07.セント・エビリオン

 この町の名前は、セント・エビリオン。大小八つの地区に分かれており、それらが合わさって一つの町として成り立っている。水奈が置き去りにされた場所であり、かつ水奈と寿美香が出会った場所でもある。


 水奈は今さら自分が滞在している地名を知った。それは目的地に向かう最中に寿美香が予習で培った知識を披露してくれたおかげだった。


 彼女のお披露目はさらにこう続いた。

 この町は、まるでお城を連想させるのよね、と寿美香は説明する。

 その一つ目の理由として、まず町全体が城壁に囲まれているということ。昔の人がなぜそんなものを作ったのか。敵がいたからなのか、あるいは何かを守ろうとしたのだろうか。その意図までは寿美香も把握してはいなかった。


 二つ目は、町の中心が一番高い場所に位置するということだ。日本の城もヨーロッパの城もほとんどが外から中央に向かうに連れだんだんと建物が高くなっていく傾向が見られる。セント・エビリオンの場合、その真ん中に位置するのが教会だった。その名をスラブロック教会といった。町の景観にとても良く似合う石造りの教会。高台の上に建てられているせいか余計に建物自体も高く感じられる。実際、縦に長い箇所というのは鐘楼が設置されている塔だけである。尖がった四角錐の屋根、おまけで付けたような小さな丸時計、そして見る角度によって様々な形に変化するいびつな外壁。そんな塔の最上階に鐘楼が置かれている。町の端からでも豆粒ほどの大きさで鐘楼を確認することができる。


 そして最後の三つ目は、道が狭く入り組んでいるというところである。もし敵に侵入されたとしても簡単に心臓部へは行かせない。迷路のように、スタートからゴールにたどり着く間に何度も道を曲がらせる構造となっていた。

 現に、先ほどからも他の建物の屋根から市役所の上部分が頻繁に顔を覗かせているにも関わらず、なかなかたどり着けないといったやきもき気分を二人は味わっていた。


 なもので、市役所へは思いのほか苦労しながらのご到着となってしまった。二人は少し疲れを残した顔を重たいながらも上げ、揃って市役所を見上げた。

「立派」

寿美香がそうつぶやくのも正しかった。


 市役所はこのセント・エビリオン内で一番敷地面積の広い建物だ。また、単純な高さで言えば丘の上に建っているスラブロック教会が勝ってはいるものの、六階まである市役所の方が建物としては一番高いのだ。まだ新しく、築八年ほどである。建物の壁には、一階から六階までつながる縦に伸びた大きな窓が等間隔で備え付けられていた。窓と窓の間の壁にはカフェオレ色のレンガが敷きつめられ、それ以外の壁はすべてコンクリート造りとなっていた。屋根の上には模様をかたどった細長いオブジェが三つ置かれている。刺さったら痛そうだ。壁にはそれとは別の模様のオブジェがいくつも貼り付けられていた。実に豪華でお洒落に気を配った建築物なことだ。市長の趣味だろうか。


 全面ガラス張りの立方体が建物の一階部分から飛び出していた。どうやらそこがエントランスらしい。

「入りづらっ!」

思わず声が出てしまう。

「想像していたよりもだいぶ……」

 田舎の市役所だからきっとこじんまりとした造りだろうと予想していたのだ。二人の予想は大きく外れてしまったことになる。


「しゃあない。いこ、水奈」

「……うん」

肯定の言葉なのにそこには否定の意味を含んでいそうな複雑な返事を貰ってから、寿美香はエントランスへと足を進める。水奈も何とかそれに続いた。


 お店やレストラン、レジャー施設などは外国であれ堂々と入れる寿美香であっても、役所は別だった。外国人がお世話になる理由はまず無いし、中にいる事務員も用があって来た人たちだっておそらくは全員がセント•エビリオンの人間だろう。浮くに決まっていた。今の二人には、分厚く強固な市役所の壁が部外者の侵入を拒んでいるように感じられた。


 エントランスに入る前に、二人はいったん立ち止まる。

「もちろんあたしが話すけど、隣には居てよね」

自然と小声になってしまう。

「はい」

「ふふっ、なんで敬語なのよ」

「思わず。緊張してるからかな」

それを聞いた寿美香は、水奈の肩に優しく手を置く。

「安心して。質問をするだけなんだから。心配することなんてないない」

「分かった」

前を向いたまま水奈はうなずいた。そして、励ます寿美香も実は緊張していることに水奈は気づいていた。


 二人してもう一歩前進。すると待っていたかのように、目の前の自動ドアがゆっくりと開いた。


 入ってすぐ左手がどうやら受付らしい。ここはまだガラスの空間の中。そこには四人の女性が並んで座っていた。みんなニコニコしながら住民の対応をしている。ちょうど奥の若い女性の対応が終わり空いた。よし、と自身を鼓舞し寿美香は受付へ。そばを離れないように水奈も彼女の隣に肩を並べ歩く。


「メルシー」

寿美香が元気良く受付の人に声をかける。


 フランスは挨拶が基本だから。挨拶をすれば温かく迎えてくれるし、挨拶をしなければ逆に冷たくあしらわれてしまう。それがフランス人なのよ。水奈は寿美香にそう教わっていた。


 隣にいる水奈から見て、挨拶で始まった会話はどうやら順調そうだった。寿美香は手を使い、軽くジェスチャーを交えながら話しをしていた。相手の受付の女性は、笑顔を崩すことなく寿美香の話に聞き入っている。相槌を打ち、逐一リアクションを取ってくれるため寿美香もずいぶんと話しやすそうだった。いつの間にか寿美香の顔にも余裕が出てきたようだ。


 一方、水奈に余裕なんてものは無い。寿美香を含め、周りの人たちが何を話しているのかが分からないので色々と悪い想像が頭の中を駆け巡るのだ。エントランスで順番待ちをしている人やそこを通り過ぎていく人が水奈たちを遠慮なしに見てくる。やはり外国人は珍しいのだろう。


 本心では早くここを出たいと思う水奈。しかし、そんな感情は言葉に出さないし態度にも表さない。会話の端っこで、水奈は大人しく寿美香を見守る。


 ふと、堂々と話す寿美香の姿は、水奈にとある人物を思い出させた。


 もしかしたら、下の方と似てるかも。いや、間違いない。似てる。常に凛としていて常に自分を信じていて常に自分を曲げなくて常に強いところとか。目つきがキツイとこなんかそっくりかも、ははっ。


 恥ずかしがり屋の自分がなぜこんなにも自然に初対面の寿美香と行動を共にできているのか、理由が分かった水奈だった。先ほどの緊張も少しばかり緩み、笑みをこぼす。


 しかし、そのせっかくの笑みはすぐに消えてしまうことになる。


 寿美香と受付の女性が喧嘩を始めていた。

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