2C.荒野のレール

プロローグ

 地球はこんなにも綺麗だったんだ。


 初めて飛ぶ宇宙飛行士が思わず口から出てしまうようなそんなセリフ、ものの五秒で消え失せてしまった。


 やはり考古学者は変な人たちばかりだとつくづく思う。私利私欲で動き、常識を持たず、そして人に無茶を言う。


 自分の父親に「考古学者になれるよう頑張ってみる」なんて前向きな発言をしてしまった過去の自分自身を今は罵倒したくてたまらない。


 この試験が終わったら退学しようかな。


 上空高度四千メートルから落下しながら、火向井水奈(ひむかい みずな)はそんなことを考えていた。



 ※



 正月気分が未だ残る1月も初旬。高校の卒業式を2ヶ月後に控えているにも関わらず、水奈はアメリカへと旅立った。大学生としてこれからしばらくは外国で暮らすことになるからだ。

 その大学は日本と違って、1月が入学の時期となっていた。高校卒業を待たずして大学へ入学することにはなるが、そこは高校側が大学側に卒業証明を掲示することで上手いこといくようになっているらしく、本人の知らないところで大人たちが何やら動いているらしかった。


 ダラス空港を乗り継ぎ、オーランド空港へと降り立った水奈は、今にも不安に押しつぶされそうになっていた。親の言うとおりにしていたらいつのまにかこんなところまで来てしまった。最後は自分で行くことを決意したのでそれは良しとしよう。しかし、何分考古学への情熱が今まで無かったものだから、周りの学生とのモチベーションの差や勉強についていけないこと、最悪なのは友達ができないのではないかということ。元々そこまで友達が多くはなかったからある程度の耐性はある水奈とてさえ、外国の地で孤独を味わえば惨めさを味わうことになってしまう。そうなると、最悪、帰国になんていうことにもなりかねない。

 緊張する手のひらでキャリーバッグを握りしめながら、水奈は空港内にあるバスロータリーへと向かう。ここまでは至極順調だ。


 バスに揺られうとうとしていた水奈がふと窓から外を覗くと、のどかな住宅街が目に入った。広い道、広い家に広い庭。バスケットゴールのそばで、子供たちがマウンテンバイクを乗り回し、そして転がり回っていた。なんともまあザ・アメリカンな風景だった。


 じきにその住宅街も左側だけとなり、道を挟んだ右側には森林が現れた。やけに整備されている印象だ。折れて倒れてしまった木は見当たらないし、木の葉も何だかすっきりしているし、自然の鬱蒼とした感がまるでないのだ。しばらくそんな状態のまま走り続けると大きな門が見えてきて、その中へとバスは入っていった。その先には丸いロータリーがあり、そこでバスはゆっくりと停車した。他にも何台ものバスが停車していて、何人もの人が降りていく。向かう先はさらに奥に見えるアーチ状の門だった。


『The third organization of the latest archaeology research University』


 門に大きく飾られた文字を見て、国立公園か何かだと思っていた水奈は、あっけに取られた。


 門の前には何本ものヤシの木が競い合うように高く伸び整列している。大きな噴水もあって水も勢い良く高く上がっている。大学というよりはテーマパークの入口と言っても差し支えない雰囲気。門の向こう側もだいぶ開けていそうで、広さだけでめまいがしそうだった。しかし、地面はクッション性があり、これならしばらく歩いても足は痛まなそうなことだけは救いだった。


 学生や大学職員らしき老若男女が門の中へと次々に吸い込まれていく。水奈と同じく、キャリーケースを引いてる人も何人か居た。きっと一年生に違いない。みんなも自分と同じく緊張していることを願いながら、水奈も門をくぐった。



 最先端考古学研究第三機関大学。

 アメリカのフロリダ州に位置し、オーランド空港からシャトルバスで三時間ほどの距離。広大な土地にも関わらず機密性に長け、最新の設備が整っている。まさに研究機関の名に相応しい環境の場である。考古学を専門とした世界初の大学であり、考古学者を目指す者なら一度は在籍したいと憧れる学び舎。歴史はまだ浅いが、年々評判が上がったことで学者にならずともステータス欲しさの入学希望者も徐々に増えてきた。現在では世界でも五本の指に入る難関大学となっている。施設内には学生寮や職員寮、ホテルまであり、学生数5000人、大学関係者3000人がここで暮らしている。関係者の人数が多い理由は、ここを拠点として活動している考古学者も含まれるからだ。ここで自らの研究に没頭する者もいれば、大学の教授や講師として生徒へ熱心な指導をする者もいる。すべての授業が選択制のため、まずはお気に入りの先生を見つけることが一年生の最初の課題となっている。考古学は、分野が多岐に渡り、さらには調査ひとつにしても時間を要するため、まだまだ発展途上の学問なのだ。そのため、誰から学ぶかでだいぶ知識に偏りが生まれるし、習得する技術も違ってくる。先生と生徒の関係性に変わりはないが、師匠と弟子のような継承的な行為が考古学者には確かにあるのだ。

 果たして、水奈は良い師に巡り会えるのだろうか。



 エントランスであるこの場からでも、数えるのが面倒に感じてしまうほど建物や塔がいくつも見える。滝もあれば、先ほどとはまた違った形をした噴水も随所に見える。真っ白な道が続き、傍には伸びることの許されない整備された芝生たちが敷かれている。ぼんやりと遠くに見える巨大な建造物もきっと大学の範囲内なのだろう。

 訳も分からず、とにかく学生寮へと急いだ。


 高校生二年生の頃、水奈は友達と大学の文化祭に出向いたことがあった。高校よりもずっと広くて、建物の棟の数も、人の数もずっとずっと多かった。歳の近い大学生たちが妙に大人っぽく見えた。

 きっとアメリカの大学はこの何倍もの広さと人数なのだろうなと想像していた。そんな水奈の予想は見事当たったのだけれど、目の前のこれは予想できないよと水奈は嘆く。


 なにせ大学内にピラミッドがあるのだから……。


 何が異常かと言われれば、それがほぼ実寸並みのサイズということもそうだし、わざわざ石材で造られているというところだろう。遺跡の探検や発掘の授業で使われることは水奈でも分かるが、まさか本物同然を用意しているなんて夢にも思わなかったのだ。ピラミッドの横を平然とした顔で通り過ぎる学生と大人たち。彼らには当たり前の風景なのだろう。


 こうしてこの大学の本気さを伺えたことは、水奈にとって非常に悪いことだった。それだけ授業が本格的ということだろうし、過酷なものだということを示しているので、余計な不安が増す一方なのだ。考古学を学ぶ場所としては世界一であるしそれは当然なのだが、水奈としては嬉しくない。生半可な者が足を踏み入れて良い場所ではないことは明白だった。

 分かっていたことなのに、いざ目の当たりにするととても落ち込んでしまう。入学したくてもできなかった者は世界中にたくさんいる。その人たちに申し訳ないなーと俯きながら、またキャリーバッグを転がし始めた。


 圧倒されっぱなしの水奈は、体力と気力を削り取られながら何とか今日の宿泊施設にたどり着いたのだった。


 疲弊した身体に鞭を打ち中へ進むと、開放的な吹き抜けのエントランスロビー。そこにはまたもや滝や噴水が存在していた。ここが学生寮……。もう何が来ても驚きはしなくなった水奈に気さくに声をかける女性がいた。ここのスタッフのようでどうやら彼女は新入生への案内役のようだ。受付に連れて行かれると、顔を私の方に向けてくれるかしら、とお願いされた。女性は画面を見て何かを確認している。

「ミズナ ヒムカイさんね、ようこそ」

 館内設備の説明もそこそこにルームカードキーを渡された。わずかな時間で手続きを終わらせてくれるのは非常にありがたい。エレベーターで8階へ上がり、カードキーをタッチして入室した。靴が10足は余裕でおける広い玄関、ほのかに香るフレグランス。もはや高級ホテルと同格の部屋だと靴も脱がずに察した。室内を探検することもなく、まるで決まっていたかのように、水奈は目の前のツインベッドへとダイブした。


 疲……れた。


 大学に辿り着くという最低限のミッションをこなした水奈は、自身を称えながら眠りへとついた。



 水奈が目を閉じてから二時間が過ぎた頃。


 玄関の方からカチャリと音がした。ドアが勢い良く開かれ、そしてゆっくりと閉まった。

 侵入者は、玄関に置いてあるキャリーバッグに気がつくと、探るようにして中へと進んで行き、目の前の光景に思わずゴクリと喉を鳴らした。


「女子と同室なんて聞いてねーぞ」

 ロビーで指定された部屋に入ったら、女の子がベッドの上で無防備に寝ていたのだ。それは興奮のひとつもするだろうと言い聞かせながら奥へと回り込む。

「しかも可愛いし!」

 つい大きな声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ侵入者。


「うーん、うるさいー」

 目をこすり起き上がる水奈。だんだんとぼやけていた輪郭がはっきりとしてきて、ここがアメリカの大学にある学生寮であるということ、入室した途端寝てしまったこと、そして目の前には見覚えのない男子がいることを認識した。


「だれ……ですか?」


 水奈は慌てて壁際へと移動し小動物のように縮こまり身構える。

「あー、俺はー、怪しいもんじゃない。今日からこの大学に通うことになった、レオナルド・タッチブライン。君のルームメイトさ。それにしても驚いたな。女子と相部屋なんてさ。寝顔見てしまったけど、それは許してくれ。正直、……可愛かったぜ、ははっ! これからよろしくっ!」


 見た目は爽やかな好青年なのだが、後半のセリフでそれが台無しだった。けれどもそれはそれとして、水奈は別の要因で冷め切っていた。


「男ですよ、一応」


「……へ?」


 部屋の空気も一気に冷め始め、レオナルドは一人で硬直していた。


 幾度となく体験したこの同じシチュエーションに水奈は辟易していたが、それをため息ひとつでやり過ごす。もう少し男らしくしなくちゃいけないなと自分でも常々思ってはいるからだった。

 唯一安心したのは、とりあえず日本でも海外でも自分への反応は一緒だということ。それは、この場所も日本と同じ世界にあり繋がっているのだという実感を得れたことだった。


 だから、苦笑いで返すことができた。


 なんとかやっていけるかも。


「まじかよ、嘘だろ。……でもさ、俺、この大学で、目覚めちゃうかも……」

レオナルドの顔が少し紅潮しているのを水奈は見なかったことにした。


 やっぱり無理かも。


 水奈の長い長い大学生活の初日は、こうして始まったのだ。

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