第217話
俺にしては珍しく長風呂をしてしまった。
丁寧に剃り上げた頬を触りながら、今度は脱衣場にある洗面台の前で鏡を覗き込む。
気持ち、顔が小さくなったように感じるのはやはり余計な脂肪が削ぎ落とされた成果だろう。
改めて洗面台の鏡を見ながらポーズ等をとってみる。
ボディビルダーがよくやるやつだ。
〈何をしているのだ?〉
「うわっ」
背後からミミルの声がして、驚いて飛び上がった。
腰にバスタオルを巻いた状態とはいえ、ミミルが入ってくるなどと思いもしなかったんだ。
とりあえず、バスタオルが解けなくてよかった。
〈入るなら声くらい掛けてくれよ〉
〈すまない。しょーへいはいつも出てくるのが早いから、もう出ていると思って……で、何をしていたのだ?〉
〈い、いや……なんでもないよ〉
〈いま変な格好をしていたではないか〉
別に意地悪で俺を問い詰めようとしているわけではないのはミミルの目を見ればわかる。
だから、純粋に俺がしていたボディビルのポーズが気になるんだろう。
〈えっと……〉
どのように説明するのがいいのだろう。
ボディビルという競技のことをまず説明しないといけないかな。
〈チキュウには男女問わず筋肉を鍛え、その形の美しさや太さなどを比べ合う競技があるんだ。その競技で使う
〈しょーへいも、その競技をやっているのか?〉
少なくとも六日前の俺の身体のことを考えると、一般的な日本人なら俺がボディビルを嗜んでいると思うことはないだろう。
でも、ミミルはその競技がどんなものか知らないから仕方ない。
〈いや、だから真似をしただけだよ〉
〈どうして真似をする?〉
〈それは……〉
なんでだろう?
〈それは?〉
〈わからないな……〉
銭湯やサウナ、プールでも似たようなポーズを取る人は必ずいる。友人同士でふざけているだけのことも多いが、実際に鍛えている感が満載の人もいる。
彼ら全員に「なぜいまそのポーズを?」と訊くと、どう返ってくるだろうか。
〈やっぱりしょーへいは変なやつだ〉
〈おい、ちょっと待ってくれよ〉
また変なやつ認定されてしまった。
ミミルの言う〈変なやつ〉というのがどういう意味なのか知らないが、間違いなく不名誉な意味で使っていると思う。
汚物を見るかのような目……とは言わないが、少し嫌悪感が籠もった目で見られているからな。
〈突然思い出し笑いをするし、風呂上がりに鏡の前で変な格好を真似る……変なやつと言わず、何と言えばいい?〉
〈いや、これは……そ、そうだ。ダンジョンで身体能力が上がったから、筋力がついたんじゃないかと思ったんだよ〉
〈それで筋肉を鍛える競技で使う型を使ったと?〉
〈そ、そうだ。そのとおり!〉
少し慌てたせいか、バスタオルが緩んだ。
更に慌てて手で抑え、ミミルに背中を向ける。
ミミルは
〈わかったわかった。服を着たら呼ぶように〉
〈お、おう〉
なんだか、どちらが居候なのかわからない会話だが、そこに突っ込むよりも重要な――ミミルには見せられないモノがある。
ミミルが脱衣場の扉を閉めた音を背に、安堵の息を吐く。
〈チキュウの単位のことを忘れるなよ〉
〈あ、うん、わかった〉
扉の向こうから声がする。
ボディビルのことにはあまり興味がないようだ。
魔素で身体を動かしているような世界にいれば、筋肉には興味がなくなるのも理解できなくもない。
ポージングをするだけで変なやつ扱いされるのは心外だが、これも文化の違いとして受け入れよう。
下着をはいて、部屋着の短パンに足を通す。
ウエスト部分がゴムでできた下着と違い、短パンは紐で結んで留めるようになっているのだが、その紐がとても長く感じる。はき心地もゆったりとした感じで、今までにはない感覚だ。
こんなに痩せたのなら、普段着にしているデニムパンツもひと昔前のものを履けるかも知れない。
そんなことを考えながら、脱衣場を出る。
ミミルは――二階の部屋にいるのだろう。京町家の構造だと、どうしても風呂場やトイレが遠くになるのが辛いな。
通り庭を抜け、扉を開いて隠し階段を上がって居室に戻ると、廊下にまでミミルの声が聞こえてきた。
どうやら、ミミルはストリーミングデバイスで五十音表を見ながら発音を確認しているようだ。ダンジョンに五日間もいたので、忘れていないか確認しているのだろう。
〈ミミル、風呂いいぞ〉
〈うむ〉
そうだ、もう一つ確認しておくことがあるんだった。
〈あと、ミミルに貰った服――洗濯機で洗っても大丈夫か?〉
〈水で洗えばいい。石鹸は使わないほうがいいな〉
〈わかった、ありがとう〉
戦って倒した魔物の返り血を浴びても、しばらくすると魔素になってしまうので血が凝固して服が硬くなることもない。
だが、風呂と同じで俺の汗をたっぷりと吸い込んでいることを考えると、やはり洗濯したくなる。
ミミルの返事だと、洗濯機で水洗いして干せばいい……そんな感じだろう。乾燥機は掛けない方がよさそうだな。
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