第213話
ミミルに連れられ、第三層の入口から続く階段を上がる。
第二層の場合は建造物のようになっていたので、地面より高いところに出るようになっていた。その建造物の高さの分だけ、石段も長かったような気がする。
今更ではあるが、あの建造物は――ミミルに訊いてみよう。
〈そういえば、第二層の入口があった場所――あれは誰かが作った祭壇跡のようにも見えたんだが、ミミルは何があった場所か知っているかい?〉
数段上を歩くミミルが立ち止まり、振り向く。
この階段よりも外の方が明るいので、俺の場所からは逆光になる。そのせいで、ミミルの長い髪の一本一本が輝き、サラサラと風に靡くのが見える。
いつ見ても幻想的だ。
〈いろいろな説がある。何かを埋めたのではないかとする説が有力だが、掘り返すわけにもいかない。だから、いまのところ真相はわかっていない〉
〈そ、そうか……〉
一瞬、その幻想的な光景に心を奪われていたせいもあり、半分くらい聞き逃してしまった。
とにかく、ミミルがいたエルムヘイムでもわかっていない――と理解しておこう。
返事を終えるとミミルはまた先に立って階段を上り始めた。
出口が見えるところを考えると、全部で三十段程度しかないようだ。
第一層や第二層、地球と同じ青い空。だが、とても空気が澄んでいるのか、色が濃い。
そういえば、秋の空が春よりも濃い青になるのは花粉が少ないからだと料理撮影に来たカメラマンが言っていた気がする。ダンジョンには花粉はないからこんなにも青いのかも知れない。
そういえば、メニューとチラシのための写真撮影を頼んでいたのは明日だったか……いや、明後日だ。五日もダンジョンに入っていると感覚が麻痺してくる。
明日は食器類がまとめて届く日のはずだ。
水の流れる音は少しずつ大きくなり、嫌でもすぐ近くに川があることに気付く。そして、残り数段というところで眼前に第三層の景色が広がった。
「こ、これは……」
階段を上りきった先は、第二層で最初に野営したような川の中州になった場所。しかも、川はすぐ先で滝になって視界から消えてしまっている。
〈ようこそ第三層へ〉
〈あ、ああ……〉
階段を上がりきった先はまたも草原だ。
ただ、二百メートルほど先でスッパリと景色が切れている。
どうやら、その先は崖になっているようだ。遠くに滝の音が聞こえる。
その滝の音とは別に聞こえる水の音は、左右に流れる川の流れからくるもののようだ。
〈ここは中洲なのか?〉
〈まあ、そんなところだ〉
数歩前に出ると、ふわりと風が頬を撫でていく。
ダンジョン内は入口に向かって風が吹く。ほんの数歩出ただけで、こうも違うものかと改めて感じる。
〈あの崖の向こうは――〉
〈海だ〉
〈潮の匂いがしないな……〉
海というからには、漁港や海岸特有の匂いがすると思ったのだが、不思議なものだ。
ミミルも不思議そうに鼻をヒクヒクさせている。
〈そういえば、ダンジョン内の海は匂いがしない。エルムヘイムの海は特有の匂いがするというのに……〉
〈チキュウの海も匂いがするぞ。不思議だな〉
〈チキュウの海の匂いはどんな感じだ?〉
〈どんなって言われてもなあ……潮の香り、匂いとしか言いようがない〉
〈むむ……〉
ミミルは一瞬だけ小さな眉間を寄せて不機嫌そうな顔をするが、サザエを焼いた時の匂いだとか、アワビを地獄焼きにした時の匂いだとかで例えてもわからないだろう。
そしてミミルのことだ、間違いなく「食べさせろ」と言うに違いない。
まあ、サザエなら旬の食材でもあるし、焼いて出せないでもないな。アワビはもう少し待ってもらわないと駄目だな。
〈ここは釣りができるのかい?〉
〈いや、崖はかなり高い。風が強く、途中で滝の水が霧散するほどだ〉
〈ふうん……〉
一面の草原が突然途切れて海へと落ちる断崖絶壁になっている……なんて景色は日本でまず無いが、スコットランドのキルトロックみたいな感じなのだろうか。いや、途中で霧散するというんだから南米にあるエンジェルフォールの方がイメージは近い感じだろうか。
エンジェルフォールといえば、スペインにいたときに日本語に訳そうとして、「アメリカ人のエンジェルさんが見つけた滝だから、名前がついただけだよ」と教えてもらったんだっけ。
そんなことを思い出して頬を緩めていると、ミミルが不思議そうに俺を見上げていることに気づく。
〈――た、ただの思い出し笑いだよ〉
〈気持ち悪いやつだな……〉
ミミルは汚物を見るような目で俺を見ると、一歩、二歩と後ずさる。
何を思い出していると思っているんだろう。
別に卑猥なことを思い出しているわけでもないし、嫌らしい顔をしていたわけでもないのだが……変な誤解をされているようなら解いておきたい。
〈何も面白いこともないのに笑いだせばそう思われても仕方あるまい〉
〈ま、まあそうだな〉
結局、返す言葉も見つからないまま、ミミルの案内が続くのだった。
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