37.繋がり、そして別れ
お茶会の後、水奈と寿美香は日本へ帰ることを告げた。ジェレミーさんにはもう一度会いたかったし、水奈個人としては寿美香と喧嘩別れしたあの市役所の女性が最後に仲直りをしてもらってから旅を終えたかった。しかし、この町に迷惑をかけたのは事実であるし、このままのほほんと観光するのも何か違う気がしたのだ。一度は引き留めた市長もそのほうがいいのかもしれないねと納得してくれた。せめて何かさせてほしいとのご好意で、市長は二人に送迎車を用意してくれ、近くの都市部まで送ってもらうこととなった。
市役所の前。
室内と室外の気温はどんどん差が大きくなるばかり。今日も天気には歓迎されているらしく、立っているだけでじんわり汗が吹き出してくるほどだ。
ここで市長とはお別れだ。
寿美香は目線を落としながら一歩前に出る。
「市長さん、今回は」
市長は寿美香の手を取ることでその後の言葉をさえぎり、優しく微笑んだ。
「また来なさい」
「…………はい!」
そして、固く握手を結んだ。
「では、わたくしもこれで。落ち着いたら連絡を入れますから。次はイギリスでお会いしましょう」
「ああ、楽しみにしているよ。ありがとう」
「ロバートさんも帰るんですか?」
「ええ、ゆっくりしたいのですが、何かと忙しい身でして。ちょうどいいのであなた方と一緒に送ってもらおうかと」
あいさつもそこそこに彼は一足先に車の後部座席へと座り、電話を始めてしまった。
水奈と寿美香は顔を見合わせ苦笑する。
寿美香は、車に乗りこもうとしてふと立ち止まり、最後に気になっていたことを市長に聞くことにした。
「そういえば捕まったあの三人組は今どこに?」
「この町に犯罪者を置いておける施設はないからね。先ほど憲兵隊の護送車に乗せてここから追い出したところさ。この地域で一番大きい留置所にお届け中だよ」
「そうですか、なら安心ですね。寿美香もこれですっきりしたね」
「なわけないでしょ。あたしたちを殺そうとした連中よ。あとあのアロハには個人的に恨みがあるの。とびっきり罪を重くしてほしいわ」
「罪って、どんな? あれ、そういえば私たちって事情聴取とか何も受けてないんじゃ……」
「たしかにそうね。このままおさらばはまずいんじゃないかしら……」
いくら田舎であるとはいえ、少し緩すぎないだろうか。
「そこは安心してほしい。君たちが襲われたことは警察には通報しておく。殺人未遂、あとは不法侵入の疑いか。大丈夫。手慣れた感じからみておそらく前科持ちだろう。罪は軽くはならないはずだ。事情聴取など面倒なことは気にしないでくれて構わないから。あと、何よりもだ。君たちはここまで長旅のうえトラブルの連続だったはずだよ。疲れは相当なものだろう。今一番優先すべきことは日本へ帰ることだろう」
危うく市長の取り計らいに気づかないまま終わるところだった。二人は胸にぐっとくるものを感じた。とてもありがたい気遣いだった。
彼の言うように疲れは図星だったのだ。
「何から何まで、すみません。市長の力に頼ってばかりで」
寿美香の中でいましがた世界で二番目になりたい職業が市長に決定したところだ。
「はははっ、私じゃないよ。私にそこまでの力は持っていないからね。お礼ならそこで電話をしている彼に言ったほうがいいかもしれないな」
「え?」
「ほら、ちょうど電話が終わったようだ。ロバート、ありがとう、助かるよ」
彼は携帯を胸ポケットにしまう。
「なに、問題ありませんよ……」
一人車の中に居ることもあって、ロバートが一瞬険しい顔をしたことに誰も気づかなかった。
「それよりも早く行きますよ。いつまでドアを開けてるおつもりでしょう。外気が入ってきて暑いのです。さもないと置いていきますが」
彼の言動はいつも丁寧なのだが、トゲが随所に散りばめられており人を苛つかせるには最適だ。
寿美香は市長に向かってお辞儀をすると、車の後部座席へ乗り込み勢い良くドアを閉めた。
「ロバートさん、ありがとうございます!」
「なんですか、気持ちの悪い」
「意外と優しいところもあるんですねー」
寿美香は怒るどころかお礼を言って会話を始めている。
その様子を外から眺めながら安堵する水奈に市長が歩み寄る。
「寿美香君、成長したね」
「ええ、彼女はすごいですから」
寿美香が褒められると、水奈は自分のことのように嬉しくなった。
「市長さん。本当にお世話になりました。お会いできて良かったです」
「私も会えて良かったよ。お父さんたちによろしくね」
「はい。私もお世話になったこと、帰ったら父に伝えます」
「あれ、カマをかけたつもりだったんだけどな。気づいていたのか」
「はい。カフェでお話を聞いた時に。あはは、びっくりしました」
水奈は苦笑いする。
「君のお父さんも相変わらずだね。昔から変わらない面白いやつさ。突然電話をしてきてね、そっちにまた子供が行くから何かあったらよろしくと。あと、身に危険が及ぶまでは基本ほっといていいから、だとさ。まったく。水奈君も苦労しているね」
「本当です。帰ったら殴ってやろうと思っています」
「あははははっ。ああ、その意気だよ。……実を言うとね、市役所で二人に出会った時、てっきり寿美香くんの方かと思ったんだ。何しろお姉さんとそっくりじゃないか。だから驚いたよ。あの親にしてまさかこんな落ち着いた子が生まれるなんてね」
「そうですよね。私もそう思います」
「ああ、すまない。違うんだ」
水奈が無意識に返した言葉を市長は首を振って強く否定する。
「最初は、さ。ロバートから聞いたんだ。水奈くんはあの危険な場面でも、あの場で誰よりも冷静だったとね。寿美香君だけじゃない。君のことも褒めていたんだよ。いい能力を持っていると」
「そう、だったんですか……」
他人から褒められたことなど今までまったく無かったものだから、どう返して良いのか言葉が出てこない。けれども、悪い気分ではないことだけは分かる。そばにいる寿美香のことばかり焦点に当ててきたから、まさか自分もだなんて思ってもみなかった。
そうか、成長したんだ。
「だから今はね、水奈君が火向井家の子だと言われたらすんなり納得できる。もっと自信を持つべきだよ」
自信など生まれてこのかた持ったことなどなく、意識したこともない。周りにはいつもすごい人しかいないし、持っているのは変わった能力だけ。それを生かしたいとも使いたいとも思ったこともない。それに対して不満も無ければ悲観することもない。どうせ私にはできない、向いていない。頭が良いからこそ先が見えてしまう。否定から始まり、否定で終わる。そんな人生に自信なんていう二文字が出てこないことは明確だった。
ただ、寿美香が現れてから、何かが変わろうとしている。初めて憧れる他人の人生。こんな風になれたらどんなに気持ちが良いだろう。変化を恐れ過ぎていたのかもしれない。変わりたいと思うようになれた。私でもできることはあったのだ。望んでもいい。すぐには無理かもしれない。だけれど、希望は持っていたい。言葉だけでもまずは……。
「はい!」
水奈は自分なりに元気よく返事をした。こんなに暑いのに清々しい顔をしていた。
市長はそこに友人の面影を見た気がした。
水奈はゆっくり一礼すると、車に乗り込んだ。
「おねーちゃーん!」
ドアを閉めようとした瞬間、こちらに向かって叫んでいる子が目に入った。
あの、迷子の少年だった。隣には父親らしき人物もいて頭を下げていた。寿美香は、ホテルの受付で何度か見た覚えがあった。
「昨日はごめんなさい! さっきは僕を見つけてくれて、助けてくれてありがとう!」
寿美香はたまらず水奈のひざの上に乗っかり、窓から身を乗り出して大きく手を振った。
「もうあそこに一人で入るんじゃないわよ! 元気でね!」
「おねーちゃんもお胸大きくなるといいね! ばいばーい!」
寿美香の顔はみるみる赤くなり、彼女はすぐに窓から身を引いてしまった。
車内では、ロバートが親切にも少年の暖かいフランス語の言葉を水奈にリアルタイムで通訳してあげるという余計なことをしていた。
水奈がお腹を抱え笑っている。つられてロバートも吹き出してしまう。
「なんなのよ、もう!」
「「あはははは!」」
市長が指示を出すと運転手が車を出した。
「市長さーん! ありがとうございましたー!」
水奈は窓を全開にすると身を乗り出し手を振る。それに続くようにして寿美香も慌てて窓から顔を出す。
「ありがとうございましたー。また来まーす」
手を振る市長の姿がどんどん小さくなっていく。優しいあの表情を目に焼き付け、二人は名残惜しそうに窓を閉めた。
「さっき市長さんとは何を話してたの?」
「お礼をしてた。あと寿美香のことを二人で褒めていたんだよ」
それを聞き、寿美香は水奈の肩をぺしべしと叩き始める。
「えへへ。調子乗っちゃうからこれ以上やめてよ」
「ずいぶんとご機嫌だね。三人組の件はもういいの?」
「うん。あの時は無我夢中だったけど思い返せばアロハには最後いいお返しができたの。だからまあいいかなって」
寿美香は歯を見せて笑う。どんなお返しだろうと水奈が首をかしげている間にも、車はブドウ畑を横目に都市部へと進んで行く。
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