を。
水奈が思考の世界から現実へと戻ってきた。長く感じたが、それはわずか五秒ほどのことだった。
ぼやけていた焦点は、洞窟を猛スピードで進む光景にはっきりと合うようになった。
風で飛ばされないようライトをぐっと持ち直す。
けれどもすぐに水奈はライトのスイッチを消すことになった。それは、この先の通路が明るくなっていたからだ。この一帯もランプに火が灯っていたのだ。
不思議に思う水奈の横目を何かが掠った。
水奈は即座に後方を振り返る。
あっという間の出来事だった。
「あーっ!」
「どうした? 落ちるのか! またカーブか! 言ってくれ!」
レオは目を瞑りながら水奈の叫び声に即座に呼応し、アンナはやめてやめてごめんなさいとすぐ横で念じ始める始末。
「違うってば」
水奈は絶望している二人の肩を乱暴に揺すった。
「二人とも今の見なかったの?」
「何をだ?」
「何か見たの?」
「えー。また私だけは嫌だよ。また疑われるもの」
「何でもいいから早く言ってくれ」
「今度は疑わない?」
この状況下で勿体つける態度をとるのはなかなかやはり度胸がある。
「水奈! 早く言いなさい」
しかし、アンナの冷たい圧に押されては降参するしかない。
「レールの分岐点があったの。それでそのすぐ奥に大きくて模様が描かれた扉を見たんだよ」
「何ですって!」
「まさか遺跡の入口か! ……どうにかして戻れないかな」
「距離的に今ならまだ間に合うわ」
水奈の目が魚のように飛び出した。
「いやいや、遺跡なんて今はどうでもいいよね!」
ついさっきまで怖がっていたレオとアンナが急に態度を変え手のひらを返すものだから、水奈は納得できない。しかも理由が遺跡があるかもしれないからなど容認できるものではなかった。
水奈は自分が第一発見者であることも忘れ、全力で二人とそして遺跡を否定し始めた。
「遺跡より命だよ!」
「だからまずはトロッコを止めるのさ。やる気が出てきたな!」
「どうやって止める? 私たちの荷物をレールと車輪に挟んでみる? ワンチャンありそうよね」
「それだよ!」
「ちょっと待って! もうどうかしてるよ君たちは!」
水奈は両手を広げて二人に覆い被さった。とにかく阻止をしようとがむしゃらになって試みる。
三人は高速で洞窟を走り抜けるトロッコという狭い空間の中でもがき争う。
「絶対させないから!」
「邪魔をしないで!」
「お前は何がしたいんだよ! 考古学者目指してるんじゃないのか!」
「今、一番やりたいことは、このトロッコから降りて日本に帰ることだよ!」
「答えになってないんだよ!」
「うるさいな! 考古学者はやっぱりみんなおかしいんだよ! もう、本当に」
水奈は自分の言葉を自分自身で遮る。
あの強い風も、あのトロッコの振動も、あの洞窟の景色も、今はすべてが止んでいた。
なぜだろうと理解するのに1秒はかかってしまった。それはそうだ。だってトロッコが空中を浮いているのだから……。
「きゃあああああ!」
「うそだああああ!」
「いやあああああ!」
トロッコは洞窟を抜け外に出たのだ。それは大変素晴らしいことだったが、残念なことにそこでレールが途切れてたことで、トロッコは空中へと放り出されてしまったのだった。
本日、二回目の落下だった。今度はパラシュートも無し。下は崖。特大の跳躍だ。
乗っている本人たちは叫ぶだけで精一杯だった。だから、下が川になっていることにまで気づけるはずもなく、着水する最後まで雄叫びを上げたのだった。
大きな水しぶきが上がり、トロッコの周りではそれがキラキラと輝きながら散っていく。
幸いにも川は穏やかで、トロッコは酷使されたその体を休めるようにしてゆっくりゆっくりと水の上にその身を浮かせていた。
中の三人はといえば、体を激しく重ね合い、久しぶりに感じる青空を、無心で放心して見つめるだけしかできなかった。
「おーい! 大丈夫かー!」
男性の声だ。
三人は慌てて起き上がる。
川岸の向こうは、調査隊のキャンプ地だった。
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