第205話

 なぜミミルが突き返してきたのかがわからないまま、ワインのボトルを受け取った。


〈魔法を使うには、基本的に魔素がそこにあることが前提になる。だが、その玻璃の瓶には魔素が入っていないようだ〉

〈ああ、これは新品の酒だからか〉

〈魔素がないチキュウでも、私やしょーへいが魔力を放出すれば魔素に還っていく。その魔素を使えば多少は魔法も使うことができるのだが、この瓶は既に加工されたものだ。働きかける魔素がない。また、その中に密封されている酒には中に魔素がまったくない状態だ。外から魔力を流し込むこともできない以上、魔素に働きかけることができないから、魔法が使えない――ということだ〉


 腕を組んでミミルの話を聞いていたが、なるほど……ミミルの言うことも理解できる。


〈じゃぁ、一度でも封を開ければいいと?〉

〈そうだな、封を開ければ中に魔素が入っているし、酒にも魔素が溶け込んでいるはずだ〉


 そういうことなら、いまバケツで冷やしている白ワインで試せばいい。常温で置いていたものだから、この時期だと摂氏十八度くらい。氷水に浸けて三分も経っていないので、まだ摂氏十五度はあるだろう。


〈これならどうだ?〉


 氷水から取り出した開栓済のボトルを取り出し、水を布巾で拭ってミミルに差し出す。

 ミミルはまたボトルを凝視すると、それを受け取った。


〈どのくらいまで冷やせばいい?〉

〈セッシ七ド、ああ……〉


 温度の単位をまだ説明していない。

 辛口の白ワインの場合、飲み頃の温度は摂氏七度から十四度程度の間とされている。

 味わいがすっきりシャープ――さっぱりと飲みたいなら、冷たい方がいい。


〈いまの状態と、凍り始めるくらいのちょうど中間くらいがいい〉

〈ふむ……〉


 いまが摂氏十五度なら、中間で八度くらいになるはずだ。

 だが、ミミルは小さな眉間にシワを寄せる勢いで顰めっ面に変わる。


〈難しいな、いま中がどのくらいかわかりにくい。この玻璃の瓶は氷水で冷えてしまっているからな〉

〈さっきの瓶の中間でいいぞ〉

〈なるほど、了解した〉


 半分以上残った白ワインのボトルを手に、ミミルが意識を集中していく。

 外見上は何も変化がないが、魔力視を通すとボトルの注ぎ口からミミルの魔力が流れ込んでいくのが見える。


〈熱い、冷たい……そういうものを手で触った感覚があるだろう?〉

〈あ、うん。もちろんある〉

〈そこから感覚を呼び覚まし、想像するといい〉

〈ああ、わかったよ。ありがとう〉


 お湯にしろ、冷水にしろ想像して創造するには覚えている感覚が大切――よく理解した。

 ほんの数秒ほどで冷やすのが終わったのか、ミミルは手に持ったボトルを俺に差し出す。

 受け取ると、冷水で冷やしていたせいもあってボトルも冷たくなっている。既にスクリューキャップは外しているので、すぐにそれを透明なプラスチックの使い捨てコップへと注いでみる。

 じわじわと表面が結露していくのがわかる。

 第二層の気温はミミル特製の防具を着ていてとても居心地がいい。だいたい、摂氏二十度前後なんじゃないだろうか。


 そのままもう一つ使い捨てコップに注ぎ、ミミルの前に差し出す。


〈いったいどうした?〉

〈いや、今夜で第二層の夜は最後だろう?〉

〈ああ、そういえばそうだな〉

〈その料理にこの白いドルゥア酒はよく合うはずだ。地上に戻るとミミルに酒を出すわけにはいかなくなるからな……〉


 そう言って、コップを掲げる。


〈乾杯!〉

〈ああ、乾杯〉


 ワインの場合はグラスを当てないのがマナーだが、ミミルが暮らしていたエルムヘイムでの習慣はわからない。

 ミミルは少し呆れたような顔をしているが、特に何も言われていないので問題はなさそうだ。


 少しソワリングをして脚や色目の違いを確認すると、口に含む。

 開栓して日は経っているが、ミミルの空間収納に保管されていたのでほとんど劣化していない。

 シャルドネ特有のフルーティな香りと酸味がニンニクとアンチョビが効いたオイリーなソースを洗い流し、僅かに残るアンチョビの香りをセミヨンの果実味が消し飛ばしてくれるだろう。冷やしたことで、後味もスッキリとしている。


 ミミルもどこか満足したような顔をして、ワインを口にしている。

 一本五百円と少しで買える安価なワインだが、それでこれだけミミルに満足してもらえるなら万々歳だ。


 最後のオレキエッテを口に運んで、白ワインをこくりと喉を鳴らして飲み込むと、ミミルは俺に向かって話しかける。


〈美味い酒だ、ありがとう。ところで……〉

〈――ん?〉


 ここで一夜を明かせば、次はこの第二層の守護者が相手だ。

 明日に向けての話でもあるのだろうか。


〈チキュウの男女は何歳くらいで結婚するものなのだ?〉

〈え、なんだ急に……〉

〈いいから教えてくれ〉

〈制度上は女は十六歳、男は十八歳以上なら結婚できるんだが……いまは、三十代で結婚する人が多いんじゃないかな〉


 俺が真面目に答えると、何やらミミルがニヤリと笑みを漏らす。

 なんか変なこと考えてるんじゃないだろうな?

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