第215話
第三層の太陽にあたる光源は日本で言えば十六時くらいの位置だろうか。少しすれば日が沈むのは間違いない。
〈ここも日が暮れるまであまり時間もないようだし、久しぶりに地上に戻ろうか〉
〈そもそも第三層を見学したいと言い出したのはしょーへいではないか〉
困ったような顔をして見上げてくるミミル。
確かに、言い出しっぺは俺だ。第三層はどんなところかと訊ねても教えてもらえず、「自分の目で見てみるといい」などと言われ続けてきたんだから仕方がない。
〈うん、そうなんだけどさ……なんだか、今からここの攻略を始めるような雰囲気になってないか?〉
〈む……〉
今度は急に苦虫を噛み潰したかのような表情へとミミルが表情を変化させる。
忙しいことだが、ここまで表情に出してくれるとこちらも会話が楽しくなる。
だが、この苦い顔は明らかに「このまま攻略を始めればよかった」という後悔の念が含まれる顔だ。
俺としては真面目に地上に戻りたい。
〈いい加減、風呂に入りたいんだよ〉
ウィルスや細菌の類が死滅すると言われるダンジョン内でも汗はかく。
毎日同じ服を着ているのもあって、どうしても不快感は蓄積してくる。汗に含まれる塩分はどうしても析出してくるからだ。
それが乾燥しきっていないと肌触りもネットリと重く感じてしまう。
できればミミルお手製の服も洗いたい。
〈私も入りたい〉
〈じゃあ、家に戻って入ろうか〉
〈うん、そうだな〉
何の違和感もなく二人の意見が合致するのも何か久しぶりな気がするのだが、「そんなことは気にしない」とばかりにミミルは転移石へと向かって歩き出す。
そういえばミミルは風呂好きだ。
長風呂で一時間くらいは平気で入っている。
「風呂の入れ方くらいは教えてやらないとな……」
独り呟くと、俺も慌ててミミルを追う。
ダンジョン第三層の方が時間が過ぎるのが早いので気にする必要はないかも知れないが、少しでも待たせると
転移石に触れ、ダンジョン出口――裏庭の地下へと出ると、ミミルもほんの少し前に転移が終わったようだ。
ダンジョン第三層は第二層の四分の三になるとミミルは言っていた。ダンジョン第三層で二十秒経ったあとに転移しても、地球では三秒くらいしか差がないということになる。
〈おまたせ〉
〈うむ〉
ミミルは
石造りの階段を上って地上に出ると、外は完全に真っ暗だ。
確か、午前中に椅子や机が搬入されて、カウンターを設置。カウンター内の厨房機器を入れてもらってからパンを買いに出かけたんだ。
時間帯的には昼を過ぎてからダンジョンに入ったはずだ。
たしか時間がもったいないと昼食をダンジョン内で食べることにしたんだっけな。
店の裏口の鍵を開けて靴を脱いでから入ると、ミミルが服の袖を引く。
〈用事を思い出した〉
〈――ん?〉
〈先に入っていていいぞ〉
〈ああ、わかった〉
この扉を開くとすぐにお手洗いがある。
そういえば今朝のミミルはお籠りにならなかったから、これからということだ。
残念だが、風呂の入れ方はまた今度教えることにしよう。
ダンジョン内にいるときは基地局を探して無駄に電池を消費するのでスマホの電源は基本的に切っているので、このタイミングで電源を入れる。
起動に時間がかかるのが辛いが、地上にいるスマホの便利さに助けられている。
基地局との接続が終わり、時刻が表示される。
午前一時三十六分。
これから風呂を入れて、先に俺が入ったとしてもミミルが出てくる時間を考えると寝るのは三時だ。
とはいえ、ダンジョンの中でほんの四、五時間くらい前まで眠っていたんだから気にすることもないだろう。
風呂場に入って「お湯はりボタン」を押下すると、急いで厨房に置いてあるパン用天然酵母の様子を確認する。
レーズン全体が浮かび上がっている。順調に育っている証拠だ。
蓋を取って中に新鮮な空気を入れたら、再度蓋をして置いておいた。
今日で四日目だから、あと二日ほどでパンにできるだろう。
二階のウッドデッキにあるハーブ類の様子も確認する。
基本的に毎朝水をやっているので、すくすくと育っている。
とりあえず、いまのうちに確認しておくべきことはこれくらいでいいだろう。
浴室で服を脱いでいると、タイミングよくお湯はりが終わった。
リラックス効果のあるラベンダーの香りがするバスタブレットを入れ、溶け出す間に髪と身体を洗う。
ダンジョンの中にいても新陳代謝は行われているので、当然身体は汚れている。ただ、細菌やウィルスの類が発生しない。
それに、出たばかりの汗は無臭だ。地上だと皮膚表面の常在菌が分解して酢酸臭や腐敗臭が発生してしまうのだが、その常在菌が死滅してしまう。だから、ダンジョンから戻ったばかりの俺やミミルは変な匂いがしない。
どぷんと音を立て、浴槽に横たわる。
「ああっ……」
久々に入る風呂は本当に気持ちがよく、声が漏れる。
いつも長風呂なミミルの気持ちも少しわかるような気がした。
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