第7章 終わりと始まりの国境線
34.地下の鳴き声
水奈たちが心の整理を終えるまで快く待ち続け、そして落ち着きを取り戻した頃、市長はあらためてお茶会の提案をした。みんなもそれに同意した。
「それでは向かおうか」
寿美香が木の前から動かないでいるのを見兼ねた水奈はそばへ駆け寄る。
「大丈夫?」
「うん。終わっちゃったんだなーと思って」
二人は木を見上げる。
「何言ってるの。ここまで来れただけでも大成功だと思うよ。ここにこうしていることが不思議なくらいだもん。あと、寿美香はこれからなんだから」
「ええ、そうね」
梅雨晴れのようなすっきりとした顔をして、彼女は木から離れると未練だけをそこに残していった。
憲兵隊やあのアロハたちが飛び出してきた、あの反対側の入口から洞窟を後にする。
等間隔に設置されたライトがみんなの足元を照らしている。通路の作りはこちらも同じだった。ただ、分かれ道が異様に多いことを除いては。
最初に出くわしたT字路を通ってから一分も歩かないうちにまたT字路が現れる。さらに進むとまたT字路。やがて十字路が現れる。その先も十字路が続き、しまいには七つの扇状に広がった箒のような分かれ道まで出てくる始末。
「まるで迷路ね」
「うん。こっちから来てたらブドウの木にはたどり着けなかっただろうね」
そこを一切迷うことなく先頭に立って案内する市長は、さすが市長だった。
途中、寿美香がある提案をした。それに了承した市長はすぐに立ち止まり来た道を引き返すと、しばらくのところで右へ曲がった。
水奈も彼女の提案には大賛成だった。
「もうすぐだぞ、諸君」
市長が手を挙げ、そろそろ到着だという合図を送った矢先。
「ん?」
最後尾を歩いていた寿美香が何かに気がつき後ろを振り返る。そして、耳を研ぎ澄ました。
「……ねえ、何か聞こえない?」
寿美香の問いかけに三人も立ち止まり、聞き耳をたてる。
彼女の言う通り、遠くの方で微かに人の声が聞こえるではないか。
「ああ、たしかに」
「向こうの方ですな」
「気になるね」
「ええ、行きましょう」
四人は即決すると、来た道を引き返し始めた。
声だけを頼りに左に右にと曲がっていく。もう市長以外、元の場所に戻ることは不可能だろう。声がだんだんと大きく聞こえて来た。声の主に近づいている証拠である。それに比例するかのように、先頭を行く寿美香の歩くスピードも上がってきた。
「これって……子どもの鳴き声だわ!」
寿美香が突然走り出し、他の三人も後を追った。
寂しい通路に一人、子どもがうずくまっていた。泣きながら自分の足を必死になって引っ張っていた。どうやら地面にできた穴に足がすっぽりと入り抜けなくなってしまったようだ。
状況を把握した寿美香は、もう大丈夫よと声をかけ、子どもの足を掴む。
「足の甲がひっかかってるのかも。つま先どっちに向いてるか聞いて」
水奈もいつのまにか彼女の隣に。寿美香は子どもに優しく問いかける。泣きながらもつま先は上を向いていると答えてくれた。
「うん、ならつま先を下に向けてと言ってあげて。できるだけ足がピンと一直線になるように」
「分かったわ。――――――いいわね? そのままよ。よし、水奈、オッケーよ」
水奈も子どもの足を掴んだ。
「じゃあいくよ。……いち、にの、さんっ!」
二人の掛け声と共に子どもの足が地面から顔を見せてくれた。
小学生ほどの少年は、もう泣くのをやめていた。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。寿美香はたまらず抱きしめる。
「よーしよし、怖かったわね。もう大丈夫よ」
水奈はここで初めて少年の顔を見た。
「あれ、この子、昨日追いかけっこしてた子じゃない!」
そう言われ、寿美香はすぐに少年の両肩を掴むと顔を目の前に引き寄せた。
「いた!」
「君、レッドホテルの息子だろう」
市長は、少年の顔を見るなりどこの家の子か分かったようだ。
少年はこくりと頷いた。
「そこ、あたしたちが泊まってるホテル!」
「いたずら好きでやんちゃとは聞いていたが。どうしてこの地下道にやってきたんだい?」
少年は市長をまじまじと見つめ、涙目を輝かせていた。
「市長さんだー。わーすごーい!」
「寿美香、もしかしてこの子……」
「え、ええ。きっと、そうだわ」
二人はバツの悪い顔をすると、市長に昨日の経緯を話すことにした。
「つまり、昨日寿美香君たちに追いかけられたこの子は、逃げ切れないと分かり、とっさにこの地下道に逃げ込んだと。そして、今の今まで迷子になって泣いていたということだろうな。たまにあるんだ。子どもがここに入り込んで帰れなくなってしまうことがね。きっとご両親も心配してることだろう。捜索願いも出ているかもな。よし、ここを出たらすぐにおうちに帰してあげるからな、ぼうや」
市長に頭を撫でられた少年はとても嬉しそうに頷くと、四人へ太陽のような笑顔を見せた。
「昨日の仕返しはもういいの?」
水奈はわざと意地の悪い質問を寿美香に投げてみる。
「そんなの忘れたわ。迷子になったこと、ちょっとは責任感じてるんだから……」
「そうか、そうか。寿美香もいい子いい子」
水奈は寿美香の頭を撫でようとして、彼女に振り払われる。
「あんたねー! って、待ちなさいよ!」
ロバートはため息をつく。
「トラブルメーカーとはこのことです」
「メーカーか。ふふっ、そこは否定できないな。だが、自分たちで解決してしまうんだ。プラマイゼロさ」
「はははっ、違いない」
それは、ロバートがこの町に来て初めて心の底から見せた笑顔だった。
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