05.入りそしてすぐに退く者

「去年公開した映画のベスト10については熱く語ってくれたのに、行き先については何も話しちゃくれないぜ、あのスタッフ」

 首を横に振りながら戻ってきたレオは、席に着くとため息をつき、そして嬉しそうにドリンクを口に運んだ。

「どこだろうなー。大定番のエジプトか? それともマチュピチュ? アマゾンの奥地かもしれないなー。いや、アジアかもしれないぞ。なあなあ、どこだと思う?」


 アンナは眉間に皺を寄せながら、持っていたドリンクをわざと音を立ててテーブルに戻した。

「あなたって何て言うか、落ち着きがないのね。着けば分かることでしょ。大人しくしていればそのうち着くわよ」

「おいおい、まさかこの興奮を収めろって? 無理だな。入学して早々に発掘現場へ行けるんだぞ。アンナは嬉しくないのか?」

「嬉しいわよ。だけど、飛行機が飛び立ってからかれこれ一時間以上経つけれど、その間ずっと口を休めないあなたほど興奮はしていないつもりよ」

「随分と冷めてるじゃないか」

「違うわ。ちょっと緊張してるだけよ」

「水奈だって気になるよなー?」

 窓の外の青空と長く続く雲を眺めていた水奈は慌てて二人に向き直る。

「気になると言えば気になるけど。ただ、この飛行機の大きさから言って移動範囲は北米が限界じゃないかな。ガソリンが保たないと思うから。カナダかメキシコか、もしかしたらアメリカかもしれないね」

「そりゃないぜ。アメリカは好きだけど、どうせなら外国が良いのにさ」

「まあまあ。試験なんだから好きには選べないんだし。アンナの言うとおり着けば分かるよ」

「まあ、そうだよな」

 それでレオは納得したようで行き先について言及することは無くなった。


「よーし。じゃあお次は、なぜ彼らが目的地を隠すのかだが〜。アンナ、君は分かるかい?」

「喧嘩売ってるの? 売ってるのね? そうなんでしょ!」

「何で怒ってるんだよ?」


 アンナのおでこに皺がどんどん増えていくので、水奈はたまらずスタッフを呼び、二人にドリンクのお代わりをくださいとお願いして場の雰囲気を変えようと頑張ってみたが、結局それは失敗に終わった。水奈の中に他人を気遣う気持ちの余裕など今は無いはずだが、残念ながら自分の役割を早くも察知してしまったらしい。


 さらに一時間が経過して、そろそろ三人が空の景色に飽きてきた頃。前方の機長室が何だか騒がしくなり、三人も気になり席から身を乗り出した。

「もう着くのかしら」

「待ってました!」

「まだ高度高いよ?」


 レオが我慢できずに機長室へ歩き出した。

 すると、ちょうど三人のスタッフが機長室から笑顔で出てきた。手にはバッグのようなものを持っていて、それは黄色く大きかった。

「なんだい、それは?」

 とレオが指差すと、スタッフの一人が、良いから良いからと彼に背中を向けさせた。スタッフがその黄色いものをぱちっと音を数回鳴らしながら、レオにそれを背負わせた。

「おいおい、だから何だいこれは? 仮装パーティでもやるのかい?」

「いえ。ただのパラシュートですよ」

 と笑顔。

「へ?」


 そして、他のスタッフたちも水奈とアンナに近づく。

「背中向けてもらっても宜しいですか?」

「まさか彼と同じものを装着するのかしら?」

 アンナは危険を察し、疑念の声をあげる。


「絶対に嫌です!」

 水奈は危険を察し、拒否権を主張する。


 しかし、二人の想いは、スタッフの一言によって妨げられる。


「試験ここで終了しますけど」


 かくして、パラシュートを身に着けた三人の姿が機内にはあった。


「説明は以上となります。最後に、あなたたちがもし空中で気絶してもご安心を。高度検知機能が働くので自動で開きます。最悪は免れますね。でも着地地点によっては、ねっ、ほら、いろいろと危ないでしょ? だから起きてるのが懸命ですよ。何かご質問はありますか?」


「地上に着いたら私たちはどうすればいいの?」

「ひたすら南下してください。いずれ発掘現場のキャンプ地が見えてくるはずです」

「ひたすら、ね。距離はどれくらい?」

「それは言えません」

「キャンプ地の近くに降下はできないの?」

「キャンプ地一帯は高低差があり非常に危険です。そこに降ろすことは安全上できません」

「分かったわ」

 これは過酷かもねとアンナは深くため息をついた。


「空中で動画撮りたいんだけど、スマホを固定する機材があれば欲しいんだけど」

「ありません。危ないので撮らないようにお願いします」

 つまんねーとレオ。


「あの、食料と水は支給されるんですか?」

「パラシュートのバッグに水と携帯食が入ってます」

 水奈はそれを聞いて安堵した。


「水奈が食いしん坊とは意外だよな」

「そういうんじゃなくて当たり前の確認をしたんだよ」

「そうかそうか。分かったよ。ハンバーガーがあればもっと良かったよな! あっはっはっ!」


 その笑い声に水奈の頬が引きつる。


「レオ。言葉も通じない場所で食料が無い状況に陥ったことある? 無いだろうねきっと。あったらバカにできないもの。それがどれだけ不安で危険なことか知らないくせに」

 水奈は歯を食いしばり人が変わったかのように怒りを露わにした。


「おいおい、落ち着けよ、どうしちゃったんだよ急に」

「レオも飢えに苦しめば分かるよ」

「幸いなことに俺はそんな経験ないよ」

「じゃあからかわないでよ!」


「落ち着いて。水奈の言うことは最もだわ。辛い経験をしたのよね。だから彼に怒ったのね。私としては経験豊かなあなたが居てくれてとても心強いわ」

 肩で息をする水奈の背中にそっと手を添えるアンナ。


 その間、水奈は何かを一人ぶつぶつと唱えていた。

「アンユーロ……アンユーロ…アンユーロ…」

 水奈の指先は震えていた。彼のトラウマが発動したらしい。

「ア、アンユーロ?」

 と、レオが思わず突っ込む。


 アンナの鋭い目線がレオに鋭く突き刺さる。今すぐに謝りなさいとその目は確かに言っていた。


 レオは一旦俯いた後に頭を横に振ると、恐る恐る水奈の両肩に手を置いた。

「からかって悪かった。すまない。そんなに怒るなんて思わなかったんだ。この通りだ。許してくれ」

 彼の整った眉毛が八の字に曲がっている。普段の陽気な顔からは想像できないような悲しい顔を見せる。

「確かに水と食料が無きゃ俺も困る。大事なことだよな」


 そんな様子を目の前にして、水奈は一回大きく息を吐く。熱が徐々に冷めていくようだった。そして、ゆっくりとレオに向き直った。


「自分も怒り過ぎたよ。ごめん」


「水奈!」

「レオ!」

「待って、切り替え早くない? そして抱きつく必要ある?」


 機内には和やかな雰囲気が戻ってきた。


「試験頑張ろう」

「ああ! もちろん!」

「まったく。ペースが崩されるわね。あら、スタッフの人たちの姿が見えないけれど」

 気が付けば客室は三人だけになっていた。


 すると、

「操縦室からご案内しております。機長のクリスです」

 流暢な声が機内に流れる。

「follar航空の初めてのご利用、ありがとうございます。ここまで当機は順調に飛行しており、定刻通りで目的地に進んでおります。天候ですが、概ね良好であると予報が出ております」

 機長のアナウンスは三人を安心させた。

「みなさんのわだかまりが解けたようで安心しました。引き続き空の旅をお楽しみください、とつづけたいところですが、しかし、どうやらあまり時間は残されていないようです。短い時間ではありましたが、本日はfolar航空をご利用いただきまして、誠にありがとうございました」


「道中、そして空中ではどうかお気をつけて」


 機長のその言葉を聞いた瞬間、三人の視界は瞬時に青くなった。


 なぜだろう、今まで乗っていた飛行機がどんどん遠ざかっていくではないか。


 気がついた時にはもう手遅れでだった。


 三人は空に放り出されたのだ。


「きゃーっ!!」

「うそだー!!」


 アンナとレオの叫びは互いに聞こえることはない。



 一方、飛行機では開放したハッチがゆっくりと自動で閉じられていく。三人が立っていたであろう床は元の状態に戻った。

「もう少し遅ければ喧嘩の最中に落とすところでしたね」

「そのほうがとってもエキサイティングで面白かったわ」

「それよりもあの方たちの健闘を祈りましょう。それにしても副学長の趣味には困ったものです。これがオリエンテーションの一環とは。心臓に悪い」

「でも機長が一番ウキウキしてましたけど」

「そうでした?」

 機内は笑い声に包まれると、大学へと進路を向けた。



 水奈は、真下に広がる広大な荒野を眺めていた。いや、眺めるというよりは俯瞰しているという言い方のほうが正しいだろう。心の準備なんてものも用意させてもらえず、自由も効かず、ただただ重力と浮力に身を任せ落下していくだけだ。


 空のどこまでも続く青さ。不規則に並ぶ白と灰色の無数の雲。地表から力強く伸びる茶色い山々。


 地球はこんなにも綺麗だったんだ。

 そんな綺麗事、浮かんだ瞬間にはもう消えていて。


 涙を流すものの、それは吸い取られるかのように風ですぐに消えていく。満足に泣くこともできやしない。

 

 この試験が終わったら退学しようかな。

 

 早くも水奈の大学生活は終わりを迎えようとしていた。

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