16.普通じゃない

 水奈と寿美香が出会ってから初めての朝がやってきた。夏といえども朝は涼しく昼とは打って変わる快適さである。


 先に目が覚めたのは水奈だった。寿美香の安らかな寝顔を流し見て、静かにベッドから起き上がる。時計の針は六時を指している。

 昨日とはまったく違う目覚め方に嬉しくなる水奈。昨日が異常だったのだと改めて気づかされる。ベンチの硬さで背中が痛むようなことがないのが一番嬉しいのだった。


 優しい足音を響かせながら室内を歩き、ベランダの窓をそっと開けた。今日も実に晴れ渡った空をしている。雲はあれどはるか高く、夏の季節にぴったりの入道雲が遠くに浮かんでいた。新鮮な空気を十分取り入れたら次は食べ物を取り入れたくなってしまった。

 はたしてこのホテルは朝食付きなのだろうか。ふと期待の疑問が湧いたが仕方がない、寿美香が起きるのを待つことにした。


 口寂しさにキッチンでコーヒーをいれる。窓のそばに置いてあった椅子に腰かけゆっくりとコーヒーを味わう。


 静けさの中で、一人水奈は家のことを考え始めた。

 私をここに連れてきたのは父親のしわざに間違いない。あの人ならやりかねないだろう。水奈はそう確信していた。なぜなら父親の行動力は寿美香以上なのだから。

 置き去りの理由は明白だった。水奈の父は、水奈に一人旅をさせたがっていた。断られたので強硬手段に出たのだろう。母親も悪のりすることがあるため、今回も父親に協力したに違いない。

 ただ、なぜこの町に連れてきたのだろうか。この町を選んだ理由とは何か。どうしてこの町でなければいけなかったのか。あの晩、水奈は父親との話し合いを逃げるように中断してしまったために、どこに行くのかまでは父親に聞かないまま終わってしまっていたから。適当に選んだとは思えず、考古学バカが考えた旅行プランなのだ、何かしらの意図があるのだろう。


 水奈はふと思い立って再びベランダへと足を運んだ。五階からの景色は、昨日の区役所から見た眺めには劣るもののそれなりに町の輪郭が見て取れた。もしかしたら父親も実はこの町に滞在していて隠れながら私のことを観察しているのではなかろうか。そう水奈は思ったのだ。


 しかし、すぐにあきらめた。たとえ父親が居たとしても見つけることは困難極まりない。ばれる距離からはきっと観察していないだろうし、何よりいくらでも隠れる場所がありそうなこの広い町の中が舞台となっては見つけることなど到底不可能である。

 おそらく水奈のことが心配で見守っているわけではない。むしろこれから水奈がどういう行動を取るのかをわくわくしながら観察しているのだ。水奈にはそう思えて仕方がなかった。

 寿美香にも散々笑われた。水奈の家庭が普通ではないということ。彼女に言われるまでもなく、水奈も以前から自覚はしていた。


 あれは水奈が小学生の時、自分の誕生日パーティーを開くということでクラスの友達を自宅に呼んだことがあった。たくさんのケーキとお菓子が用意され、プレゼントも貰いクラッカーもみんなで鳴らしてくれた。水奈の両親がはりきって催したものであり、パーティー自体はごくごく一般的なもので無事に楽しく終わった。ただ、一点だけ変わったところがあった。それはパーティーの会場そのものだった。水奈の自宅にはそこらじゅうに考古学に関わる物が置かれていた。居間はもちろんのこと玄関や廊下、階段にトイレにまで、である。当然水奈の子ども部屋も例外ではなかった。本人がそれを望んでいたかは別として……。

 何かの儀式に使われていた木彫の銅像や仮面、古代の人々の様子が描かれた石版、やたらとでかい音を響かせている巨大振り子時計など、それらは家の至る所に飾られていた。普段見慣れないフォルムに水奈のクラスメイトたちは気味悪がった。その事実をパーティーの翌日に水奈は知った。からかわれたりすることはなかったものの、水奈のうちって変わってるね、そうみんなから言われた。

 ずっと当たり前のことだと思っていたものを同年代の友達から否定される。それは幼い水奈にとってショックを受けるには十分な出来事であった。以来、友達を自宅に呼ぶことをしなくなった。子供心ながら恥ずかしかったから。

 ああ、うちって普通じゃないんだな、と。


 苦い思い出がよみがえってしまった。コーヒーがやけに甘く感じる。

 水奈は両親のことが好きではあるが普通の家庭に生まれていたらどうだったんだろうと時たま想像することがあるのだ。もし考古学に無縁の両親をもっていたとしたら。少なくともフランスの田舎町に置き去りにされるなんていうこんな貴重な経験はできなかったはずである。

 父親への復讐を含め早く日本に帰りたい気持ちは変わらない。けれど寿美香をこのまま放ってもおけない。困っている人がいたら助けたい。そんな思いやりの心を持っているのが水奈だった。

 何よりも寿美香は水奈を救ってくれたから。ならば自分も返さないといけないと。

 そういった意味では、真逆の性格の二人である水奈と寿美香、似ているところもあるのかもしれなかった。


「う、んー」

 寿美香も起きたようだ。横になったまま伸びをしている。

「寿美香、おはよう」

 起き上がってふらふらと歩き出し、水奈の対面へと座る。

「おはよ」

 寿美香の頭のてっぺんにはお米の苗みたいな寝癖がついていた。

「水奈と一緒に寝たからもうぐっすり。快適だったなー。水奈って実にやわらかくてさ」

寿美香がにんまりしながら言う。

「どうりで寝ている間何だか息苦しかったはずだよ。もう、人を抱きまくらにしないでください」

「あらっ、同じベッドで寝たんだしそれくらい許して。何なら今度はあたしが交代してもいいわよ」

「それはちょっと」

「つれないなー。それにしてもお腹すいたわ。朝ごはん食べない? この時間ならホテルが用意してくれてるから。食堂に行きましょう」

 寿美香の嬉しい提案に即座に賛成し、水奈は早速普段着に着替えることにした。

 朝食を食べた後は、そのまま外へ出ることに決めたので同時に出かける準備もする。私の方は特段持ち物は無いなと思った水奈だったが、茶色のリュックが置いてあることに気がついた。昨日は一日中背負っていたせいで身体の一部となり、すっかりその存在を忘れていた。ベンチに寝かされていた時に一緒に置いてあった皮のリュック。水奈の父親が置いたものだろうが、役に立ちそうな物は入っていなかったはずである。少し迷ったものの、何かを買ったり拾ったりした物を入れられるだろうということで背負っていくことにした。


 早速二人が一階の食堂へ行ってみると、そこにはホテルの従業員が朝食の準備をしていた。朝食のメニューは、キッシュがメインだった。キノコのキッシュ、ほうれん草のキッシュ、ベーコンのキッシュ、コーンのキッシュ。それらがケーキのようにホールの形で長テーブルに並べられていた。食べやすくあらかじめカットもされていた。

 寿美香は自分のトレイにキッシュとホットコーヒーを載せて先にテーブルへとつく。どうやらビュッフェ形式の朝食らしい。

 水奈も席に座ったところで二人でいただきますをし、早速キッシュを頬張った。外はサクサク、中はふわふわの食感、玉子のほのかな甘みと中に入っているそれぞれの具材の塩気がちょうど良い具合に合うのだ。フランスの代表的な食べ物であるキッシュは水奈にもずいぶんと好評だった。

 二人は今日も体力を使うだろうと予想し、気持ち多めに朝食を取った。


「いざっ!」

寿美香が元気良く表に飛び出す。

 直射日光とその日光によって熱を蓄えた地面とが一瞬にして彼女のやる気を削ぐ。

「暑い~。あれ、何してんの。出てきなさいよ」

 寿美香の全身が光に包まれているのを目の当たりにし、水奈は表に出るのを躊躇する。ホテルの玄関口で立ち往生していた。

「だって、まだ目的も決まっていないのに無闇に歩きたくないし」

「何言ってんのよ。もう決まってるわよ。当ては二つ。近い方から攻めるつもりよ」

水奈の目が見開いた。

「驚かないの。あたしだって考え無しでいつも動いているわけじゃないんだからね。昨日の夜、考古学について水奈から話を聞いたじゃない。それで思い出したのよね。この町にもひとつだけ博物館があることを。この町の歴史が展示されているとしたら、ブドウのヒントが得られるんじゃないかと思ったのよね」

「なるほどー。博物館がこの町にあることにも驚きだよ。それで、あともう一つって?」

寿美香は髪をかき上げる。

「昨日さんざん町を歩いて分かったの。昨日あれだけ町の中を歩いて、一本でもブドウの木を見かけた?」

「確かに見かけなかったよ。ブドウの栽培はすべて町の周りでやってるもの」

「そうそう。町の中が駄目なら今度は町の外を調べようってわけよ」

「だけどブドウ畑はかなり広いよ。二人でくまなく探すのはとてもじゃないけど何日かかるか」

「最悪それも考えてはいるけどね。それは最後の最後の手段。あたしは嫌だな。それよりも水奈。昨日聞かせてくれたじゃない。目が覚めた時に親切にしてくれたっていうブドウ農家のおじいさんのこと!」


そう言われ、すぐに昨日の出来事を思い出した水奈。忘れるはずもない。両手いっぱいのブドウをくれた優しいおじいさんの顔がすぐに思い浮かんだ。しかし、だからこそ、またお世話になることになんとなく気が引けてしまう。

「また迷惑をかけるのは……」

「何言ってんの。おじいさんもまた会いに来てくれたら嬉しがるに決まってるよ。お礼も兼ねて」

「そうかな。また来たって思われない? 今度は騒がしいお友達まで連れて来たって思われない?」

 突然腕を前に引っ張られたため、水奈もお日様の下へとやって来た。誰の仕業かなんて一人しかいなかった。


「いいから行くわよ」

 寿美香は笑みを浮かべている。

「はい」

 水奈は恐いと思ったので素直に従うことにした。


 寿美香はどちらかと言えば短気であり、そしてどちらかと言えば冗談が通じないタイプである。ようは危ない人だ。

 そのことに比較的早く気づけたにもかかわらず、いちいち寿美香を挑発してしまう水奈もどうやらただの大人しい人ではないようだ。


「うわっ、暑い、暑いよ、寿美香!」

 眩しすぎて思わず目を細めてしまうほどの陽射しである。

「分かった、分かったから言葉に出すのはもうやめましょ。余計に暑くなるじゃない」

「あっ寿美香、今自分で暑いって言った!」

「そこはノーカンでしょうが!」

「えー、ずるい」


 二人は炎天下の中を歩み始めた。

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