10.最低な作戦

 市役所へ向かうために坂道を下っている最中、水奈は寿美香に前もって作戦を伝えることにした。


「正面からは侵入しないよ。市役所のパンフレットを見て分かったんだけど、市役所の裏側って一階がテラス兼カフェになっているみたいなんだ。そっちの方が開放的みたいだし正面から突っ込むよりもずっといいはず」

「そっか。入口から入るとどうしてもあの受付を通ることになるもんね」

「うん、だから今から向かうのは市役所の裏側。警戒しながらぐるっと回っていこう」


 二人は市役所の入口を遠目に、反時計回りで迂回することにした。市役所の周りにもカフェをはじめ多くのお店がずらりと並んでいる。もちろん、たくさんの人とすれ違うことにはなったのだが、二人を見て捕まえようなどとする者は誰一人としていなかった。心配は杞憂に終わった。


 その後、何の問題も無く市役所の裏側に到着した二人は、木の陰へと隠れる。


 正面からはまったく分からなかったが、市役所の裏側は一階から最上階である六階までのすべての壁がガラスでできていた。内部が丸見えである。職員が書類を持って廊下を歩いているのが見えた。そして、水奈の言った通り一階部分はテラスとなっていて、カフェのパラソルや椅子が複数置かれていた。しかし、今は誰もいない。

 裏側にもやはり憲兵隊は配置されていて、正面よりも人数は少なく、その数わずか五名。


「今からやろうとしている作戦は、私たちが市役所に侵入したことを憲兵隊にばれること前提で考えてるんだ。だから侵入したら一刻も早く市長のもとへ急いでたどり着かないといけない。ただこれだけは覚えておいて。私が市長に一目でも会えることさえできれば、こっちの勝ちだからね」

「市長には力づくで聞くわけね。わー、水奈も案外大胆!」

「もー、そんなことしないよ。暴力は振るわないの。もっと安全な方法を取るから」

 結局、水奈はその安全な方法とやらの詳細を話しはしなかった。気にはなった寿美香だが、それよりも自分の役割をまっとうしようと決めた。

「最後に確認なんだけど。寿美香は足速いんだよね」

「ええ、足には自信あるの。見ててよね」

「分かった。頼りにしてるね」


 この後にどんな面白い作戦が始まるのか楽しみにしている寿美香は、どうにも落ち着かない。その場で準備運動を始めていた。陸上部に所属している彼女にとって、スピードを求められる作戦には俄然燃えるようだ。


「お金が無くて困っています、ってフランス語で何て言うのかな?」

 水奈は唐突にそんな質問を寿美香へと投げかけた。

 予想もしていなかったその言葉に、アキレス腱を伸ばしていた寿美香はそのまま固まる。

「えっ、フランス語で? えっと。J’étais sans argent, sont en difficulté. 、かな」


 教えてもらったその言葉をその場で何度も反復する水奈。もちろん一つ一つの単語の意味など分からないので、音と雰囲気で覚える。


 それも僅かの時間で終わった。


「うん、覚えた。ありがとう。行ってくるね」

そう言って水奈は市役所へと歩き出した。


「……って、ちょっ、水奈見つかっちゃうわよ!」

 寿美香が止めるのも遅く、すでに憲兵隊の一人が水奈の存在に気づいてしまった。あろうことか水奈は自らその憲兵隊に話しかけに行ったのだ。自殺行為としか思えないその行動を寿美香は黙って見守るしかなく、引き止めようと思わず飛び出したは良いものの、その場で棒立ちとなる。


 しかし、水奈が憲兵隊に取り押さえられたり連行されることはなかった。


 狙いはあたしだけかい、と寿美香はぼやく。フランス語の分からない水奈がどうやって会話をするのか疑問に思いながらも寿美香はとりあえず様子を伺うことにした。


 水奈は憲兵隊の一人と話し始めた。どうやらジェスチャーで会話を試みているようだ。手を動かし懸命に何かを訴えている水奈の様子を見ながら、寿美香は水奈の作戦が成功するよう願う。


 突然、水奈の相手をしていた憲兵隊が周りにいる他の憲兵隊たちを手招きし呼び出した。駆けつけた彼らに水奈が囲まれてしまった。

「失敗?」

 寿美香は水奈が連行されてもすぐ助けにいけるように彼らとの距離を少しずつ縮め始める。屈強な男たち五人が相手だとしても水奈を逃がす自信はあった。

 一人の男が水奈の手首を掴んだ。それを見た寿美香は、すばやく足へと意識を集中させ、臨戦体制を取った。

 と、その時だった。


 水奈が、寿美香を指さした。


「え?」


 突然の意味不明な水奈のその行動に、寿美香は混乱した。なぜわざわざ仲間の位置を教えてしまったのか。憲兵隊が警戒しているのは寿美香のはずで、今見つかるとまずい状況になることは水奈にだって分かるはずだ。これも作戦なのだろうか。しかし、寿美香にとって作戦だろうがなんだろうが、今は男たち五人がニヤニヤしながらこちらへ近づいて来ることの方が問題だった。前へと進むはずだった彼女の足は、自然と後退を始める。


「こんな作戦聞いてない!」


 一方、水奈は自分を囲んでいた憲兵隊たちがいなくなったのでフリーとなった。

 監視の目はなくなった。


 寿美香、ごめんね。


 テラスの中を素早く進み、市役所内へと一人侵入した。

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