26.武者震い
「ってててて」
水奈は、背中の痛みで起きてしまった。
横たわった状態で目を開けると、そこは真っ暗闇の中。まだ夜なのだろうか。そうだとしたら月明かりや火の灯り、電気の明かり、何かしら照らすものが見えてもいいだろうに。そこではたと気づく。そうか、私は今黒い布を被っているから暗いのだと。
上半身を起こすと布は滑り落ち、 ひんやりとした空気が顔を擦った。
ここは教会の中。水奈は、教会の内部に隠れて町の人たちが立ち去るまでやり過ごそう という作戦がまさに実行中だったことを思い出した。長椅子と長椅子の間の床で寝そべっていたのだった。
バッグにこんな物が入ってるなんて。我ながら都合が良すぎるような。今まで存在を忘れていたけど。
室内を見回す。他に動くものといえば、ゆらゆら揺れるろうそくの炎だけ。どうやら作戦は成功のようだ。
ステンドグラスがわずかに光っている。月明かりではないことなど寝ぼけている水奈でも判別できた。
「まずい!」
時計の針は五時を過ぎたところ。同じく黒い布で覆われたままのもうひとかたまりを叩き起こす。
「ふあー。……おはよー。床で寝ると背中が痛いわね」
もう一つの黒い布が挨拶してきた。
「あ、おはよう! じゃないー」
バサーッと音を立てて中身を蘇らせる。すると、すぐに寿美香は立ち上がった。
「よっく寝たわ!」
「大変なの! 寝過ごしてもう朝になってる!」
焦る水奈の肩にそっと手が置かれる。
「何慌ててんの。一度寝たら朝まで起きないだろうなーと思ってたわ」
「そ、そうなの?」
「うん! あたしたち疲れてたじゃない。眠って回復したほうが良かったし」
「たしかに。でもほら、もし教会の人が来たら。この後すぐに来るかもしれないよ」
「水奈って本当ネガティヴよね。今この中にはまだ誰もいない。あたしたちだけよ。ね、大丈夫」
寿美香の優しい笑顔。すーっと熱が冷めていく。昨日と比べると教会の空気はふんわりとしていて、実に穏やかだった。
「ふふっ」
水奈はおかしくてつい笑ってしまった。
「あたし何かおかしなこと言った?」
「うーうん。ただ、昨日と真逆だなと思って」
「たしかに」
二人は手を取り合い、笑い合った。
暗い教会内にも朝が訪れたらしい。
二人は、長椅子に座りじっとその時を待つ。念のため、誰かが入って来てもすぐに隠れられるように黒い布を手に持っておく。
時間が進むに連れ、教会の窓からは光が漏れ始め、真っ暗だった教会の天井もだんだんとその輪郭を見せ始めた。その時はもうすぐである。
水奈はゆっくりと目をつむった。なぜだろう、手足が震えていた。夏といえど、教会の中で迎える朝は冷えるのだろうか。
「教会というのはな、水奈、ほとんどのものが東向きに作られているんだぞ」
「へーそうなの。すごーい」
「おいおい、もっと関心を持ってくれよ。で、だ。その理由というのが、イエス・キリストは太陽と同じく東から現れるとされているんだ。教会を訪れた人たちがその方角に向かって礼拝ができるよう、西側に入り口、東側に祭壇が位置するように教会というのは建築されているんだ。あとはそうだな、イギリスなんかだと、聖地エルサレムは東の方角に位置するだろ。だからそこへ向かって礼拝するため、なんてこともあったりするんだ。まあ、地盤の関係だったり、制限のある土地なんかだと難しい話だから絶対ってわけじゃあないんだがな。はっはー、どうだ、勉強になっただろ」
「…………」
「おいー、無視するなよー」
あの時、別に無視してたわけじゃなかったんだよね。本当はお父さんの話が面白いと感じてしまったから。でも、そんな素振り見せたくなくて。ここで関心を持ってしまったら、ますます考古学漬けにされてしまうとも思ったし。大学の入試前で合格率を上げることも避けていた頃だったから、なおさらだったな。
祭壇が一際輝く時。
そう、それはステンドグラスの光によって祭壇がもっとも照らされる時にあたるのだ。このスラブロック教会も祭壇とステンドグラスは東向きに建てられている。スマートフォンのコンパス機能で確認したので間違いない。
そして、建物の方角を考慮すれば、日中は太陽が教会の真上に位置してしまい、逆に光の量は減ってしまうことが分かる。となれば、ステンドグラスが太陽の光を直接受け、かつ祭壇にその透過光が届くことを考えると、それは日の出の時刻が一番条件に当てはまることになる。
現在、五時五十一分。
ステンドグラスには鮮やかな色が蘇り始め、二人の目を釘付けにしていく。昨日も飽きるほど見たはずなのに、また見惚れてしまうのには訳があった。
ステンドグラスは光の当たり方によって様々な面を見せてくれる。光の強さや光が差し込む角度によって透過光は常に変化していくのだ。昨日は寒色系だったステンドグラスが、眩しく神々しい太陽の光を浴びることで、新たに赤や黄色、オレンジ色の暖色系をまとい、透過光を放った。
そして、二人は、目の前の光景に驚き、思わず立ち上がる。
「うわー!」
「すっごいわね!」
それはまさに、スタンディングオベーションをしてしまうほどに。
なんと七色の色が復活したことで、ステンドグラスにある絵が浮かび始めたのだ。それは、ローブを着た聖女らしき人物が椅子に座っている様子が描かれていた。
「こんな仕掛けがあったなんて……」
「あたし、今、感動してる」
ずっと眺めていられる光景だった。
「あれ、もしかして」
水奈がステンドグラスの絵を指さした。
「あの女性が座っている椅子って、これと似てない?」
言われてみると、聖女が座っている椅子は確かに祭壇の隣に置かれていたあの椅子と非常に色と形が似ていた。
「本当だわ」
絵の中の椅子は背もたれを左に向けている。
水奈の中で何かが一つに繋がった。
水奈は無言のまま椅子の前まで歩いていくと、突然、椅子を持ち上げ台座から引っこ抜いてしまった。
「ちょっと! 絶対触るなって書いてあったじゃない!」
寿美香の忠告が耳に入ってないのか、水奈は椅子を回転させ、そしてまた台座に差し込んだ。そうすることで、椅子はちょうどステンドグラスの絵と同じ向きになり、さらには、椅子は台座と水平になった。
すると、教会の中心部からカチャリという音が鳴った。まるでどこかの鍵が開いたかのような分かりやすい音。どうやら教会の天井を支える石柱の一つに変化が起きたらしい。石柱には長方形の溝ができ、そこには隙間が空いていた。
寿美香は呆気にとられ、怪訝な顔をしている。
「寿美香に言ってなかったんだけど。この椅子、台座に足が埋め込まれていて少しだけ傾いて置かれていたんだ。それでステンドグラスに現れた椅子を見てピンときたの。もしかして、この椅子を絵の椅子と同じ向きにすればいいのかなって。そうすれば足の長さと台座の穴の長さがぴったり合うかもって。その仮説が正しければ傾いていた理由も分かるしね」
「そういうこと! それで椅子が水平になってるのね! 台座が鍵穴の役割で椅子が鍵だったと、そういうことかしら!」
「そうなんだろうね」
「ううう……水奈―! 素敵―!」
そう言って、寿美香は水奈を熱く抱きしめた。
石柱の前に立つ二人。
「行きましょ」
「行こう」
一緒に石柱の表面を引っ張る。まるでそこに隠し扉でもあるかのように、二人の表情は興奮し切っていた。
見た目よりも軽く、そして静かにそれは開いてくれた。
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