第2章 市役所戦

06.二人の頑張り

 まもなく正午になろうかというところ。天気は今朝から変わらずの晴れ、日差しは強さを増していくばかりだ。日本とは違い湿度が低い分、蒸し暑さは無い。純粋に暑さのみに耐えれば良いのだ。しかし、水奈と寿美香は暑さなどそもそも無視していた。


「やっぱり。みんな大きい」


 二人が外に出て最初に行った行為はやはり観察で。よそ者が揃って現地の女性の胸をチェックしていくことが、どれだけ日本人の評判を落とすことになるのか、当の本人たちはまだ知らない。ただ、道行く女性たちに熱い視線を向ける、それだけの行為に集中をしていた。


「ってことはさ、町の人たちは例のブドウのことを知ってるってことになるわよね」

「その可能性は高いと思う。もしかしたら、その効果を知らずに食べてる可能性もあるけど」

「そっか。となると、胸はでかくて当たり前、だと思い込みながら普段過ごしてることになるわけか。許せない、正してくる」

「ちょっと待って寿美香!」

ズカズカ歩いて行きそうになった寿美香を水奈はすばやく腕を掴んで引き止めた。

 胸のことになると行動力がぐんと跳ね上がる子なのだとようやく理解し、それを頭の中にメモする水奈だった。


「冗談だってば~」

 はたしてそうなのだろうか。冗談にしては腕を掴んだ時に多少力を入れないと止まらないほどには前進していた気がする。


「どちらにせよ、立ち止まってても仕方がないわ。誰かに聞きましょ」

 今度は引き止める必要も無かったので水奈も寿美香の後へと続き歩き出した。


 寿美香は早速、買い物かごを持ってゆっくりと歩いているおばあさんに声をかける。

「こんにちは。聞きたいことがあるんですけど、胸の無い人の気持ち、今まで考えたことありますか?」

 おばあさんへの第一声がそんな発言であったのなら一体私はどうしたらいいのだろうと水奈は気が気ではなかったが、どうやらその心配をする必要は無いようだ。


 フランス語が分からないので二人の会話ももちろん理解できない水奈。しかし、現地の人と旅行者、それは持ちつ持たれつの関係、そんな和やかな雰囲気が両者の間には確かにあった。それくらいは少なくとも理解できた。


 案外会話はすぐに終わり、寿美香が水奈のもとへと戻ってきた。

「どうだった?」

「知らないってさ。この町には何も無いから観光したってつまらないわよ、だって。そんなこと言われなくても分かるわよ」

「あははっ。寿美香ひどい」

「事実でしょ。例のブドウが見つかれば別だけど」

「そうだね。まだ一人目なんだし、できるだけ多くの人に聞き込みをしたほうがいいと思うよ」

「もっちろん。これからだよ」


 寿美香の頼もしくある張り切った様子は、水奈の不安を消し飛ばすと同時に無力さを感じさせることもまた確かだった。


「ごめんね、何もできなくて」

「え? ……はあ~。水奈は分かってないわ。あたしの隣にいてくれてるじゃん。それで十分!」

 寿美香は何でもストレートに言うタイプだから、その言葉はお世辞ではなく本心からきたものだと水奈は出会ってからの短い間で知っていた。

「ありがとう」

だから、水奈も本心で返すことができた。


 それから寿美香の頑張りは凄かった。最初は女性に絞って話しかけ、途中からは男性も聞き込みの対象としていた。年齢も下は自分の腰の高さに頭がある幼い子供から、上はまたまた腰の高さに頭がある杖をついたご老人まで。老若男女問わなかった。休憩を挟みながらもすでに二時間が経つ。寿美香は時計など見ていない。時間を確認したのは水奈だ。


 待っている間、立ちっぱなしの水奈は辛かった。見ていることが苦しかったのだ。彼女がああは言ってくれたものの、何も手伝いができないことにやはり情けなさを感じていた。自分に何かしらやれることはないのか。

 建物の壁に寄りかかり、大通りで無差別な街角インタビューをしている寿美香を静かに眺める。


 考えるまでもなく。私にしかできないことはある。ただ、やりたくないだけだ。


 矛盾したそんな自分の思考を嫌い、水奈はその場を離れた。


 それからさらに時計の長針が半周した頃。寿美香が水奈の居た場所へと戻ってきた。


「あれ。水奈どこ?」

 辺りを見回す寿美香の様子は、いたって元気だった。休み時間にボールを手渡された子供のように生き生きとしている。周辺に水奈がいないことを確認した後、むやみやたらに動くと行き違いになるかもしれないのでその場に留まることにした。まさかあの詐欺師にまた捕まってるのではないだろうか。だんだんと不安がこみ上げてくる。


 じれったい状況が嫌いな寿美香にしてはよく我慢したと思えるほどには待っただろう。

「待たせちゃった?」

水奈が戻ってきた。

「待った、すごく待った!」

実際には七分弱。

「今度こそ詐欺師に連れてかれたのかなって心配してたのに。笑顔で登場されたからなんだかムカムカするわ」


 寿美香って正直に言うなー、ホント。そこが魅力的なのかもしれないけれど。


 水奈は苦笑いしながら、ほどよく怒ってらっしゃる寿美香にペコペコと謝った。

「寿美香、おつかれさま」

はい、と水奈が寿美香に手渡したものはブドウジュースだった。透明なカップに入った綺麗な紫色の液体は、氷で遠慮なく冷たくなっていてカップの外側には水滴が浮き出ていた。持っているだけで暑さが紛れるような代物だ。寿美香が喜ばない理由はなかった。


「……ありがと」


 怒ってた手前、お礼を言うのがなんだか恥ずかしくて言い辛かった。しかし、そこは寿美香だった。正直な気持ちを相手にしっかりと伝えることのできる子だ。

「いただきます。ん~、おいしっ!」

 炎天下の中、なりふり構わずに聞き込みを数時間に渡って果たした寿美香の喉が瞬時に潤う。甘さの中に酸っぱさもあり、疲れた身体には特に染み渡った。先ほどのカフェでの水奈よろしく、実に良い飲みっぷりで、ブドウジュースはあっという間に空となった。


 寿美香がはたと気づく。

「これ、どうしたの?」

「さっきカフェに向かう途中で見かけて、美味しそうだなって気になっていたものだから」

「あーうん。じゃなくて、お金は?」

「ちゃんと払ったよ。安心して、盗んだものじゃないから」

えへへと笑う水奈に対し、すぐに寿美香は突っ込みを入れる。

「いやいや、水奈ユーロ持ってないんでしょ? 両替できる所なんてこの町に無かったはずなんだけど」

「……それよりも寿美香、疲れてないの? ずっとあんなに路上で頑張ってたのに。このジュース飲んで疲れを癒してほしいなって思ってたんだけど。聞き込み始める時よりも元気になってる気がする」


 明らかに話を逸らす水奈にこれ以上追求するのを迷う。そんなに聞かれたくないことなのだろうか。まあ、ここはあえてスルーしますか、と寿美香は話を続けることにした。何より自分の話を聞いてほしかったのもあった。


「噂のブドウのこと、誰も知らなくてさ。さすがのあたしも情報がまったく手に入らないから焦り始めてね。このままじゃいけないなーって。だから思い切って質問の切り口を変えてみたのよ」

「うんうん」

寿美香はウインクしながら、

「この町で一番、町に詳しい人は誰ですかってね」

おおー、と水奈が関心した。

「それはいい質問!」

「でしょ。カフェでお茶してたおばさんたちにそのことを尋ねたの。あの人たち悩むことなく答えてくれたわ」

当たり前と言えば当たり前よね、と。

「村にたどり着いた主人公はどうする? 決まってる、村長に会いに行くの。基本よね」

水奈はその回答を聞き、深く納得した。


「この町の市長だね」


 ええ、と寿美香は頷き、そして歩き出す。どうやら彼女は、場所も既に分かっているらしかった。

 水奈は頼もしい背中を見つめ、それに置いてかれまいと付いて行く。


 道中。三人組のおじさんたちがカフェのテラス席に座り、揃ってぼーっとしている姿を寿美香は目にした。テーブルの上には、トランプが散らばっていた。

「俺たち、ポーカーやってたんだよな?」

一人目が呟く。

「あれをポーカーと呼べるのか?」

二人目が続く。

「あれは反則だよな……」

そして三人目。


 質問なのか愚痴なのか、そもそも会話になっていない彼らの声が寿美香の耳になぜか残った。しかし、何のことだかさっぱりだった。少し気にはなったものの、それよりも今は大事な目標を持っている。


 変な人たちね。そう思いながら、寿美香はその場を通り過ぎた。

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