04.旅の始まり
二人が入ったのは、五分ほど歩いた先の広場にあるカフェだった。カフェは三階建ての建物の一階にあって、やけにそこだけが建物の横幅よりもボリュームを増していた。そう見えてしまうのは、カフェの外がテラスになっていてテーブルとイスがずらりと並んでいるからだ。
テラスの頭上には、木の柱によって支えられた草木の天井が広がっていた。夏ということもあって、屋根代わりの植物はより一層生い茂ってはいたが、葉の隙間からこぼれる日の光でテラスは所々明るくなっており内部の暗さをまったく感じさせない。
店の入り口へと向かいながら頭上を見上げる水奈は、まるで森の中にいるようだと感心していた。
「やっぱり混んでいるわね。本当はテラスで食事したかったけど残念、満席みたい。店内に行きましょう」
今は居心地の良さよりもお腹を満たすことが優先よね、と入り口へ急ぐ女の子。同じく外で食事したかったなと少し残念がる水奈はそんな不満などもちろん言えるはずもなく彼女の後へと付いていく。
店内も外と同様にたくさんのお客で賑わっていた。空席を探すためにキョロキョロと辺りを見渡さなければいけないくらいに混んでいる。
「あっ、あるある。あそこ座ろう」
二人はカウンター席の後ろを通り過ぎ、店の一番奥にある四人席に座ることができた。
店内には、オレンジ色の壁とオレンジ色のライトに、先端がくるくるっと丸まっている黒くて細めのテーブルと椅子。そして、やはりここにも植物が所々で自己主張ぎみに飾られていた。外とはまた違った落ち着きのある空間が広がっていた。
早速椅子に座る。またもや感心した目で店内を見回す水奈を真近で見つめると、女の子は満足げな表情を浮かべた。
「どう? いいお店でしょ」
ひじをテーブルにつき、あごを手のひらに乗せながらにししっと笑うポニーテールの女の子。
「はい、ずいぶんと雰囲気の良いお店ですね」
「でしょう。あたしここに来るのこれで三回目だもん。料理にも期待していいから」
「りょう……り」
その言葉を聞いた途端今まで忘れていた空腹感が水奈のなかで再び蘇ってきた。
先ほど二人が出会った時のように、水奈は元の弱々しい姿へと戻ってしまう。
「あらら。なんでそんな飢えた状態にまでなっちゃったの?」
机に顔を突っ伏したまま水奈は答える。
「それはもういろんなことが起きまして」
女の子は頷き、聞かせてほしいとアピールする。
水奈も話す気になり、ゆっくりと顔を起こした。
「話すと長いんですけど」
と水奈が言いかけたところで店のウェイターが二人のもとへやって来た。
女の子は待ってましたとばかりに、メニューも見ないまま次々とフランス語で注文をしていく。一体何を話しているのか分からない水奈ではあったが、彼女に任せておけば大丈夫だろうということでこれから運ばれてくる料理にだけ思いを馳せておく。
注文をメモし終わったウェイターは、ニコッと二人に笑顔を振りまいて立ち去って行った。
「注文してくれてありがとうございました。あの、何を頼んだんですか?」
「え、水だけど」
「え?」
「だから水だけ」
「え……」
おかしいな。ここは流れ的に、料理を多めに注文してくれたことに対して私が感謝の言葉を伝える場面のはずなのに。料理、食べれ……ないのかな。食べられないんだ。きっと食べれないんだよ。
水奈が本気でしょんぼりとしてしまったので、女の子が慌てて訂正をする。
「冗談だから安心して。これからおいしい料理たっくさんくるから!」
水奈の顔が一気に明るくなったところで、ウェイターが本当に水を持って来た。
女の子が水奈に水を注ごうと思い、ボトルへと手を伸ばした瞬間だった。水奈は素早い動作でテーブルに置かれたボトルをひっ掴み、自分のグラスに水をなみなみとついだ。こぼれそうになるのもお構いなしにそのグラスを急いで口元へと運び、そのまま勢いよく水を喉に流し込んだ。
グラスに注がれた液体は二秒かからずに空となる。
しかし、そんな量では水奈の渇きを潤わせることはできない。またボトルを掴んでグラスに水をつぐ。そして飲む。二杯目もすぐ空になった。そして三杯目。
あまりにもその姿が良い飲みっぷりだったので女の子はその一部始終を黙って見ていた。その代わりに笑いが込み出てきた。
「あはははっ、よほど喉乾いてたんだ」
水奈はグラスを置き、目の前の恩人と目が合った。
「あっ、ごめんなさい」
水を飲むことに無我夢中になっていた自分自身にようやく気がついた水奈は、顔を赤らめた。
「いいってば。それよりまだ自己紹介してなかったよね。あたし、礼儀寿美香れいぎ すみか」
「火向井水奈です。改めて言わせてください。さっきは本当に助かりました。どうもありがとうございました」
水奈は相手に顔を隠すくらいまで頭を下げる。
「気にしないで。あたし、同じ日本人に会えて嬉しいし。って、あなた口調固いわよ。見たとこ歳近そうだけど、いくつ?」
「十八歳です。高校三年生です」
「やっぱり! あたしも一緒。いやーますます嬉しい。それじゃあ敬語禁止。確かにお互い初めて会ったけど、タメ口でいいんだから。ねっ、水奈」
「あっ、はい、じゃなかった、うん。よろしく、……寿美香」
「うん!」
気持ちの良い笑顔をする寿美香。それを見た水奈は、先ほどの詐欺師への制裁行為が嘘みたいに思えた。まだ話をしている最中の人に対して、まさか蹴りの一撃でトドメを刺せる子だとは到底思えない。
「ところで水奈は、フランスに何の用で来てるの?」
「あー、それなんだけど。来たんじゃなくて、連れてこられ、た?」
「連れてこられたの? 誰に?」
「私の父親だと思う」
「思う? えっ、もしかして水奈は記憶喪失かなんかなの? どうして?」
寿美香の頭の上に大きなはてなマークが浮かんでいるのが水奈には分かった。これは一から説明したほうが早そうである。
「少し長くなるかもしれないけど。あのね、うちの父親はものすごく常識が通じなくて」
「あっはははは! じゃあなに、水奈はお父さんの提案を断ったからこの場所へ置いてきぼりになったってこと? くくくくっ、おかしーでしょ、あははははっ!」
「だよね、異常だよね」
「ごめん、笑うことじゃないよね。 ……くくっ、でもやっぱだめ。あははっ!」
寿美香は俯いて腹を抱えて笑う。
こっちは笑えないんだから。この後どうしたらいいのか正直分からないし。他人事なんだから、ほんと……。って、ついさっき会ったばかりなんだから他人には違いないか。こうして食事にありつけただけでも感謝しないといけないよね。
一通り笑って満足した寿美香は水を飲んで自身を落ち着かせる。何かを思案しているようなそんな雰囲気だった。
そして、今度は微笑む。
「ねえ、水奈。よかったらあたしと一緒に来ない?」
「……え?」
「あたしはある目的があってフランスに来たの。それを達成するためにぜひ協力をしてほしいなって。正直一人でここまで飛びたしてきたはいいものの、心細くてなっちゃってさ。まさかこんな英語の通じない町で同じ日本人のしかも同い年の女の子に会えるとは思ってなくて。びっくりしちゃった。これも何かの縁かもってね」
「それは私もだよ。置き去りにされて、お金も無いし、言葉も分からなくて。そんな困り果てたところに寿美香が来てくれた。驚いたし、何より嬉しかったよ」
突然の寿美香の申し出にあせることなく、むしろ興奮した面持ちで答える水奈だった。
「本当? じゃ、じゃあさ、あたしと一緒に来てくれるってこと?」
「うん」
「ありがとっ! お金のことはあたしに任せて。目的を達成したらすぐ一緒に日本へ帰りましょう!」
二人は手を取り合い、もはや成功したも同然のように喜び合った。
水奈と寿美香、二人の旅が始まる。
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