22.最初からそこにいた

 寿美香は、ジェレミーさんが去り際に放った言葉を意味あるものとして受け取った。だからそのことについて水奈と町に戻りがてら話すことにしたのだ。


「彼は『全員にいつも見張られている』と言ったの。これって『unknown』の記事の内容と被ってるのよね」

 水奈は背後を気にしながらも彼女の声に耳を傾ける。

「ジェレミーさんがそんなことを……。でも別れた後にわざわざ私たちを呼んだくらいだから。ジェレミーさんなりにヒントをくれたのかもしれない。何より、あの人を信じたいよ」

「賛成。なら考えるべきよね。まず、『全員』はそのままの意味で捉えていいと思う。町の人みんなのことを指してる」

「うーん、そうなんだろうけど。でもその後に『いつも』という言葉が続くと途端におかしくなるような気がする。人は町のいたるところにいたものね。カフェや雑貨屋、市役所にも路上にも。彼らがそれぞれの場所からブドウを四六時中見張るって無理だと思うんだよ」

「まーね、そうなのよ。どこからでも見張れる場所にブドウがあるのならこんな苦労はしないのだけれ、ど、……あっ……あーっ!」

 まるでクレッシェンド記号の指示を受けたかのように叫び声をあげ、寿美香は突然立ち止まる。


 すぐ後ろから彼女の叫び声を聞いた水奈は、先ほど見た人影が寿美香を襲ってきたのかと思い、咄嗟に振り向いた。がしかし、周りには誰もいなくて、寿美香一人だけである。

「もー、驚かせないで」

途端に水奈の肩から力が抜け落ちた。


 でもよかった。もし本当に襲われたりでもしたら大変だもの。おそらく私は動けずに何もできないだろうし。


「水奈、水奈、水奈!」

 寿美香はグーにした両手を胸の前でブンブンと振りながら、合わせて体も小刻みに震わせていた。何かを耐えているのか。いや、話したくてうずうずしているのだ。

 水奈が聞くよりも前に耐えきれなくなり、興奮した様子で切り出した。

「答えは、教会よ! きょうかーい!」

ぱんぱかぱーんと片手を高くあげての大発表。その間にも彼女の額には汗がきらりと浮かんでいる。暑さも忘れてこのはしゃぎっぷりは賞賛に値する。


「今度は何? ねえ、もうやめて」

水奈は寿美香のハイテンションについていくことができず、彼女から一歩後ずさる。


「なにってブドウの隠し場所のこと。あそこなら当てはまると思わない?」

だが、寿美香も一歩詰め寄る。

「教会? あー、あの教会のことね! ……うん、……うん、確かに。この町の中心にあるし、高台の上に建てられているから町のどこからでも見ることができる。いや、見張れる、のかな」

「さすが水奈! 理解が早い! そう、ブドウは教会の中にある。だとしたら教会に出入りする人を『見張っている』んじゃないかな?」


 水奈は頷く。

「気になるのが、夜の教会ってどんな感じになってるの?」

「夜はライトアップされて出入口もみえる状態だったはず。初日の夜、ホテルのベランダから見た覚えがあるわ」

「それなら『いつも』見張ることが可能って言えるね。うん、私も教会で間違いないと思います! よく気がついたね」

水奈は手を叩いて寿美香を褒める。

「まっ、まーね、だてに何日もここに滞在しているわけじゃないもの」

 寿美香は照れを隠すかのように水奈の背後に回ると、背中を押して歩くよう促した。


 ブドウ畑の柔らかな土の感触が終わり、踏み慣らされた硬い土の感触へと戻った。二人は町へと続く街道に出たのだ。辺りには誰もいないようだ。


 次の目的地もはっきりした。


 今の天気に負けないくらい晴れやかな気持ちで町に戻る途中、人と出会う。ゆったりとした速度で町の方から歩いてくるご年配の女性が一名。手提げの買い物かごを肩にかけ、日傘をさしていた。すれ違いざま、水奈は無視される覚悟で会釈をしようとしたのだが、意外にもむこうから先にあいさつをしてきた。

「あっ、とっ、ボンジュール」

水奈が慌てて頭を下げてあいさつをし返すと、女性は笑顔で会釈して通り過ぎていった。

 ぎこちのないあいさつをしてしまったと少し後悔する。しかしそれでも水奈は嬉しそうにしていた。


 だから、黙ったまま歩き続ける対照的な寿美香に声をかけてみる。

「寿美香、あの人あいさつしてくれたよ! ジェレミーさん以外にもああいう人がいるんだね」


 せっかく同意を求めたのに返事がなかった。が、間もなくしてそっけのない言葉が返ってきた。

「……そんなことよりも、もっと大事なことがあるでしょ」

「え?」

 寿美香は自分の深刻な顔を水奈にぐいっと近づける。

「えっと、やっぱり胸、大きかったよね」

水奈はとりあえず気がついたことを言ってみる。

「ちがうでしょ。って、ちがわないけどさ。そこじゃなくて。あの人の顔をどこかで見たことない?」


 そう言われて必死に首をかしげるが、水奈はどうしても思い出せない。確実に今回が初対面のはずである。戸惑う水奈に寿美香は痺れを切らしたのか、今度は怒った顔をし始めた。そんなことでいちいちキレないでほしいと、どれだけあなたは短気なのですかと言いたくなった水奈は、けれども大人なのでやはりおとなしく黙っていることにした。


「あたしは忘れもしないわ。市役所のあの女よ!」

ほっぺたを膨らませ、ずんずんと先に歩いて行ってしまう。


 水奈は思わず立ち止まる。


 そうか。寿美香とやりあった市役所の受付の女性だ。あの人とさっきのおばあさんがとても似ているんだ。歳は違うけれど面影があるのがなんとなく分かる気がする。


 そういえば笑った時の目元なんてそっくりだったと一人納得していると、既に寿美香との距離が百メートルほど離れてしまったことに気がつき、小走りで追いかける。


 暑さなんて何のその、大股で歩く寿美香からは不機嫌さが嫌というほど伝わってくる。水奈は頑張って追いつくと、彼女の歩調に合わせ隣に並んだ。


「あんな偶然ってある? せっかく忘れようと努力していたのに」

寿美香は口をとがらせ、独り言のようにつぶやいた。 

「さっきすれ違った人はもしかすると受付の女性のおばあちゃんかもしれないね」

「そんなのどっちだっていいわよ」

「よくない」


 水奈が人の意見に反発をするなんて珍しかったから寿美香は目を丸くした。

「重要なことだと思うんだけどな。あの二人が家族だったとしたら、なぜ受付の女性は貧乳なのかって不思議に思わなかった?」


 寿美香は水奈を軽く睨みつける。ブドウを見つけるためには何だってする覚悟はあるが、しかしこれ以上あの女の話をしていたくはないのだ。かといって、昨日から二人が放置していた疑問なだけあり気になって無視することもできない。仕方なく考えることにしたが、自然と眉間にはしわが寄ってしまう。


「若いからまだブドウの順番が回ってこないのよ」

投げやりにそう言い放つ。


「町で小学生くらいの女の子たちを何人も見たでしょう。みんな大きかったよ。だから寿美香の言うルールは当てはまらないと思うな」

水奈の指摘が異様に早い。

「なんで差があるんだろうね」


 水奈はもう一度問う。ゆっくりとしていてかつ明るく勿体つけるかのような口調で。そして、寿美香に何かを期待しているかのように。まるで答えを導こうとしているかのような言い方だった。

 負けず嫌いの寿美香を焚きつけるにはそれだけで十分だった。歩く速度を緩め、今度は真剣に考えてみる。


「彼女は、彼女は、そう、最近になってこの町に来たからよ。絶対にそう! だってあいつ言ってたもの。この町に来て一年って。でしょ? ねっ?」

 期待して隣にいる水奈を見た。


 すると水奈はすぐに頷いてくれた。

「やっばね、やっぱね。だと思ったの」

そのわりにはなんだか嬉しそうである。

「その可能性が高いよね。ブドウは一年に一回しか成らないし収穫数も少ないってことだから、町の人全員には一度では行き渡らない。ここに来て間もない人にはまだ食べることができない。そう思うんだ」

水奈がそう説明すると、寿美香はますます笑みをこぼした。

「なら、あいつとあたしはまだ対等の立場にあるってことね。あたしのほうが先に巨乳になってみせるわ! 貧乳受付嬢には負けない!」

 町の近くまで帰ってきたものだから、周りには既に人がちらほらいるではないか。にもかかわらず、ぐっと拳を握りしめながら高らかにそう宣言した彼女。日本語が伝わらないことを良いことに躊躇しない。


 寿美香のご機嫌が上向きになったところで、町の門が二人の手の届くところまで迫ってきていた。

 水奈は、寿美香をなだめるという自身にかせた課題をクリアしたことに安堵した。一息入れるため、バッグの中から既にぬるくなってしまったペットボトルの水を取り出し一口飲んだ。喉の渇きを潤すにはそれで十分だった。水分補給をこまめに取らないと今日の調査は続かない。そんな危機感を抱かせるだけの暑さが容赦なく彼女らの肌を焼いていく。

 これからまだまだ気温は上がっていくことだろう。それに比例するかのように、太陽のまぶしさもどんどん増していっている。

 水奈は浮かれ気味の寿美香に水分を取るよう促した。


 門をくぐり抜けると、緑一色の世界からまた灰色とベージュ色の世界へと戻ってきた。町の人たちの反応はあいかわらず同じで、異国人に対して身構えるわけでもなければ避けるわけでもない。ただ色のない目で日本人を見つめるだけだった。


 しかし、変化したこともあった。

 それは水奈と寿美香、二人の心境だった。町の人たちから受ける視線をまるで気にしなくなっていたのだ。今朝怯えていた水奈でさえ今は平気な顔をして歩いている。


 ジェレミーさんのおかげだった。彼に励まされ、心配され、応援された。彼の思いやりが二人にふたたびのやる気とそして勇気を与えたようだ。敵だらけの暗い城の中を二人だけで進まなければいけない状況。そんな中で偶然出会うことができた一人の協力者。その存在がいてくれるおかげで今は臆さずにいることができる。一人味方が増えることでどれだけそれが心強いことかを身を持って知った。


 二人は、そのことについてあえて話題には出さなかった。お互いでそのことは当然分かっていると思ったし、口に出すのは野暮だとも思ったからだ。


 二人が見つめるのはただ一点のみ。


 それは町の端となるこの門からでもはっきりと姿を拝むことができた。


 そう、町のどこにいたって姿を露わにするあの建物だった。

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