05.目指すは、大きくなる不思議なブドウ
旅は始まったが、二人の足はまだカフェの床にくっ付いたままだ。
ようやくやって来た料理に水奈は目を輝かす。食べ始めてからもその目の光量は落ちることなく、いやむしろ増していたので確かにおいしかったのだろうと寿美香は満足げに水奈の食事する姿を眺めていた。
食事を終え、今度はデザートはどうかとありがたい提案があったのだが、またの機会にと水奈がお断りを入れたところでようやく場が落ち着いた。
食べ終わってすぐに動くのもどうかということで二人は自然とまたおしゃべりを始めたのだった。
話のネタは、お互いどこに住んでいるのかだとか、高校生活はどんなものなのか。出会ったばかりなのと同い年ということもあって話題には困らない。次に高校を卒業したらどうするのかという話題になり、急に寿美香が興奮し始める。
「考古学者目指してるの! もしかしてアメリカにあるあの有名な、えっと……」
「最先端考古学研究第三機関大学」
「そう、それ! 水奈すごいわね。あそこに入学するのって東大とかオックスフォード大学に合格するより難しいらしいじゃない」
「そんなことないよ。多少英語は話せないといけないけれど、得意な分野が一つあれば案外いけるんだ。自分だけの武器っていうのかな」
「へー、でもその得意なものを持つことが難しいんじゃないかな。特技だとかそんなレベルじゃなくてもっと高いものを要求されそうだよね。ちなみに水奈は何が得意で合格できたの?」
「あのー、……心理学、うん。だけどね、心理学と言っても幅広くって。たくさんある中でも私の専門は進行型心理学っていうんだ。まだあまり研究が進んでないから携わってる人は希少みたい。多分それも合格できた理由の一つだと思う」
「ふーん、進行型ねえ。聞いてるだけで難しいわね。あたしには考古学者は向かないかも。頭よりこっち、だからね」
そう言って虚空にパンチを繰り出し、ニヤリと笑う寿美香。
ぱっと見、寿美香はそう見えない。漆黒の髪を後ろで一つに束ね、白シャツにジーパンと大変ラフでスポーティーな格好をしている。その服装からは細身のシルエットがよく確認でき、腕や足など所々で筋肉もわずかに見え隠れしていた。だからといって見た目はもちろん女の子。強いと感じるのは少しきつめの凛とした目だけだ。
「そんなことないよ。考古学者って頭ばかり使うイメージがあるけど、実は体力がいる仕事だからそういう人のほうが実際重宝されるんだよ。強さがあれば安心して仕事ができるんだ。むしろ知識なんて後から勝手に追いついてくるんだから、寿美香の方が私より向いてるかもしれないよ」
「あははっ、じゃああたしも目指してみようかな。だけどね、あたしはジャーナリストになりたいからすぐには無理だけどね」
「へー、ジャーナリストか。もうやりたいこと見つけたんだ。うらやましいな」
「何言ってんのよ。当然考古学者なんでしょ」
当たり前のことを言われ、水奈は困ったような顔をした後、苦笑いした。
「そうなんだけどね。親に押されて大学に入ったようなものだし。私の夢と言えるか怪しいものだよ。……それよりも、寿美香のこと聞きたい。ジャーナリストになってどこを取材したいの?」
「もちろん世界中! どこにだって行ってやるわよ。そして、真実をありのままみんなに伝える。それがあたしの夢」
水奈は思わず拍手しそうになり、両手の平を合わせてしまう。今の水奈にとって寿美香はまぶしすぎた。目を覆いたくなるのを我慢し、会話を続けることにした。
「すごいね、きっぱりだ。ってことはだよ。今回一人でフランスに来たのもその夢と繋がってたり?」
「やっと聞いてくれたわね。実は話したくてうずうずしてたの。あのね、この町、すごいの」
「えっと、こんな田舎なのに?」
侮らないほうがいいわ、と寿美香の口が水奈の耳元へと近づいて来る。まるで町の人に聞かれるとまずいことを今から話しますと言わんばかりに寿美香は身を寄せた。
「ここの周りってブドウ畑に囲まれてたでしょ?」
「うん、すごい広さだよね」
「なんせ町より畑の方が面積ずっと広いくらいだしね。とは言ってもフランスだとこんな光景は特別珍しいものじゃない。むしろ同じ環境の町なんて山ほどあると思うよ。あんな噂が無ければこの町だってただのブドウの産地だったんだけど」
「噂?」
寿美香は小さかった声のボリュームをさらに絞る。
「この町のどこかに特別なブドウの木が一本だけ生えてるらしいの。そこで収穫したブドウを食べると……、何とね、胸のサイズが大きくなるらしいんだ、ふふっ」
寿美香は嬉しそうに語り、食後に頼んだコーヒーに口を付けた。
そんな嬉々とした表情に水奈は気づかない。ただ顎に手を当てながら、考え事をし始めていた。
「信じ難い話だね」
「そうね、あたしも信じてなかった。このことを教えてくれた友達を最初は疑ったし。だけど、その子がやけに力説してきてさ。これは確かな情報源だからって。話を聞いてるうちに、あーもしかすると本当に実在するんじゃないのかなって思えてきて。水奈知ってる? 『unknownアンノウン』て雑誌」
「知ってる」
雑誌名を口にした途端、水奈の表情が一瞬だけ曇ったのを寿美香は見逃さなかった。それが何を意味するのか興味はあったが、そこはあえてスルーして話を続けることにした。
「そっか、やっぱ有名なの?」
「最近できた雑誌だから、まだ日本じゃあまり。海外では有名になりつつあるみたい」
「へー、世界で売れてるんだ。でも納得。内容読ましてもらったけど、記事がけっこう面白くってさ。女の世界七大武器、っていう特集だったんだけど。インドの解くと自分が思い描いた髪型、髪質になる数独だったり。あとは、エジプトの埋まった時間分だけ若返る砂風呂なんかもあったかなー。……いやっ、こうして自分で話すとやっぱ胡散臭くなってきたわ」
「寿美香、安心していいかも。その雑誌の信憑性は高いよ」
「それじゃあやっぱり、ブドウの木も?」
「うん、あるのかもしれない。この町に」
水奈の目線は寿美香から一旦離れ、彼女の後ろに居た一人の女性へと伸びた。
やっぱり、と何かに気がつき、そしてそれが偶然かどうか確かめるために今度は店内を見渡す。観察対象は、もちろん女性のある部分。丁寧に、そして確実に一人一人確かめていく。
どうやら例外は無いらしい。
カフェという限られたスペースの中だとしても、全員が当てはまったのでおそらくこれは偶然ではないと納得する。
満足したその目線はやがて目の前の人物の胸元へとたどり着き、そして固まった。じーっと。
「…………ちがうから。そうじゃないから!」
「えっ?」
「だから。あたしもそのブドウを食べて大きくしたいーだなんて思ってないってこと! あくまで調査よ、調査! ジャーナリストを目指してるんだから学生のうちに一つでも真実を追求したいって思っただけ。だから日本からここまで遠路はるばるやって来たの。勘違いしないで! 確かにあたし、胸無いわ。だけど水奈だって小さいじゃない! 人のことを言える立場じゃないと思うわ! 一粒くらい貰ったっていいじゃない!」
「寿美香」
「何よ!」
「まだ何も言ってないでしょ」
「うっ」
途端、寿美香の顔が真っ赤になった。言わなくても良いことを次から次へと口から吐き出していた愚かな自分に気がついたからだ。体がプルプルと小刻みに揺れていた。
一方で、怪獣の口から炎を浴びせられた水奈は、いたって落ち着いていた。性格がドライだからなどではなく、そんなことよりも重要なことがあるからだった。
「言いたいことはあるんだけど、まあそれは置いておくとして。寿美香、店内にいる女性全員を見てみて。何か思うことない?」
恥ずかしさのまだ残る寿美香だったが、水奈の真剣な雰囲気を汲み取り、その指示通り周りを観察することに集中した。先ほどの水奈よりも確認は早く、そして同じ結論に至った。
「食べてるわ」
そう、何を隠そう、今店内にいる女性全員、胸が大きかったのだ。
だが待てよと。偶然にも巨乳の持ち主が多い町だから、あんなブドウの噂が立ったのではないか、という可能性をまず疑った寿美香だった。しかしその疑問は、一人の女の子によってすぐに覆された。
テラスの席で家族と一緒に楽しそうに食事をとっている女の子。ひらひらのスカートを着ていてまるでお人形のような姿。綺麗よりもまだまだ可愛いという表現の方が似合うあたり、歳は十一、十二といったところか。ところが……。
「反則でしょ、あの子。Cくらいあるんじゃないの」
その小さな身体にまったく似合わない大きな膨らみが、確かにそこにはあった。
「寿美香よりもあの子の方が大きいね」
「っさいわね!」
寿美香の妬みはこの際すみっこに置いておくとして。子供があのサイズを有しているのは明らかに不自然だった。ということは、つまり。
「水奈。噂のブドウの木は」
「噂なんかじゃなかったってことだよ」
「だよね! くー、なんかやる気出てきた! それじゃ、出ましょうか。早速調査開始!」
水奈の賛同も待たずに立ち上がり、店の出口へと軽快に歩いていく寿美香を水奈はただただぽかんと眺めていた。
「お会計……」
日本へ楽には帰れそうもないな、そう確信した水奈だった。
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