36.空っぽのお皿

 市長とロバートの話をただただ呆然と聞いている二人の分の紅茶は、すっかり冷めてしまった。


「もう頭が追いつかないんだけど」

「私も頭働かないよ」

「でも一つだけなら分かったわ。あの雑誌の記事に書いてあったことは本当だったってこと。ブドウは常に全員に監視されているって。あと、……ジェレミーさんもそう教えてくれたでしょ」

 ジェレミーさんの名前を言う時だけは小声だった。彼の件だけは市長たちにも秘密だった。

「教会は無理があったのかな。まさか地下をつなげて監視していたなんて思いつかないよね」

「あの時は仕方ないわ。与えられた情報を元に最善のことをしたんだからいいの。それよりもあの記事を書いた人はどうやって木に行き着いたのかってこと」

「記事というのは?」

 市長は二人の会話を聞いていたようで気になる単語に反応した。


 水奈はバックから雑誌『unknown』を取り出すとテーブルの上に置いた。

 市長はパラパラとめくると折れ目の入ったページで手が止まる。

「これをどこで?」

「この町のディスカウントショップです。それ日本語版なんです、なぜか。棚に置いてあったんです」


 しばらくの無言の後、読んでくれないかなと市長の頼みを聞くかたちで水奈は記事を朗読し始める。読み終わると市長は一人で納得する。

「ははは、あの子の記事だな」

「だから言わんことではない」

 ロバートは不満な様子。テーブルの下では杖で地面をコツコツと叩いている。

「まあそう言うなよ。あの子は、あの記者は私の古い友人の娘さんなんだよ。無下にはできないさ。しかもブドウの木の場所は明言しないという約束はちゃんと守っているじゃないか。むしろ安心したくらいだ」

 市長は水奈にお礼を言い雑誌を返す。

「私はつくづく日本人に縁があるらしい。実は今年の春にも日本人の女の子がこの町に一人やって来たんだよ。今話した通り、私の古い友人の娘さんでね。小さい頃会ったきりだったしお互いなんとなくしか覚えてなくてね。それでもあちらが社交的ですぐに打ち解けたのさ。話していくうちにジャーナリストをしていると言うじゃないか。お察しのとおり、彼女もブドウの木の取材目当てだったんだ。私は場所について一切口言しなかったよ。寿美香君とまったく同じ対応をした。それでも彼女はね、困るどころか私の断りに納得した後、一日滞在させて下さいと言ってすぐにその場を去っていった。やけに嬉しそうな顔をしていたな」 

 寿美香は手に汗をかいていており、水奈は全身に汗をかいている。


「そして翌日の夕方だったかなー。市役所で仕事をしていた私の前にひょっこりとまた現れてね。ブドウのことをぜひ記事にさせて欲しいとお願いしてきた。だからそれはやめてくれともう一度お願いした。そしたら彼女、なんて言ったと思う?」


 水奈と寿美香から続きを要求するまなざしを受けながら、市長は残っていた紅茶を一気に飲み干した。


 それは星がきらめくような自信に満ちた人から放たれた台詞だった。


「本来のルートは書きません。安心してください。上手く書きますので!」


 あの時は驚いたなーと蘇る興奮を抑えられないでいる市長に対して、ロバートと寿美香の反応はあまりよろしくないようだ。唯一、水奈だけは驚くような反応をしていた。

「結局、市長さんはブドウの件を記事にすること許しちゃったんですよね」

「ふん、そういうことですか」

 あきれた方ですね、とロバート。

「ああ、そういうことだ。聞けば彼女の担当する雑誌は世界中に発行していると言うじゃないか。そこにこの町が載れば……。あとは分かるかな。そう、定期的な敵の登場は、町の結束力向上に結びつく。そこに期待したわけさ。もちろん、それでブドウを奪われるようなヘマだけはしないがね」

「お二人とも聞いたかな? 私なんかよりも彼はやり手なのですよ。市長にしておくのはもったいないといつも思うくらいに」

「謙遜するな。ロバートは私なんかよりも凄いんだ。そういえば君たちは彼を見て驚かなかったけど。本当に知らないのかい?」

 水奈は頭を横に振り気まずそうにする。

「よしなさい。この子たちはまだ幼い。私のことなぞ知らないさ」

 これはお得意芸。ロバートのさらりと滑らす嫌味は水奈にぐさりと突き刺さる。しかし、寿美香には通じていないらしく、水奈はそれを不思議に思った。


 間もなくしてテーブルががたがたと音を鳴らし始めた。揺れる紅茶の水面。皿の上ではタルトが踊っている。

 寿美香だ。テーブルの上で彼女の腕が小刻みに震えている。ああ、やはり怒ってしまったんだと安心してしまう水奈はもう病院に行くべきなのだろうか。


「たった、……たった一日で。たった一日でブドウの木を見つけたっていうんですか!」

「あっ、ああ、手段は聞いていないけれど。すごい子だったよ。でも、寿美香君みたいな力はなかったかなー」

 市長はさすが察しがよく両者を讃えるが、しかし今度は落ち込んでしまい、実に忙しい喜怒哀楽娘なのだ。


「あんなに苦労したのに。しかも正解のルートまで……。あーあ。一回会ってみたいなその人」

「ジャーナリストを目指すんだろう。ならいずれ会えるさ」

「寿美香の方が美人だし優ってるところだってあるよ」

 水奈もすかさずフォローを入れる。しかし、水を指す男がこの場に居ることを二人は忘れている。


「たしか、昨日市長がわたくしに教えてくれませんでしたかな。記者の子が言っていた、ブドウはどうとか。あれは何でしたかな。ああ、そうだそうだ」


 それは市長が記者の子に雑誌の特集として記事を載せる許可を出した時のこと。

「ありがとうございます! 市長のご希望にも沿えるよういい記事を書きます。それにしても綺麗で幻想的な木でした。ブドウよりもそっちに目がいっちゃいました。あっ、もちろんブドウはもぎ取ってませんよ。だって私には必要ありませんから」


「もうやだ!」


 寿美香は顔を隠すようにしてテーブルに突っ伏した。彼女の中で胸の優劣は勝負の大部分を担っているらしい。全部負けたーと弱音を吐くと身体の力が抜けたようでついに沈黙。タルトの生地の部分は食べ、生地の上のブドウだけ食べずに残しているのは彼女のふて腐れの表れだろうか。


 思えば今まで順風満帆で短いけども充実した人生を送っていた彼女。学校では知らない人はいないほどの有名人。女子たちからは慕われ、男子たちからは恐れられる華やかな存在。東京の大学へ通うため勉強にも熱を入れる成績優秀者。運動と部活は言わずもがな。両親からの期待を除けば、彼女にとって実にスムーズで心地良くて完璧な生活を手に入れていた。あたしにできないことはない。自信を持つことにそれほど時間はかからなかったし、それだけの実力があったからに他ならない。

 しかし、彼女の力が絶大でいられたのは狭い世界での話だったからだ。ブドウの取得失敗。視野の狭い調査。実力が上のジャーナリストの存在。国境を超えた時、問答無用で白紙にさせられる恐怖と喪失感。その事実をこの町で知って、そして直に味わった。自分の小ささとおこがましさが胸につき刺さる。果たして、この広い広い世界で自分ができることとは一体何だろうか。


 あたし、だめだ。自信なんて、もう、ない。


「寿美香君にはその脚力がある。いい武器を持っているんだ。自信を持ちなさい」

「そのとおりです。その活発さを含め寿美香さんもすぐに活躍することができるでしょう。ライバルはたくさんいる。落ち込んでいる暇など無いと思いますがね」

 市長となんとあのロバートまでが寿美香のことを認めてくれていた。それは彼女が顔を上げるには十分な理由だった。


 そうして、皿の上は全部空っぽとなり、お茶会は幕を閉じた。

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