第206話
その少しニヤけた表情のまま、ミミルは俺の返事を待っている。
何を言いたいのか少し予想できるのが面倒くさい。
〈しょーへいは三十六歳……私が一緒に暮らせるほどだから、どうやら相手がおらんのだろう?〉
〈そうだな、相手はいない〉
〈どうしてだ?〉
〈それは……〉
ミミルに話すかどうか、一瞬だけ考えてしまう。
別に話して都合の悪いことはないが、俺の過去の恋愛経験などを話したところでミミルが満足することはないだろう。
今後、必要になったら話をする。それまでは最低限のことだけ話しておくことにしよう。
そういえば、送ったメールの返事が届いているかも知れない。
〈結婚を考えた相手はいたが、そうはならなかった――それだけだ〉
〈嘘偽りではあるまいな?〉
ミミルが俺の視線から真偽を確認するかのようにジッと見つめてくる。
例え嘘を吐いていても、それがバレて困るようなことはないのだが、嘘を吐くと後味が悪い。
〈こんなことで嘘を吐いても俺に何の得もないからな〉
〈見栄を張っているのではないのか?〉
〈そんなくだらない見栄を張ってどうするよ……〉
立ち上がって、野外用の割れにくい皿を手に取り、そこにマッシュポテトを盛り、そこにルーヨ肉の煮込みを掬い掛ける。
聳え立つ真っ白なマッシュポテトの山に、茶褐色に染まった煮汁の湖。大振りに切られたルーヨ肉がゴロゴロと転がる岩のようだ。刻んだ
何度か煮込み料理にマッシュポテトを添えて出しているせいか、ミミルはとても嬉しそうな笑みを浮かべ、キラキラと瞳を輝かせて料理を見つめている。
〈食っていいぞ〉
俺の言葉を待っていたかのようにミミルは右手にスプーンを持ってルーヨの肉を崩していく。ほろりと崩れ、柔らかく煮えたルーヨの肉を、同じように崩して煮汁に混ぜ合わせたマッシュポテトと共に掬い上げたら、口へと運んでいく。
この食べ方が相当気に入っているのだろう。
茹で上げたブロッコリーを加えて少しアレンジしてもいいかと思ったが、先に食べたオレキエッテにブロッコリー
でも、それで正解だったようだ。
ミミルは掬ったマッシュポテトやルーヨの肉を口に入れては、見た目に合わない艶のある溜息を吐き、恍惚とした表情を見せている。
〈美味いか?〉
〈うん、美味い〉
〈それは良かった……〉
何度も同じことを考えてしまうが、ミミルがいたエルムヘイムでも肉は煮て食べていたと聞いている。
同じような味付けのものがあって然るべきだが、そんなにも味に違いが出るものなのだろうか?
〈なあ、ミミル。フィオニスタ王国ではこの肉を茹でて食べるんだよな?〉
〈そうだ。焼くか、煮るかだな〉
〈どうやって煮るんだ?〉
ミミルは
〈どうと言われても……塩で茹で、好みの厚さに切って食べる。それだけだ〉
〈それだけ?〉
塩ゆで肉を食べるという文化は昔からヨーロッパにはある。
イタリア料理ならボッリートなんかがそうだ。イタリアンパセリにアンチョビ、ケイパーなどを入れたサルサ・ヴェルデをつけて食べる。
〈ああ、それだけだ。ダンジョン内の魔素があれば生きていける我々にとって、食事とは内臓の機能をある程度維持するためにするものだからな〉
〈いやそれは……〉
なんか違う気がする。
食べている量が多いので、どう考えても「ある程度維持するため」というレベルを通り越していると思う。
それに、そんな風に割り切った食事など、楽しくないだろう。
何もつけるものなく食べるというのも寂しいが、何よりも気の合う仲間との食事、家族で囲む食卓……そんな楽しみというのはなかったのだろうか。
そういえば、ミミルの話では初潮を迎える前――十一歳頃にダンジョンに入って加護を得ると言っていたはずだ。
加護を得てから宮廷魔術師として招聘されたということは、そこからずっと「賢者の卵」として大事に育てられたのだろう。
どんな食事をしていたのかは想像すらできないが、家族と引き離されて育ったのだとしたら、味気ない食卓だったのかも知れない。
途中で話すのを止めてしまった俺に、ミミルは先を促す。
〈――それは?〉
〈いや、なんでもないよ〉
〈そうか……〉
少し
さて、明日はいよいよ守護者との戦いだ。
どんな魔物が待ち構えているのか、得意な攻撃技、弱点などがあるのなら事前に教えて欲しいところだ。
〈ミミル、明日の守護者なんだが……どんな魔物なんだ?〉
〈――ん? ああ、二層の守護者はモルクという名の巨大な雌牛だ。巨大……どれくらい巨大かというと、体高は五ハスケ、体長は七ハスケ以上ある。
角や牙などは無いので安心していいぞ〉
ミミルは俺を安心させようとしてくれているのだと思う。
たが、自分より大きな身体を持つ魔物が相手だと思うと、やはり心配になってくるな……。
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