第4章 博物館に誘われて
17.館長とムカつく男
「おっと、ここね」
着いた先は、白い四角形の建物の前。シンプルかつ平凡で、それはまるで民家のような佇まい。二人は危く通り過ぎてしまうところだった。
「随分と狭い感じだね。これ博物館だよね」
「ええ、多分。期待できるのかしら……」
看板にはしっかりと『セント・エビリオン博物館』と刻まれているのでここが目的地で間違いないはずだ。看板が若干傾いているのを二人はあえて見なかったことにし、さっさと扉をくぐることにしたのだ。
木製扉のガラス越しから中の様子を覗いてみるが、ガラスが汚れて曇っているためそれは叶わなかった。扉に手をかけると、油の切れた軋む音が鳴った。歩けば木の床からはぎしぎしと悲鳴が聞こえてきた。天井の隅には蜘蛛の巣が張られ、ランプの弱い光に照らされていた。
実に違和感があった。外見は確かにボロボロだ。しかし、二人にとってはここが何故だか快適に感じてしまうのだ。
「奥が広がってる」
寿美香の言うとおり、表から見たのはただの玄関部分だけだったのだ。この博物館は、入口の幅が狭いだけであって、奥は縦にも横にも広かった。左右に隣接している建物の後ろにも博物館は広がっていたのだ。
玄関から入り真正面にある大広間には、たくさんの展示物が飾られていた。土器や石器、石像、貴金属、大砲からこの町のミニチュアまで。それは、この町の歴史が一堂に集まっている光景であった。
しかし、人が見当たらない。
「すみませーん、誰かいませんかー? 出てこないなら入場料払いませんよー」
…………。
寿美香の挑発に対し、返事はない。
「もー。ほんと払わないからね」
水奈は、展示物の一つである古書コーナーに目を向けていた。年月を経て変色した本たちがガラスケースの中で開かれた状態で飾られていた。文章だけのものもあるし、絵が描かれているものもあった。その一つにブドウの絵があったので足を止める。暗闇の中にブドウの木が描かれているだけのシンプルな白黒の絵。もう片方のページには文字が書かれていた。水奈はその中で『1310』という数字を見つけ、おそらく年号のことを指しているのだろうと理解した。それ以外はフランス語で書かれていたため読むのを断念する。しかし、寿美香なら読めそうだ。
彼女はというと、大広間の中央に展示された町のミニチュアに魅入っているところだった。
ミニチュアの手前には『セント・エビリオンの全体像1586』と書かれたプレートが置いてあった。
まず目に入るのがブドウ畑だった。それは展示の端をほぼ埋め尽くしている。作る側からしたらきっと楽だったに違いない。そして、ブドウ畑の先には城壁とも思えてしまうほどの強固な囲いが立ちはだかっていた。決して狭くない町の周りを一周していた。現在よりも厚みがあり、日が当たらないのではと心配してしまうくらいさらに高くなっていた。まるで町を覆い隠しているかのようだった。
目を見張りつつ、門をくぐり、町の中へと目線を移していく。相変わらず坂が多く、その頂上には教会が今と姿同じくして町の中心にそびえ立っている。家屋も暖色系の屋根で統一されひしめき合っている。内部に関しては、現在と同じ光景だった。一つを除いては。
「なんで町の中なんかに……」
「町の中にも城壁が建てられてたんだ」
いつのまにか隣には水奈がいて、このミニチュアを一緒になって眺めていたらしい。
セント・エビリオンの外壁よりも半分ほどの高さはあるだろうか。同じ造りの城壁が町の中心である教会から外壁に向かって伸びていた。ホールケーキやピザを八等分にカットしたかのようだ。
「寿美香が教えてくれた、セント・エビリオンは八つの町の集合体って、これが起源なのかもよ」
「ああ、たしかに。自分で言っておいて忘れていたわ。でも、ここまで区切る必要あったのかしら。セント・エビリオンは合併後の名前だけど、すでにこの時代にも存在していたはずだし」
外壁はちゃんと生きているにも関わらず、町を区切るだけのために、果たしてこんな頑丈な壁が必要だったのだろうか。これではまるで分けるというよりも分断である。
なぜこのような形になったのか知りたくても説明書きや説明してくれる人も見当たらない。二人は大人しく他の展示物の鑑賞へと戻ることにした。
そういえばと、水奈は先ほど見かけたブドウが挿絵になっていた本の前まで寿美香を連れて行った。彼女は任せなさいと、腰をかがめながら本をじっと睨み、日本語訳を始めた。
『確信があった。できることはただ歩みを進めることだけだ。多くの者たちが協力をしてくれた。怪我人はしょっちゅうだった。残念ながら亡くなった者もいた。だからこそ成功させなくてはならなかった。この町は、戦争に加わる暇などなかったのだ。
1310年。とうとう我々はやり遂げた。多大な犠牲を払いながらも、わずかな希望にすがりつき、這いつくばってきた成果だ。町中が歓喜に沸いた。男女子供、皆が肩を抱き合い、喜びを分かち合い、三日三晩、成功を祝った。
しかし、喜んでばかりもいられなかった。今は国中で紛争が起こっている。いつ何時この場所も他の戦火に包まれてしまった町同様、攻められ落とされたとしてもおかしくないのだ。今、我々が一番恐れているのは、この町の成功を台無しにされること、それだけだ。何としてもこの』
寿美香の言葉が止んだ。どうやら続きの文章は次のページに書かれているらしい。
寿美香が静かに足をあげた。
水奈は瞬時に意図を汲み、彼女の太ももを手で抑える。
「サイレン鳴るような機能無いわよ」
「だめ!」
水奈の優しい目が今は真っ赤に燃えている。
水奈の凄みに負け、大人しく寿美香は足を地に置いた。
謙虚な水奈がなぜ珍しく譲らず、自分の意見を押し通すのか。非人道的な面を許さないことももちろんある。ただ、他にも理由があった。
博物館や美術館は、英知が集まる神聖な場所。展示されているアーティファクトの数々。それらは、長い年月をかけ、多くの者たちで収集したものだ。そして、そのアーティファクトは、過去の人類の生きた証である。いったい、何人の人間が関わることで完成した展示品なのだろうか。博物館や美術館は、過去と現在の人々の力の結集であり、途方もない知識の宝庫である。
どうしようもない父親から幼い頃より聞かされていた言葉だ。考古学に興味が無い水奈でも、理解していた数少ないことだった。だから、たとえガラスケースだとしても、傷つけてはならない。それも展示品を守る大事な博物館のパーツなのだから。
寿美香は自らの焦る気持ちを抑えつつ、ならここの館長にお願いしましょうと提案をした。水奈は笑顔でそれに同意した。
館内図を見る限り、この大広間の他には、ここから階段を上った先にある二階の小展示室。それと、大広間のさらに奥に続いている特別展示室のみだった。
そして、大広間からでも二階は覗けるため、小展示室は無人であることが判別できた。
残るは、特別展示室。博物館の中でも特に貴重なコレクションたち。化石や宝石、絵画がほど良く間隔を空けながら飾られている。中は暗く、足元がぎりぎり見える程度だった。天井のうっすらと点灯する照明はどうやら意図的なものらしく、展示品にだけ明るめの照明を浴びせていた。そうすることで展示品をより際立たせるための演出なのだろう。現に、展示品だけが目立つし、鑑賞に集中できる環境にもなっていた。
水奈は、壁にかけてある温湿度計に目をやった。温度20℃、湿度52%を示していた。博物館、美術館の適正は、温度は20±2℃、湿度は50±5%、と聞いたことがある。だから居心地良く感じたのかと気づく。ここがオンボロなど、とんでもない。規模は小さいながらも、しっかりと基本は抑えられていた。
特別展示室もゆっくりと見て回りたいのはやまやまだったが、二人の関心はその先へ。
さらに奥へと続く扉が半開きになっていた。その隙間から人の声が微かに聴こえる。
恐れることはない。自分たちは館長を探しているだけなのだから。そう必死に唱える水奈は、なぜだか寿美香の背に隠れてしまう。
「離れなさいよ」
「フランス語分からないので」
「いやいや、まだ面と向かってもいないでしょうが」
お叱りを受けてもなおくっついて離れない水奈の頭を邪険にするように鷲掴みにしながら、必死に聞き耳を立てる。どうやらそれは会話らしく、別々の声のようだ。
「ですから、何度も――――の在り処な――――ませんよ」
「――知りませんよ。このまま隠し――りなら、こ――――館への資金を断ち、そして、あなたの――――いう立場も危うく――――をお忘れなく。ではまた」
寿美香がまずいと思った時にはすでに遅く、半開きだった扉が乱暴な音を立てて開かれた。中から出てきたのはネイビー色のスーツを着た男。スーツにはシワひとつなく、ワイシャツの襟はアイロンで仕立てたばかりのようにパリッとしていた。神経質そうなその男は、少し驚いた表情を見せた。固まったままの二人を訝しげに観察した後、作り笑いを浮かべる。
「観光、ですか?」
英語で話しかけてきた。
「ええ、そうですけど」
「なるほど。……この町での滞在はほどほどになさったほうが良いかもしれません」
寿美香が拳を握る。
「なぜですか?」
「観光にはとても不向きですから。それでは」
いつものように、寿美香が憤慨し、水奈がそれをなだめる。そんな二人のやり取りに素知らぬふりをして男は颯爽と立ち去る。
「忠告はしましたから」
独り言のように呟き、町の中へと消えていった。
「どうして、ここには、ムカつくやつ、ばっかりなのよ!」
寿美香が地団駄踏んでいるので、水奈は一人奥の部屋へと希望を求め進むことにした。彼女をこれ以上怒らせるわけにはいかないのだ。
開けっ放しの扉から奥の部屋を覗いてみる。椅子やらテーブルが置いてある。展示室とは違うようだ。中へ入り、部屋の奥にある椅子に男性が座っていることに気がつく。机の上でうなだれているようで、頭を抱えていた。先ほど出て行った男が原因なのだろうか。そういえば、あの男の胸元につけていたバッジは、どこかで見た覚えがあるなと思った。しかし、思い出せないので、とりあえず寿美香を呼んでくることにした。
「この国、きらい」
怒りは収まり、そして次は悲しんでいた。寿美香は、メンタルが強くても繊細なのだ。可愛いところあるね、と言ったら逆戻りになるので、水奈は我慢する。彼女の手を優しく引き、事情を説明した。
「あなたたちもですか。はあー」
寿美香が落ち込む男性に話しかけると、その男性は久しぶりの来館者に喜んでくれた。この博物館の館長らしく、この町にしては珍しく英語も話せるみたいだ。だが、寿美香がブドウの話を切り出した途端、また頭を悩ませてしまったようだ。
「何度も言っておりますが、そんな噂のブドウなどありはしませんよ」
「いやいや、聞いたの初めてですけど」
ねえ、と水奈に振るも、水奈だって困り顔。水奈は場の雰囲気を変えようと一人言葉を探している。
「か、館長さんは、えーと、ここの博物館はもうけっこう長く勤められてるんですか?」
水奈が救いの手を出す。
顔を両手で覆い隠していた館長は、突如机を叩いて立ち上がり、目を輝かせた。
「それはもう長く! 考古学者になる前からの付き合いですから。この町の歴史を知りたいんですか? 良いでしょう。この町の誕生はですね、パリのノートルダム大聖堂建築開始と同じ年の1163年でした。もともとこの地区には八つの村がありまして、環境と土壌がワインの醸造に適していたことから、訪れた旅人たちからワインが美味しいと以前から評判だったんです。そして、この土地で作られたワインの品質を守ろうと自治組織が中心となり動き出したのです」
いつのまにか寿美香が木の椅子を二つ持って来ていて、水奈にも座るよう促した。
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