33.未熟の涙
男性の一方的とも思える発言は、寿美香にどのようにつき刺さったのだろう。水奈には分からない。だって自分の気持ちも分からないのだから。まっすぐに道をたどるだけで良かったはずなのに、目的地直前での通行止め。引き返すことも進むこともできない。心が掻き乱されたせいで考えることを放棄したいくらいだった。
寿美香は声を発しようとするが、なぜだろう。どうしても喉元で詰まってしまう。それは自分の溢れ出てくる感情を自分の意識と理性で抑えてしまっている、そんな自分に対する矛盾とも思える行為だった。
洞窟内が再び静まリを見せる。
「おほん」
男性が幕を一旦下ろすかのように咳払いをすると、
「時間稼ぎはこれくらいでよろしいでしょう」
そう言って今までの険悪な雰囲気を払拭するかのように楽しそうに笑ったのだ。
それと同時に、男性の後ろからは大勢の足音が聞こえてきた。規則正しいその足踏みはつい最近どこかで耳にした覚えがあった。
アロハたちが通ってきたあの入口から次々と人が飛び出してくる。集団の先頭を歩くのは、この町のトップである市長だった。表情は固く緊張したように見える。そして市長と同じ歩幅でぴったりと後ろにつく憲兵隊たち。
市長が指で指示を出すと、彼らは迅速にアロハたちを取り囲み、手慣れたように素早く拘束した。
市長は真っ先に寿美香たちに駆け寄り無事で良かったと安堵の表情を浮かべ、そして踵を返しなんと謎の男性と握手を交わしたのだった。
「え、知り合い!」
寿美香は声を張り上げる。驚きもあったが、しかしそれ以上に彼女は納得がいかないのだ。いや、理解したくなかった。
ブドウの様子をチェックしながら会話する二人の紳士を目の前にして寿美香の表情はどんどん暗くなっていく。
「ああ、すまない」
市長は話を区切り、あらためて二人に向き直ると謎の男性の肩に手を置きながら、
「ロバート、こちらが寿美香さん。こちらが水奈さんだ。そしてこの人は私の旧友で」
「ロバート・タナストーンと申します。ご紹介が遅れました」
市長の言葉に割り込む形で、帽子を取り深々とお辞儀をした。
「昨日君たちと別れた後、ずいぶんと探したんだ。あの三人組の情報が私の耳にも届いていてね。もしも君たちが彼らと衝突することになったらとても危険だと思ったんだよ」
「そして私もあの時市役所に偶然居合わせまして。市長と会っていたのですよ」
「そうなんだ。ロバートにも相談して一緒に探してくれることになったんだよ」
「ついでに君たちのブドウ狩りを止めろと頼まれたわけです」
「こらこら、そんな言い方してないだろう」
「あの市役所のちょームカつく女が言ってた、来客中というのは本当だったわけね」
「なるほど。というか寿美香よく覚えてたね。忘れてたよそんなこと」
寿美香はつまらなそうに呟いたが、水奈はそれに唖然としてしまった。まだ許せないのかと。
「君たち、彼にはずいぶんと失礼なことを言われたんじゃないかい?」
「言われました。それはもうずいぶんと!」
「寿美香!」
「だって本当のことですもん」
「はははっ、やはりな。ロバートは昔から意地悪なところがあるからね。申し訳ない」
「市長さんに謝られても困ります。ロバートさんに謝ってもらわないと」
「だそうだよ、ロバートさん」
「そ、そんなことしなくて大丈夫です。私たちに非が無かったわけではないですし」
「いや、いいのです。あなたがたを引き止める役目とはいえ、先ほどは大変に失礼なことを申し上げました。特に寿美香さん。厳しい言葉をかけたのはあなたがジャーナリストを目指していると思ったからです。私はジャーナリストではない。しかし、志には私と近いものがありました。だからでしょうな。つい諭すような物言いになってしまいました。ちなみに、足止めといえ、あれらは私の紛れもない本音でしたが」
「……反論できなかったのは本当ですし。もう大丈夫です」
「良かったな、ロバート」
「ええ。もう一つ本音を言わせてもらえば、寿美香さんには実際にブドウを一粒食べてほしかったですな。そうすればさらに美しくなる」
「やっぱ無理だ! このジジイ言わせておけば!」
「いい流れだからだめだよ抑えて!」
「寿美香さんに謝るんだ!」
再燃するかと思われたバトルは水奈と市長の功労により、何とか鎮火することができた。
「さて。ここで長話もなんだ。市役所に戻ろうか。君たちには昨日出せなかった美味しい紅茶を出そう」
「あの、待って、ください……」
突然、寿美香が三人を引き止めた。
だが何も話し出さない。
すると市長が待機していた憲兵隊たちに合図を送った。彼らは元来た道をアロハたちをつれて戻っていった。
市長は寿美香の何か言いたげな雰囲気を察したらしく対応してくれたのだ。
「さて。これで大丈夫かな?」
寿美香はお礼を言い、しばらく沈黙した後、頭を下げた。
「あの、すみませんでした。……今回は何というか、お騒がせしました。こんな大騒ぎになるなんて思ってなくて。町の人たちに聞き込みしてブドウのこと教えてもらって、ついでに観光とか美味しいご飯食べたりして、ブドウも一人で見つけられると思ってました。理由さえ話せばお土産に一粒くらいなら譲ってくれるかなって。そしたら今回の件を記事にしようって。でも軽い気持ちでここまで来たわけじゃないんです。どうしてもジャーナリストになりたくて。その一心だったんです。でも、……甘かった。そもそも水奈と出会ってなければここにさえたどり着けなかったですし。くやしいけど、くやしいけど、ロバートさんに何も言い返すことができなかった。この町のこと、考えてなかった。市長さんが慌てて駆けつける姿を見た時、私たちのことやブドウのことを心配してて、自分以外を優先してるんだと思って、あたしは何やってるんだろうと気づいて。それに比べてあたしは自分のことしか頭になくて、ブドウを取って記事にした後のこととか町の人たちの気持ちも考えてなかった、から。……ごめんなさい」
そう言い終わると、寿美香はもう一度三人に頭のてっぺんを向けた。
「ごめんなさい」
それに続いたのは、水奈の声。水奈は、ごく自然と彼女の隣に立ち、一緒になって頭を下げた。
「顔を上げなさい。ロバートから聞いたと思う。この町の在り方を。情けない話だが、私たちはこのブドウに頼っている。人同士の繋がりでもあるし町のシンボルとも捉えている。だからこの存在を脅やかす者には冷たい対応を取るだろうし、鎖国的な状況はこれからも変わらないだろう。でもね。町で暮らす者はそれでいいと考えているんだ。この町に生まれたからにはこの町の人たちが代々引き継いできた伝統を何よりも優先したいと思いながら生きている。それって素晴らしいことじゃないかい? 私は少なくともそう思っているんだ。市長だからなどではなく、この町の一人の人間としてね」
市長は優しく撫でるような声で言った。
頭を下げたままの二人。
地面に水滴が落ちた。
水奈はそれが寿美香の目からこぼれたのを見た。肩の震えから必死に泣くことを我慢しようとしてることも分かった。たった数日間だったが、涙の理由はよく理解できた。
こんな姿を見たくはなかったし、させたくもなかった。それは水奈にとって、寿美香がいつの間にか憧れの対象となっていたからだった。だけれど、寿美香の目的が達成してしまった時のことを考えれば、これで良かったのだと納得するしかない。
未熟という二文字が頭に浮かぶ。
どうすれば良かったんだろう。何が最善だったんだろう。出会った時に彼女を説得してすぐに日本へ帰るべきだったのか。いや、それが正しいだなんて到底思えない。もっと私が知識と経験を積んでいれば。こんなことには……。
水奈には、ブドウの木が何だかぼやけて見えた。
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