38.相手が悪く、そして運も悪かった
「痛たたた」
憲兵隊の護送車が大きく揺れるとサルクルは右足の痛みを訴え始めた。
「おまえいつ怪我なんかしたんだよ」
「ア、アニキたちがやられてからボク一人になって、それでもあの子たちに立ち向かったんすよ。そしたら案の定……。あの蹴りは、凄まじかったな」
レクタンが思わず突っ込むと、彼は慌てた様子で説明をし始めた。
暗い車内の中、固めの椅子に向かい合わせで座る三人。
この場には自分たちのボスであるアシムもいるため、正直に言えるはずもなく、痛がるしか他にないのである。
「臆病なお前がなー。信じらんねー」
「ボクだってやる時はやるんです!」
「口ではなんとでも言えるけどな。どう思いますか、アシムさん」
車に乗ってからというもの口をつぐんていたアシムは、その重たい口を開ける。
「信じられないといえば、あの生意気な嬢ちゃんの存在よ。私たちはつくづく運が悪い。あんなレベルと当たるなんて」
「たしかに。あの蹴りはやばかった。あんな大きな岩をたったひと蹴りっすよ。あのほっそい身体のどこにそんな力があるんだかなー」
レクタンは座席にもたれかかり脱力する。
「足の速さも異常でしたもんねー。陸上選手のような綺麗なフォーム。流れる漆黒の髪の毛。かわっ、怖かったっすねー」
「お前今可愛いって言おうとしただろ。あの女のどこがいいんだ? それなら断然おとなしい子のほうだろ」
「アニキその子に体当たりされてたじゃないですか。それで惚れちゃったんですか。変な趣味っすね」
「バカ、ちげえよ。どっちかっつーとだ!」
アシムがじゃらりと手錠の音をたてながらサングラスを外すと、二人はピタリと会話をやめる。
「はー。岩を砕く力や足の速さなら、世界には同レベルなぞたくさんいるよ。そうじゃない。お前たち、あれ見てないの?」
「あれってなんですか? 俺は自分だけで精いっぱいだったんで、すんません」
「ボ、ボクもそれどころじゃなくて」
「ふー。そりゃそうよね。あの子の力を見たのは私一人だけということか」
付き合いが長いわけではないが、こんなにもため息をつくアシムは珍しく、多少なりともレクタンは心配する。
「ボス。何があったんですか?」
それはあのブドウの木の前での戦いにさかのぼる。
アシムはおのれの勝ちを確信し、生意気な娘の頭に狙いをつけた時のこと。
突然、彼女が右足を後ろにゆっくりと引いたのだ。走り出すため? いや違う。あれはもう何度か見たはずのもの。彼女が蹴る動作に入るための準備体勢だ。彼女は知ってか知らずか分かりやすいことをしてくれる。それはただただ、さらにさらに私を喜ばずだけだった。両者の間にはある程度の距離が保たれており、彼女のリーチをもってしても私を蹴り飛ばすよりも先に銃で撃たれてしまうのが現実。それでもなお、彼女は右足を下げた。仮にそれがフェイクだとしてもそれがなんだ。どうした。まさか逃げる気か。逃がさないからね。
アシムは、あざ笑った。
「それじゃね」
彼は、歓喜に震える指で引き金を引いた。
この瞬間だけ、寿美香は怒りを忘れていた。それは一つの行動だけに焦点を合わせ集中するための副作用のようなもの。
右足を下げたのはご存知のとおり蹴るため。相手にバレていることくらい承知している。蹴りがやつに届かないことも分かっている。相手を喜ばせていることも見て知っている。バカにされていることも感じている。
……それでいい。すべてはこの一撃に。
寿美香は左足を使いその場で真上に飛ぶと、正面に向かって思いっきり右足で宙を蹴る。
「ふんっ」
アシムは一瞬たじろいでしまったが、なんの問題も無いと指を。
「ぐふぁっ!」
指を動かそうとしたその時、顔面と胸と腹と脚に、丸く重みのあるものが勢いよくぶつかってきた、気がした。それは人のサイズよりも大きい鉄球をぶつけられたかのような凄まじい衝撃だったのだ。しかし、アシムの目の前には何もない。おのれがそのまま後ろに吹っ飛ばされていることだけはどうにか理解できた。欠ける前歯。割れるサングラス。全身の痛みで薄れゆく意識の中、寿美香が地面に着地するのが見えた。
おいおい、嘘だよね。まさか蹴りの風圧で……。今日は、なんて運が悪いのか。
壁に激突すると、アシムは今度こそ意識を失った。
「………………」
車内は沈黙に包まれる。
「日本人、やべー」
「降参しといてよかった~」
「あっ、てめーやっぱ戦ってねえじゃねえか!」
「えっと、その、あはははっ」
二人は驚きを払拭するかのようにまた騒ぎ始め出すと、アシムはそれをただ見つめているだけだったが、ふと何かを思い出しつぶやいた。
「そういえば、レクタン。お前はなぜやられたのよ?」
「あーそうっすよ。あんなか弱そうな子の体当たり、避けられたでしょうに」
レクタンは、はっとした。
「……忘れてた。そうだった」
レクタンは真面目な顔に戻ると慌てて姿勢を正す。
「アシムさん聞いてくれ。あの女、体当たりしてくる前、俺に懐中電灯を投げてきたんですよ。普通なら避けれるさ、楽勝ですよ。だけど、あいつ、わざわざ俺の怪我してる右腕を目掛けて狙ってきたんだ」
「まさかー。もしかしたら俺たちをずっとつけて来たからアニキが怪我したの見てたとか」
「そんなはずないね。あいつらは教会側から入ってきたんだ。知ってるわけがない」
「……これって、偶然だと思いますか?」
「うーん……。いや、これは組織に帰ってから考えよう」
それを聞いたサルクルの顔がぱあっと明るくなる。
「このまま刑務所に行かなくてすむんですか!」
「あったりまえだろ。俺たちが捕まったら組織が困る。だから助けに来るのさ」
乗り心地の悪いこのドライブも幾分我慢できるというものである。
「でも帰ったら、やっぱり怒られますよねー。はあー、気が重いっす」
「そこはうちらのボスがなんとかしてくれるさ」
アシムは二人の期待の目に軽くうなずくことで応えると、少し寝ると言って割れたサングラスをまたかけ直した。
不思議な力を持つブドウの取得は、フランスに来たついでに偶然引き受けた依頼だった。しょせんは任務の合間の暇つぶし、と思っていた。
フランスのとある都市部でのこと。
「アシムさんには、セント・エビリオンという町でTOPと思わしきブドウを手に入れてもらいたいのです」
「セント・エビリオン? 聞いたこともないね。任務中なので出来ることならお断りしたいね」
ネイビー色のスーツを着た男がアシムの肩にそっと手を置いた。
「いえいえ。任務中の間に片手間で終わらせることができる簡単なお仕事ですよ。ただし、報酬は弾ませていただきます。なにせ遠方ですから。それだけです」
「……ふーむ。その間、あんたはどうするのよ?」
「私も当然向かいます。下調べ、それと作戦前に会っておきたい人物がおりまして。それ次第では中止もありえますが、まあそれはまず無いと思っていてください」
「良い考えとは思わないねー。盗む前にfolarのあんたが訪れたりしたら、疑われる可能性が高い」
「私にはまさにその後ろ盾がありますから。どうとでもなります」
男は楽しそうに言った。
「おーおー、それは羨ましいことね。わたしならせめてそのバッジを外してから行くけどね」
「ご忠告有り難く受け取っておきます。ですが、このバッジは私の誇りですから。ふふふっ。では、また連絡します」
そう言うと男は、颯爽とアシムの前から姿を消した。
「せいぜい儲けさせてもらうよ」
誰も居なくなった路地に向かって、アシムは笑った。
それから数日後の今。
まさか、日本人のガキ二人なんかにこの様である。しかもさらに、あんな化け物レベルまでこの町を訪れていたなんて。なんて運の悪い。なんて絶好のタイミングだろうか。
ある意味、あの子たちのおかげで助かったのかもしれない。感謝しなくちゃね。
とは言え、日本人にはもう二度と会いたくないね。
アシムは最後にため息をつくと、もうしばらく続く揺れを感じながら眠りについた。
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