09.反撃開始

 横道に逸れた二人は、話題を元に戻すことにした。


「ようはあいつ、例のブドウを食べていないってことよね」

「もし本当にこの町にブドウが存在するのなら、そうだろうね」

「水奈までまだそんなこと言うの?」

寿美香がふて腐れた様に口を膨らませる。喜怒哀楽がはっきりしていて実に表情豊かだ。

「まーまー聞いて。私は今日初めて寿美香から情報を聞いたばかりだし、実際に『unknown』の記事を読んだわけでもないでしょ。だから正直、半信半疑だった」

あっ、勘違いしないで、別に寿美香を信用してなかったってわけじゃないんだよ、と水奈は慌てて付け加えた。

 寿美香が笑いながら気にしてないよと言ってくれたので、水奈は安心して話を続ける。

「でもね、さっきの市役所での出来事があって、今はブドウが本当に存在するのかもしれないなって。話を聞く限りじゃ、受付の女性はおそらくブドウのことを知っていて隠してるんじゃないかなって印象を受けたんだけど。隠すってことは、それはブドウの存在を認めることと同じだから」

「うん、あたしもそう思う。市役所でブドウの話を出した瞬間、あいつの態度が豹変したのよね。…………いえ、それだけじゃない」

 寿美香は市役所を見下ろしながら必死に先ほどの体験を思い出そうとしている。隣の水奈もそれを察し、同じく見下ろしながらじっと寿美香を待つことにした。

 すでにお互いがお互いの呼吸を把握しているかのように、二人の間には思いやりが生まれていた。


 じきに、寿美香はゆっくりと話し始めた。


「冷静になって振り返ってみると、豹変したのはあいつだけじゃなかったって今なら分かる。例のブドウの話題をあたしが口に出した途端、場の空気が変わった気がしたもの。周りの人の視線も急に鋭くなって突き刺さるように感じたのよ。あたしとしたことが、今頃思い出したわ」

「あそこに居合わせた全員が実はブドウのことを知っていた?」

水奈は自分に問いかけるように質問をした。

「ええ。あくまで反応から見てだけど。ただあたしはそう実感してしまったから、もはやそうだとしか思えないのよ。水奈にはあたしを信じてほしいとしか言いようがないけれど」

困った表情をする寿美香を見て水奈はきっぱりと言い放つ。

「信じるよ」

「はやっ! 嬉しいけど何で?」

「うーん、信じたいってほうが正しいのかも。あのね、人に視線を向けられた時に不思議とあっ、今見られてるって分かる時あるじゃない? それが例え背後からだったとしてもだよ。寿美香なら分かってくれるよね? そういうの、私もわりと分かるほうなんだ。だけど今回はごめんね、役に立たなくて。緊張していて気づけなかったのかな。あははっ、言い訳だね。でもだからこそ、今回は寿美香の敏感さに賭けてみたいなって思ったんだよ」

 寿美香がピクッと反応した。

「なんか照れる。けど、嫌じゃない。むしろ人から期待されるとあたしやる気出すタイプだもん。よしっ、ご期待に添えるようまだまだ頑張るわ!」

 寿美香の疲弊した顔はあっという間にどこかへと消えてしまった。


 その後も二人の話し合い、もとい推論はスムーズに進んでいった。


「市役所での喧嘩の最中、他の受付の女性はおろか町の住民たちまで止めずに黙って見ていたのは、寿美香のことが恐かったからじゃないと思うんだ。第一、みんな寿美香の強さを知らないんだし」

「外国人が外国の町のど真ん中で暴れたところで、こちらがアウェイだし、別に恐くはないわね。それよりも全員が受付の女性の味方だったから、の方が納得いくと思う」

「うん。ただし、味方をしてしまえば逆にその必死さが仇となって私たち日本人に怪しまれてしまう。だからあの場では何も言えなくて沈黙するしかなかった。もしかすると早くこの町から出て行けって心の中では思っていたのかもしれない」

「あとあと、あの場に居た住民たちってあくまでもあの時間に偶然居合わせたに過ぎないじゃない。ってことは彼らに限らず、他の住民たちだってブドウのことを知ってなきゃおかしいわよね。だけど、市役所に来る前にいろんな人に聞いてみたけど誰一人知らないって答えてた」

「つまり、町ぐるみで隠してるってことになるね」

「……この町がなんだか恐く思えてきたかも」

「ふふっ」

「なにがおかしいのよー。普通ここは励ます場面でしょうが」

「寿美香。恐い以上にさ、わくわくしてない?」

「えっ! ばれた?」

「だって、顏が笑ってるもの」

そりゃそうね、と言ってその場で立ち上がった寿美香は、眼下の市役所へと目を向ける。

「じゃあもちろん、これからあたしが何をやろうと考えているのかも分かるわよね?」

ゆっくりと、水奈も石垣の上で立ち上がる。そして困った顔をした後、すぐに市役所を指さした。

「はー。やっぱりあきらめてないんだ、市長のこと」

水奈は聞こえるようにわざとため息を大きくついたのだが、肝心の寿美香は気にもしていない様子でさっきから終始満開の笑顔である。

「もちろん! 市長に会って直接ブドウの在処を聞き出すんだから。で、おまけに、おたくの職員はお客への対応がまったくなってませんなーって言ってやるの」

「おまけがメインになりそうな気がするんだけど大丈夫かな。ただ、住民がかたくなに隠し事をしているような町の市長が果たして口を割ってくれるのか不安なんだけれど」

「水奈はね、ネガティブ過ぎ。もっと前向きに考えようよ。もしかしたらあの女と違って話が分かる人かもよ? 日本から来ましたって言えば感激してくれるかもしれないじゃない?」

「そんなに上手くいくかな」

「どうせならやって砕けようよ。まあ、あたしが砕けることなんてないけれど」


 水奈はブルーなのに対し、寿美香はレッド。彼女の笑顔を憎たらしいとは思わず、ついついつられて口が緩んでしまう水奈は、分かりきったことを尋ねる。

「変更の余地は?」

「なし! えへへっ」

 水奈はこれで最後と長いため息をつく。口をかたくむすび、自分に言い聞かせるかのごとく頷くその仕草は何かしらの決意の表れだった。

「分かった。市長に会いに行こう」


 ようやく二人の決心が固まり一致したところで、なんとその決心が崩れてしまうような事象が市役所では起こっていた。


「なんで見張りがいるのよー!」


 寿美香が悲痛な叫びをあげた通り、青い制服を着た複数の男たちが市役所の周りを囲んでいるという嫌な光景が目下には広がっていた。入口はもちろんのこと、建物の壁づたいに沿って配置された彼らはざっと二十名弱。騎馬やパトカーらしき車がいくつか入口周辺に停めてあった。


「あれがあの女が言っていた憲兵隊ってやつ? しかも厳重過ぎないかしら。あたし、暴力まで振るった覚えはないんだけど」

「言葉の暴力……って、違う違う! こっ、口論になっただけだもんね。いくらなんでもあの警備は大げさ過ぎる。やっぱり、ブドウが原因なのかな」

「よほどあたしたちと市長を会わせたくないってところかしら。そしてそこまでして隠そうとしているブドウの真実とは一体。くーっ、ますます燃えてきたわ! もはや正攻法では市役所への侵入は無理ね。あたしたち、時間だけには余裕があるからね。明日にでも出直しましょ。まずはどこかで作戦会議を」

「待って。その必要は無いよ」

「え?」

「今から侵入しよう。大丈夫! いい考えがあるから。寿美香さえよければだけど」


 水奈の表情は優しげでそれでいてそこには強い意思を宿していた。出会ってから初めて見る堂々とした水奈の姿を寿美香は驚き、そしてすぐに受け入れた。


 二人の足取りは軽く、登ってきた坂を足早に下る。


 寿美香は水奈に譲る。今度は水奈が先頭を歩いていく番だった。

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