06.雄大な自然の中で
地面の上には黄色のパラシュートが三つ仲良く、ひなびた野菜の葉のように横たわって並んでいた。
ありがたいことに、パラシュートはスルスルと巻き取られるようにしてバックの中に自動的に収まってくれた。
とりあえず今自分たちが無事であることに感謝しつつ、辺りを見渡してみる。あるのは岩山とサボテンと砂埃だけだった。
「まったく最高の体験をありがとうよ。さすが最高峰の大学だけあるよな」
「最低の体験だよ。思いついた人が心底憎いよ」
水奈は顔を青ざめながら口を曲げている。
「あんな思いは今回限りにしてほしいわね。それにしても」
荒野のど真ん中に置いていかないでよねと愚痴をこぼすアンナ。
「南下してって言ってたよね。方角はスマートフォンがあるから良いけれど、距離が分からないから不安だね」
「そうね。ただ、ここに居ても仕方がないんだし歩きましょう」
「ああ同感だ。気を取り直して行こうぜ」
この大学に入学して後悔しているのはどうやら水奈だけでは無かったらしい。
「水奈、あなたなんで笑っているの?」
「え? いや、笑ってないよ別に」
「そうかしら。今笑ってるように見えたけど」
「おいおい、分からないのか。水奈は苦しい時ほど楽しいんだよ。考えてもみろよ、こんなにも大人しくて引っ込み思案で心優しいやつが考古学者なんて目指すか? きっとな自分を追い込んで追い込んで辛い状況に身を置くことに快楽を覚えてしまうタイプなんだよ。まっ、ようはプレイの一環ってやつだよ」
「なにそれ! そんなんじゃないってば!」
「嘘をつけ。こんな状況下で笑えるやつは変態な奴だけだ!」
「そんな風に考えてしまうレオが変態なんだよ!」
二人の会話を途中から耳に入れないようにして、アンナはひとり方角を確かめ、先頭を歩くことにした。この先を考えると頭が痛くなるし、嫌な予感しかしないので、未来のことはひとまず置いておくことにした。何も考えたくなかったので、大好きなシェイクスピアの作品を暗唱することにした。
遠くには木の生えていない山々がまるで化石みたいに何万年も変わらずそこに居座るかのようにして連なっていた。茶色くごつごつした地面からは砂埃が舞い、辺りにはそこかしこに霞んだ緑色の植物が生えている。空が近く感じられて開放的にも関わらず、なんだか殺風景で寂しい感じもした。人の気配など微塵も感じず、そして人がここに居ること自体が異常なのだと思わせてしまうほど、自然の中心にいるのだと嫌でも自覚してしまう。
それだけならまだ良かったのだが。
足元の悪い中を歩く三人の真上では羽の生えた虫たちが羽音を鳴らし、突然の侵入者たちを手荒く歓迎してくるのだ。
水奈は目を瞑りながら、手を振り乱し、その場で足を地団駄踏む。
「ぎゃああ! ぎゃああー!」
悲痛な叫び声は虫に届くことはなく、むしろ彼らを逆撫でてしまったらしく水奈に集中して集まってきてしまう。
「やだやだやだ〜! レオ助けて!」
水奈はレオにしがみき、それでも尚、手で虫たちを追い払い続ける。
「暴れるなって。大丈夫さ。刺す虫じゃないしな。おーおーよしよし」
レオも虫を払うのを手伝ってあげた。
「情けないんだから。そんなの歩いていれば気にならなくなるわ」
「……アンナは強いんだね。いろいろと」
レオの洋服で涙を拭き取ると、水奈はようやく落ち着きを取り戻した。
「水奈が情けないだけよ。虫が苦手だなんて、考古学者としてやっていけるのかしら」
アンナの意見は最もだ。しかし、それだけならばまだ良いのだ。それよりも重要なのは、考古学者になるという覚悟が水奈にはまだ無いということだ。それが彼にとって致命的なのである。
「まあまあ。水奈の弱点が分かったんだし良いだろ。それよりもいつまで歩くことになるんだ。あっちが南だろ。町も、家の一軒すら見えないじゃないか」
「文句を言ってても仕方ないわ。今大切なのは一刻も早くたどり着くことよ」
「目的地も分からないのにか?」
「あなたね、少しは考えなさいよ。今回の試験は、発掘現場での調査に加勢することよ。ここが荒野のど真ん中なのだから、建物を根城にしてる可能性はかなり低いわ。キャンプ地を拠点としている可能性が高いわね。それを目指すの」
「そ、そうだよな。分かってるよそんなこと。俺は、どれくらい時間かかるのか心配なだけさ」
「そうかしら」
アンナは、彼の目が泳いでいるのを見て、深くため息をついた。彼女のストレスもどうやら限界に近い。早くもチーム崩壊の危機である。
それから三時間は歩き続けた。変わらない風景の中を黙々と行進するように歩いた。
距離に比例するかのように洋服が砂埃のせいで白くなっていく。
最初は圧倒されていたこの雄大な風景も今は日常のように感じてしまい、どんな素晴らしいものでも適度な時間と回数で十分なのだと理解した。
水や食料は十分にあったので体力的な不安は全くと言っていいほど皆無だった。しかし、精神的な不安はあった。なぜなら歩いても歩いても前方にキャンプ地なんて見当たらないからだ。ゴールが分からないのだ。目標の無い活動ほどキツイものはない。三人の歩みは次第にペースが落ちていき、しまいには止まってしまった。
「とりあえず休憩しようよ」
と、水奈は二人に声を掛けた。
だがそれは、休みたいがために止まったんだと自分にも言い聞かせるような、そんな言い訳じみた台詞になってしまうだけだった。
三人は近くの丁度よい高さの岩に腰掛ける。遠く見えていた岩山が今は間近にある。荒く削られたその山は、断層を思わせるような横縞模様をしていた。山の中腹にはこの環境下でも力強く伸びるようにして草たちがその巨大な茶色の塊にもう一色を加えていた。
「疲れた。まったく、なんだってこんな荒野を俺たちは歩かされてるんだ。これが試験? ふざけるなよ。これで何が評価されるんだか」
このままレオを放っておいたら、歩いた時間と同じくらい文句を言ってそうだと思えてしまうほどに彼は不満が溜まっているらしかった。彼はしきりに頭を振りながら、この状況が理解できないとアピールした。
「言ってなさい。試験の内容なんて大学次第。ましてや試験の意味なんて考えたって無駄よ。あの大学が異質なのは知っていて入学したんでしょ」
「ああ、そうだな。だが、ひとつだけ同意できないことがあるぞ。異質じゃない。あいつらは異常だ。憧れて入ったのに。この仕打ちだぜ」
「他の新入生も同じ状況よ。あなた一人だけじゃないわ。俺が一番不幸ですっていうその湿気た顔を私に見せないでくれるかしら。私のやる気まで削がれるのよね」
「それは悪かったな。さぞかし君はタフで頭が切れて我慢強いんだろうさ。俺にはとてもじゃないけど真似できないよ。さぞかし優秀なんだな」
「あなたね。イライラするのは構わないけれど、それを私にぶつけるのはよして」
「なんだって? お前が最初に喧嘩を売ってきたんだろう?」
「人を不快にさせたのはあなたでしょ」
「そのセリフ、そっくり返すぜ。人を上から見るように言いやがって。何様のつもりだよ」
「あなたの精神年齢が低いから言い方を変えているのよ」
この言い合いも放っておいたらいつまで続くか分からない。
二人の相性の悪さは、お互いにそして水奈も薄々感づいていたことだ。
試験が始まったばかりのこのタイミングでの衝突は少々まずい。それは当の本人二人も理解しているはずだが、それでも両者のプライドが許さないでいた。試験にも支障が出るようでは先が思いやられる。
そんな環境も人間関係も過酷な中、仲介役であるはずの水奈は、二人を止めようともせず、ただ一点だけを見つめていた。
「ねえ。今誰か、あそこに居たよ」
水奈の言葉は、怒りに身を委ねたレオとアンナを振り向かせるだけの力を持っていた。
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